My dear...
| 4. 私は人形師のお気に入りだったと思う。だから仕事はめったにこなかったし、彼のお説教も私には一段とうるさかったように思う。私のほうも彼のことは好きだったし、彼のそばというのはどの人形にとっても同じようだったが、もっとも落ち着く場所であったのだ。人形師というのは、たしかに人形達に愛されていた存在だった。 「君はあのひとのことを知っているかい。僕は君よりここにいるのが長いんだ。僕は君の前にあのひとにつくってもらったし、君はそれからずいぶん経ってから僕の隣の席に来た。だからたくさん分からないことがあると思う。たとえば、何故あのひとが僕達の兄弟姉妹をつくり続けているか、何故お説教するか」 「分からないわ。何故なのかしら」 「あのひとの懺悔なのさ。妻と一人娘を亡くしてるんだ。人形師の仕事に夢中で家が火事になった時にも帰らなかった。仕事を終えて我が家に戻ろうとしたときには何もかもなくしていたというわけさ。それから、狂ったように僕達の仲間を増やしてるんだ」 「かわいそうなのね」 「そうだろうか。僕にはあのひとが昔を思い出したくない一心で仕事をしているようにもみえるんだけどな」 「一日中仕事……」 「あの日からずっとだよ。彼はどこかあれから変わってしまった」 彼は根っからの芸術家だった、だからけっして妥協しない、出来の悪い人形はつくらない。自分の満足がいくまで粘って、一体、一体を完成させるというひとだった。きっと私も今はやせっぽっちになっている私の隣の人形も手抜きのひとつもされず、最高の状態につくりあげられたのだろうと思う。彼はどんな気持ちで私達をつくったのだろうか、また私達の兄弟姉妹をつくり続けているのだろうか……。 「彼はほんとうのことをいうとおかしくなりかけているんだよ。今の仕事を僕達は当たり前のように思いかけているけれど、実は変な話なんだよ。人形師が自分の人形を暗殺の身代わりや詐欺の手伝いに貸したりすることなんてね」 「私は全然感じないわ」 「お腹に穴が開くことも、酔っ払いに絡まれることも?」 「私はお腹に穴が開くのは好きじゃないけれども、あの打たれて倒れるところは素敵だと思うわ、私はいつもうまい具合に椅子から転倒するの、そうするとたくさんのひとが私のところに集まってくるの」 「見栄っ張りなんだよ、君のそういうところ。彼は君を特に可愛がっているけれどもどういうつもりだろう。君は僕達の中でかわいいつもりなんだろうけど、僕から言わせてもらえば、棚の一番左側の上から四列めのひかえめなあの娘のほうが可愛げがあるというものだよ、だって君は派手でうぬぼれやで見栄っ張りだ。彼に気に入ってもらっているだけで特別な存在になった気でいるんだから」 「あなたのほうも口の悪い、私はただあのひとと仲が良いだけなんだから」 「しっ……、下を見てごらん」 私は彼の言ったほうをのぞいた。人形師が彼のアトリエをぐるぐると回っていた。なにか考え事しているように額に皺をよせている。ときどき立ち止まっては壁や机を乱暴に叩いた。むしゃくしゃしているようで、その動きは落ち着きがなかった。 「街で聞いたんだ。彼はもうだいぶ前からだめだと言われている。彼のつくる人形は一流だけれども、彼自身は家族を亡くしたときに自分も見失ってしまった、と。だから、人々は彼のつくる人形は信用していても、彼をもはや狂人だとして避けている状態なんだ」 「そうは思えないわ」 「よく見てごらん、そうっとね」 私は彼に言われて、人形師を注意深く見守っていた。そうすると、不安は私の無いはずの心臓をバクバクと鳴らせるのだった。 彼の言うとおりだった。人形師は正気に見えなかった。私達は彼を上から見守っていたが、淡い希望は踏みにじられるばかりで、失望だけが大きくなっていくのだった。 「ほんとうね」 「皆、このことに気がつき始めてるんだよ。僕達は狂気に陥った人形師のもとでつくられ、使われている。それは、どうやら間違いなさそうなんだ」 「それでも、私は……」 突然、隣のやせっぽっちを含めた私の兄弟姉妹全員が抗議してきた。いったいいつから聞いていたのだろう、列の一番はしっこの人形までが自分だけいいかっこうしたいんでしょう、と言ってきた。 「君だけじゃないんだよ、君ひとりじゃ」 そのとき、私は人形達がほんとうに人形師のことを好きなのだと分かった。たとえどんな人間であっても、私達のもっとも愛しているひとに変わりはないと。自分を、こころをこめてつくってくれたひとを、私達は憎むこと、裏切ることはできないのだと。 5. 人形師がまた私をどこかに送り出す。綺麗な衣装、どこかの令嬢みたい、髪もちゃんと整えて、きっととてもお金持ちの家なんだわ。 「どう、いい出来でしょう」 「すごいですよ。あなた以外にこんなことができるとは思えませんよ」 皆同じだ。私を見て褒めたたえる言葉しか出てこない。ふと違和感を感じた。きゅっと両肩のあたりが痛んだ。なんというか、熱い。痛みなんて役目を果たして帰ってくるときだって感じたことがないのに。私はそれが人形師の腕であることにしばらくして気づいた。人形師は私を後ろから抱きしめていた。そして、ゆっくりと手を離しながら、 「大事にして下さい」 と言った。分かってますよ、と依頼者が月並みな返事を返して、私を持って帰った。 月日はどれくらい経ったのだろうか。私はなかなか人形師のもとへ帰してもらえない。窓際の日当たりと見晴らしの良いところで一日を過ごすけれど、なにも面白いことなんてない。ときどきは、外へも連れて行ってもらうが、私は使命を果たすことは出来ず、また窓際の席に戻され、それがずっと続くのだった。 その日は、見物に来たのだった。扇でちらと顔を隠しながら、テラスに設けられた席に座らされている。私は二階にいて、その真下に広場がある。ずいぶん下の方を見ないと何が行われているのか分からない。黒だかりはよく見える。広場のほとんどがこの真っ黒な民衆によって埋め尽くされているようだった。 「今日のあれは誰なのかしら」 「さあ、知りませんわ。なにしろ、たくさんいる罪人の名をいちいち覚えていることなんてできませんもの」 「もりあがりがイマイチだと思いません?」 「そりゃあ、高名な方の処刑ではありませんもの。ただの一市民なんですもの。あ、石投げが始まりましたわ」 「でも、なんだか面白くありませんわ、叫びもしないし、赦しを乞おうともしない」 公開処刑の日なのだということを私は聞いた。日曜日ごとにそれは広場で行われ、多くの人々がその見物に来るのだそうだ。広場は大変賑わっている。何故そんなものに民衆は熱狂するのだろうか、私は興味さえもてない。 「おや、あの男は見たことがありますぞ」 「あんな偏屈そうな老人どこで目にしてきたんですの」 「狂った人形師でして。私は奴はいつかこういうふうになるぞと思っておりました」 私は広場をよく見ようとした、そしてぐらっと揺れた。私のまわりで悲鳴があがる、銃声だ。両腕を背中でしっかり縛られて、処刑台の短い階段を上ってくる人物、それが人形師本人だと分かったのと、私の胸にまたあの冷たい鉛が刺し込まれたのはほとんど同時だった。前のめりになった私はテラスの低い柵を乗り越えて、頭からまっさかさまに落ちていく。「暗殺よ!」と隣人が声高く叫びだし、まわりのざわめきが一層激しくなる、下方で「処刑だ」とふれまわる声、ワッという大きな歓声……。けたたましい音の数々に囲まれて私は落下した、処刑台の上へ……。 台の前で刑を執行しようとかまえていた役人達は、空から人間が降ってきたと思って、驚いて逃げて行った。壇上にはたった二人だけ。 私は傷ついた。手も足も胸も身体のどこもかもが痛んだ。断頭台にうつ伏せに倒れると蝋の皮膚がひび割れた。横を向いた顔は、人形師を見ていた。 「だから、こころをもつんじゃないと、注意しておいただろう。人形は人形でしかないのだ。痛みなんか感じなくていいし、永久に生きていける、私はお前達をそういうふうにつくってやったのに」 人形師の眼差しは半ば狂気であった、しかしもう半分はほんとうに私達のことを思っていた。 「私は、あの過ち以来、自分に罰を与えることを考えていた。だから、あの時に死なずに、今日までずるずるとだらしなく生きてきた。ほんとうにみっともなく、恥さらしに。まわりの全てに嫌われて憎まれて死ぬ為だ。誰からも悲しまれずに、憐れまれてはいけないんだ、罰にならないから。断頭台とはかっこうの死に場所だ、…さあ、時間だ、役人が戻ってくる、そこをどいておくれ、お前、私の横たわる場所だよ」 私は人形師に声をかけそこなった。 まもなく役人が戻ってきた。壇上の様子をうかがってそれまで静まっていた民衆も今までどおりの騒音をたて始めた。役人は私を台の下におろした。私は近くで人形師の最期を見守った。なにもかもが終わると私は彼と同じ場所へ行けるような気がした。彼は満足しただろうか、望んだとおりに死んだと思って。実際はある一点で全く失敗していたけれど。彼は分かっていなかったのだろうか、人形達が彼を愛していたことを。ほんとうに憎まれたかったのだろうか、愛されたかったのではないだろうか。……もうすべてがあやふやになってきた。一緒の場所にどうやら埋められるようだということを確認してから、私は生まれて初めて目を、ゆっくり閉じてみた。 |