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4 崩壊の始まり

 楽園は、隣国の攻撃を受けていた。
 リィネは、楽園に残り、隣国に嫁がず、王国は、隣国と友好同盟を結ぶのに、失敗したのだった。
 戦争がおこるまでもなかった。楽園は特定の軍事機関をもたず、まったくの無力であったのだった。
 隣国は、容赦なく、楽園に攻め込み、荒らし、奪った。
 半分も侵略が進まないうちに、楽園は楽園たる理由の大半を失っていた。周辺の侵略が、あらかた終わると、彼らは、楽園の中心である、王城に集まっていった。
 
 アイシィはリィネを連れて宮殿内を逃げ回った。
 王城はもはや、安全な場所ではなかった。
 王は、「いずれ、攻め込んでくるつもりだったのだ」とあきらめ口調で避難部屋へ逃げ込んだ。しかし、そこは、見つかりやすく、避けるべき場所であるように思われた。
 アイシィは、人々と離れて、安全な場所を求めた。王城のいたるところでもう火があがりはじめていた。

「アイシィ…、もしも、私が足手纏いになったら、ひとりで逃げてね」
 走り疲れた風のリィネが云った。
「さっきから、どうして、そんな風に考えるんです?」
「そんな気がするから。アイシィは大丈夫であってほしいの」
 リィネは心からそうおもっているのを示すために、胸に両手を交差させた。こんなときでも、彼女は澄んだ目をアイシィに向け、純粋な思いを心に刻んでいた。
「姫様のほうが、無事であってほしい」
「アイシィが、」
「姫様が、」
「おい、いたぞ!」
 後ろから、残酷な兵士達の声がした。

5. 運命と狂い 

 リィネとアイシィは、捕らえられ、すでに宮殿をあらかた占拠した隣国の、総大将である王のまえにつきだされた。
「ほう、美しい」
 年若き王が、リィネを目にとめた。
「私の申し込みを断った姫君はどんなものだろうと来てみれば、意外に上玉ではないか」
 価値を見定めるような目つきで王はリィネを眺め回した。
「決めたぞ、お前は連れて帰ろう」
 強引で傲慢ないいまわしにリィネは反感をもった。手をとろうとした王の腕を突っぱね、アイシィの後ろに隠れた。
「ならその、道化も一緒にしてやろう。私の国に来い」
「その気はないわ」
「お前の身のためだ。いいか、お前の身寄りは、もう無いも同然、私が、お前を保護してやろうというのだ、おとなしく私の慈悲にすがり、素直に私の命にしたがっていればよいのだ。なにも難しいことはあるまい、そうすれば、お前はいままでのような生活をつづけられるのだぞ」
「楽園は失われたわ。もう、もとに戻すことは出来ないのよ」
「私がつくってやろう、なに簡単なことだ、大変なのは奴隷が余計にいるくらいのことだ」
 王は笑い声をあげた。それを見ていたリィネは、苦々しい顔をして、アイシィからゆっくりと離れ、王のまえにでた。
「もう一度きく。私と一緒に来る気はないか」
「ないわ」
 リィネは、はっきり返答した。目の前の相手に気持ちが傾くことはありえないことだった。
「ならば、お前も他の者達と一緒になるがいい」
 王は、リィネの手首をひっつかみ、自分のほうに彼女の身体をたぐりよせると、腰の長剣を引き抜いて、即、それをリィネの胴体のなかに刺しいれた。鋭い刃はリィネの中央をつらぬいた。
「リィネ!」
 アイシィは絶望の叫びをあげた。
 王は遊び飽きたおもちゃを捨てるかのように、さっきまで興味をみせていたのがまったく嘘のように、簡単に刺して、リィネの身体を床にころがした。
「リィネ…」
 あつく、つめたいものが、アイシィの頬をつたっていた。
「おもしろい!、道化が泣いているぞ」
 王が、アイシィの様子をおもしろがって、はやした。
 馬鹿にした笑い声響く部屋から、アイシィはリィネの身体を抱きあげて、逃げるように、去った。
「姫様、姫様」
 アイシィは、リィネを呼んだ。
「…アイシィ、そこにいるの…?」
 うつろにリィネがつぶやいた。意識がなくなりかけているのだ。
「離れやしません、ずっと。姫様をおいていけない」
「…そばにいてね…」
 リィネのほんの一言か二言が、なんと重く心に響いてくることだろうか。言葉の重みを感じつつ、泣きはらした表情で、アイシィはコクと、うなずいた。
「…泣かないでね、私のかわいい道化さん」
 リィネはほんの一瞬アイシィを見て、微笑みのような表情を残し、それから、また、目を閉じた。…アイシィの気が抜けた。リィネがもう目を開けないだろうことをどこからか、分かってしまったからだった。
「姫様、姫様っ!」
 アイシィは何度も呼んだ。何度も叫んだ。しかし、こたえは一度も返ってこない。
「リィネ!」
 なんと呼ぼうと、こときれた身体は反応を示さなかった。泣き声まじりの呼びかけは続く、アイシィは、リィネの身体を抱き締めた。

6. 失われしもの

 楽園はもう無い。あるのは荒れた跡だけだった。
「おい、あんなところに変な格好のが座り込んでるぜ」
「ほんとほんと。気でも狂ってるんじゃないのか」
「からかってみようぜ」
「おい、やめとけよ、俺たちにはまだやることがあるんだ。おかしい奴につきあっているヒマはないんだ」
「やれやれ、じゃあ行ってくるか、隊長のところに」
 二人の兵士が、瓦礫でできた壁の下でうずくまっているアイシィのそばをとおりすぎた。
「リィネ、リィネ…」
 ほそい声が、抱いている冷たくかたい身体に呼びかける。声が彼女に届く、届かないは問題ではなく、呼びかけていられることが大切だった。それがいま、彼が生きている証拠であり、舌を噛み切って死んでしまいたい衝動から逃れる唯一の方法だった。
 失ったものの大きさは、アイシィの心に開いた空虚な空間の広がりに反映した。底無しに広がっていくこの虚無を埋めることができるものはもうなにもなかった。
 リィネは二度と帰ってこない、同時にそれは完全な、楽園の崩壊を意味していた。国を荒らし、かたちをなくしただけでは、「楽園」を侵すことはできなかった、楽園の象徴たるリィネが失われたとき、楽園は本当に崩壊したのだった。
…私のかわいい道化さん
…私の愛しい道化さん
 耳にのこるリィネの呼びかけ、アイシィは、両方の耳に手をおいてみた。幻聴でもきけるような気がした。冷たい風の音のほかになにか感じられないかとやってみたが、それらしいものは、彼の方に響いては来なかった。王宮からのぼるけむりも、そこらじゅうに散らばっている兵士達の話し声、足音も、なにも気にならない。彼にとって、もうそこは意味のない世界。
 アイシィはひざの上で眠っている者を確かめるようにやさしい眼差しで見つめ下ろした。そして、もう一度リィネの身体を抱き直した。


 戦乱の世であり続けるいまの時代、人々が冗談まざりで理想にかがげるものがある。
 理想と、そう口にするが、決して信じていない、それを求めはするが、本当に手に入るとは思っていない、そういう想像の中だけの「皆の希望」が存在する。
 何故本当に求めようとしないか、そう問うと人々はあきらめ口調でこう云う、それがとうの昔に失われているからだ、と。さらに問い詰めるとこうも答える者もいた、みずからのためだけにひとが動き出したとき、それはひとの手から失われてしまった、と。
 華やかで平和なその昔に人々が育んでいたもの、土地、ひと…。

 その名は……。



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