第7話 残酷な選択
「…落ち着かれましたか、…ミツアキ様」
ゆるやかな、巫女姫の言葉が、まだ表情うつろな光昭に、届いた。
返事も聞こえてこない、だんまりのままだ。
城に帰り、こんな風で数時間は経過している。
隣で見守るティアーナは、いたたまれなさそうな顔をしている。
探していた妻と、思いもしない形で再会してしまったのだから、無理もないだろう。
人間ではないような、…あれ。透明に透けて見えた、加奈子の姿。
…死ぬ前の冗談の幻かと思った。
天使だったら良かったのに、と、柄でもないことを考えてしまった。
もし、迎えに来てくれたのなら。…お前、と。喜んでついていくのに。
「ミツアキ様」
強い語調のティアーナの呼びかけが聞こえた。
ふっと、視線をやる。ぼやっとした光昭の視界に、巫女姫は目一杯入ってきた。ごく近い距離に陣取って、光昭を、衝撃から呼び戻そうとしていた。
ぎゅっと、温かい二つの手が、光昭の手を包んだ。
ティアーナのだ。少女は、まじまじと、異世界の男を、見つめていた。
疲れきった、…背広もよれているだろう、親父と、真剣に向き合おうとするように。
「…お話しします」
「…ああ」
光昭の応えに、ティアーナが深くうなずいた。
どんな言葉が、巫女姫の口から語られるのか、光昭は、半ば冷たい投げやりさを抱えながら、待っていた。
妻の姿を、…納得できないでいる。…落ち着くことができないでいる。
…愛しているから、心が憤る、そして…どうにもできない自分の情けなさに、身体を蹴りたくなる。
アマツセナに来て、…正直に募っていく加奈子への想い。
それは、…仕事に忙殺された現実ではありえなかった、…残酷な計算外だった。
逢いたいと、喉奥が疼く、…抱き締めたいと、男としての自分が、叫ぶ。
とても恥ずかしくて日常の中では語られずに消えてしまう、一切の欲望。
…もしかして、目を閉じれば、娘の美弥が呼ぶ、いつもの景色に戻れるのではないか。そこには、加奈子はいない。もう数年前からずっと、失踪して、…ご近所によくない噂も流れている。そこへ帰ったら、………、二度と、…俺は、加奈子の笑顔を恋しいと、…取り戻すために、闘おうと、しなくなる。
毎日に、倒されて。
諦めて。
…今なら、加奈子のために闘える。
たとえ、…最悪の言葉を、ティアーナの口から聞こうとも。
なかなか、言葉を紡ごうとしない、躊躇する巫女姫の代わりに、…光昭は、…意を汲んだように、…優しく言った。
「なあ…。……俺の召還の目的って、倒すべき相手って…果ての化け物なんかじゃなくて、…加奈子、ってこと、ないよな……?」
できるだけ、冗談っぽく、軽さをこめて、声にしてみた。そんなことあるわけない、と、言う風に。空想が過ぎる。…そんな酷な、使命降りかかるはずない。…妻を殺せ、と、夫を召還する世界がどこにある。…しかし、幻でなく、…妻がいた。この世界-アマツセナ-にいた。
途切れてしまったと思っていた、女性への道が、開いた。
だから、離したくない。
放ったらかしにしていて、…急に愛している、はないだろうと、文句を言われるかもしれない。…だが、もし、手を握ることができるなら、…今度こそ、…離しはしない。
…ごめんなさい。
小さく開いた唇から、流れてきた第一声は、…光昭を、はっとさせた。
その先が続かないティアーナは、何度も、私、私、…と繰り返して、これまでも、光昭に幾度も見せている表情をした。
哀しそうな、…辛そうな顔。
「ん…」
ぽん、と、しっかりと、光昭の手が、ティアーナの頭部をとらえた。
言えばいいんじゃないか、と、いつもより低いぼそっとした声が聞こえた。
もう一度、じわっとした哀しい笑い方。
『本来、召還すべきは……、20年前のあなたでした』
私、…一度目の召還に、失敗して、…理由は分かっているのです。スゥトは、巧妙な方法で、召還の儀式に、仕掛けをおいたのです。まさか、世界を救うために、巫女姫が行う召還まで、邪魔をするとは思っていませんでした。悔しかったです。しかし、起こってしまったことは、起こってしまったこと。このままでは、…何もかも台無しになってしまう。私、…必死に他の方法を探しました。
『私…、ミツアキ様を、召還すべきでは…なか…った』
「あの方」が、…必死で望んだことを、守れませんでした。
…あなただけは、呼ばないでほしいと、思っていたはずなのです。
でも、私は、結局、結婚後のミツアキ様しか、呼ぶことができませんでした。
「それじゃ…」
と、光昭が、口をはさもうとした。
ティアーナは、すまなそうに、まだ首をさげたままだ。
「…今から、数年前のことです。アマツセナに、異世界からの女性が、降り立ちました。その方は、当時、果てに飲み込まれそうになっていた世界をたちまちに救い、そして、…自身は消えてしまいました」
「それが、…加奈子だって、言うのか…?」
身を乗り出して、光昭は、ティアーナに迫った。聞けば聞くほど、仔細を知りたくなる。加奈子のことを。
「おそらく…」
断言せずに、ティアーナは答えた。
「何で…」
ひきずるような声が、聞こえた。
「誰が召還したのでもありません。巫女姫の座は、あの時空白でした。私が城に招待されたのは、その少し後。…先代の姫が亡くなった、そのつかの間の隙をついて、アマツセナは危機に襲われていました」
淡々と、ティアーナは事実を語っていく。自分は、あの方に、会ったことはないのだ、…と、光昭に、ゆっくりと言った。
「…けれど、いつか会ったように言う」
「…会ったも同然だったのです」
「……?」
意味が分からなかった。光昭が首をかしげると、ティアーナは、かすかに明るい顔をみせた。そして、また暗い面持ちに戻った。
「仮に、ミツアキ様の奥様だったとしましょう。…あの方は、神のような力で、世界を救いました。見たことのない服、私と似た顔、…あの方を目撃した者は、そう伝えてくれました。昔は、…アマツセナも随分と大きな世界だったのですわ。徐々に蝕まれていって、果ての奥に大部分が最後に飲み込まれた時、…皆が絶望を覚悟した時、…城と周辺しか残っていない、小さい世界だけでも、守ってくれた…」
カチャカチャ、と、台所の食器の音がする。…加奈子の大好きだった小さなキッチン。加奈子のちょっとした戦場だった。可愛らしく冷蔵庫に張られた、お気に入りのマグネット、…いつも決まった時間に朝食を用意するために、丁寧で丸っこい字で書かれた、自分だけの予定の覚え書き。加奈子の匂いのする、いわゆる母親の陣地。
キッチン中、ちゃんと、整理されて、…エプロンもアイロンがけされてたたまれて、非の打ちようがないさようならだった。自分の部屋も、家に関するもの全て。
…想像できた。相変わらずの優しい瞳で、家を出て行く前に、用意する妻の姿が。
出発の朝、…どんな表情をしていたのかさえも。
多分、哀しそうな顔をしていた。未練いっぱいの顔をしていた…。
…ふがいなくて、出て行かれたんじゃない。
そう確信できた。
ティアーナの声が、光昭の意識を打った。
「でも、…起こったとおりなのです。起こって欲しくなかったのに。…果ては、消えたと思った救世の女性を取り込んで犠牲にしてしまった。…あの方を倒さなくてはなりません。そのための勇者が…」
ふらふらと、ティアーナの指が、上がってくる。光昭を指差そうと。
…ああ。
と、光昭はやっと納得した。
…巫女姫が、最初に会った時、加奈子の名を避けようとした理由を。
そして、自分が召還されてしまった訳の断片を。
…ぐっと噛み締める。
第7話 end
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