化け物城の呪いのお嬢


 化け物城の呪いのお嬢、これが我が主(あるじ)にまとわりついている名前。
 美しい女性(ひと)、清らかな女性(ひと)、だが、人間ではない。
 人間になりたいと思っていた、ばけものの子孫なのだ。

 ある昔、一匹の怪物が、ひとに憧れて、呪術師に願った。
 人間にしてほしい、と
 その呪術師は、怪物に言った。
 いいだろう、その代わり、お前の子孫として生まれてくる者を一人もらうからね。
 怪物は喜んだ。
 姿カタチは今や、見目良い青年に変わった。
 怪物は、伴侶を探して、幸せになったのだそうだ。

 それが、お嬢の城の先祖だ。
 幾世代か過ぎた。
 怪物の子孫達は、自分の先祖が怪物であることを忘れた。
 呪術師が、そこへ現れた。彼等の中の一人を選ぶ為に。
 呪術師は、三人いた怪物の子孫から、栗毛の男の子を選んだ。
 彼は抵抗した。迫る呪術師に、城にあった剣で、応戦し殺めた。
 十字に切り刻んで、息の根をとめた。彼等だって、ずっと遠い世代のツケなんて払いたくない。
 死に至る呪術師の指先から、最後の魔法……『呪い』が、降りた。
 三人の怪物の子孫は、その呪いを身体にあびた。
 一人は怪物の姿に戻り、一人は人間の心を失い、あとの一人は姿も心も人間のままだったが、呪いはかけられたままだった。
 姿か、心か、どちらかを失った怪物の子孫は、長く生きることは出来なかった。
 ただ一人、呪いがどこにあるか分からない栗毛の男の子だけが、結婚して、また子孫を残した。
 それが、お嬢の直接の祖先らしい。
 化け物城の呪いのお嬢。
 そのあだ名の理由は、やはり呪術師の呪いだった。
 呪術師のかけた呪いは、そのまた子孫の代に現れた。
 主の父親の時代だった。
 彼は、伴侶にとある貴族の娘を選んだ。
 楽しく、幸せな結婚生活が始まろうとしていた。
 その矢先、彼の身体が、もう何世代も返ったことのない「怪物」へと変化した。
 披露宴は開かれることなく、彼は城の独房へ自らを閉じ込めた。
 奥様となった人は、それでも彼を愛したらしい。
 まもなく、どういう方法を経てか、奥様は、赤ん坊を身ごもった。
 人間の女の赤ん坊だった。
 その後…、奥様は亡くなった。
 当主の姿は、終生、元に戻ることはなかったという…。
 独房からは、野獣の咆哮が、とめどなく漏れ聞こえた。
 …そして、それが途絶えた時、城では主だった人の弔いが人目をしのぶように行われたのだそうだ。


 お嬢はそのような家系の特殊な生まれだと、この辺りの者は皆知っている。
 だから、城には物好きな者しか集まらない。
「ねえ、ラルナ。私にかけられた呪いは、いつ…始まるのかしら」
「へ…。分かりませんよ。聞かないで下さい」
「お父様みたいに、怪物になってしまうのかしら」
「お嬢がねえ。ちょっと、想像つかないな」
 
「…ねえ、やはり、私は、いつかああなってしまうのかしら」
 お嬢が言うのは、父親の終始変わらなかった怪物という容姿。
「ねえ…、ラルナ」
「はい? お嬢」
 「も」「し」と、ゆっくりお嬢の口が、文字をかたちどった。
 ひきこまれそうな唇の動きに、ずっとみとれていた。
 声よりもはやく、目で、お嬢の望みを感じて、ぎゅっと身体は固くなった。

 …も・し・わたしがかいぶつになってしまうものなら、ラルナが…

「もし、…私が、…怪物になってしまうものなら、ラルナがなんとかしてね」
「あ…? なんとか…て、どうしろって言うんです?」
「だから。…私を、殺してね」
「違うんじゃないですか? 普通、助けてくれ、とか言うものですよ?」
「私は、お父様みたいに、優しく見守ってくれるお母様はいないから」
「お嬢…、…私じゃいけません?」
「ラルナは、家来だから。…駄目なのよ」
 …ムス。
「もう、スネないでよ。ラルナも好きよ。でも、違うのよ」
 お嬢は跳ねた。
 嬉しそうに跳ねた。
 私は、こんなお嬢が、好きだった。

 …あなたが思っているよりもずっと。
 
 
 一年後、お嬢が、首を絞めるよう押さえ、絶叫にもならぬ音をあげ苦しみ始めた時……私は………一緒に死んであげようと思った。
 あなたより愛しいものはなかった。
 刻々と、変化していく、おぞましい容姿。
 お嬢の悲鳴、咆哮、…狂気。

 私が、ナイフを自分の胸の中心に置いて、血を流し始めた時、ひときわ耳障りの悪い軋った叫びが聞こえた。車輪がぶつかって人を踏み潰すような嫌な音、感触、…肉感。
 足掻いて足掻いてそれでも叶わなかったときに、絶望とともに吐き出される人間の最後の声。…爪でぐちゃぐちゃに己を突き刺した血まみれの化け物から、甲高い音で感情があふれ出し、…私を、血でべとべとに抱き締めた。

「…お嬢、お嬢」
 髪を、手を、触れるところを全て液体で満たして。
 自分の血か、彼女の血か、分からなくなった赤い光景の中で、私も叫んだ。
 嘆き、恨み、悲しみ、怒り、…私の声は、人間の情をかろうじてつくりあげるが、お嬢のそれは全部ごちゃまぜで、一つのものだった。
 
 生暖かい化け物の腕の内側で、足掻きやまない重い咆哮を聞いていた。
 
 …化け物でもお嬢が好きだよ。

 聞こえなくたっていい。伝わらなくたっていい。それより…私を殺せお嬢。…あなたもすぐに一緒に死ぬだろうから。
 早く。…さあ、早く。

 …ル ナ
 
 私の名を綴ろうとして、私の上に倒れてきた化け物の代わりに、私は獣のような絶叫をあげた。


『ねえ、ラルナ。迎えは来たかしら…?』
 せわしなく、お嬢は尋ねる。いつものように。
『さあ? まだみたいですね』
『おかしいわね。来ると約束したのに』
『もしかして、逃げてしまったりして』
『そんなはず、ないわ。あの人は、ちゃんと私に約束しました。きっと来てくれるはず』
『化け物城の、呪いのお嬢を花嫁に欲しいという人間は、少ないものですね』
『そうね。それでも、あの人はいいと言ってくれたわ。私が好きだって。一緒にいたいって』

『そりゃ、どうですかね。他人は信頼できない…』
『……』
『あ、時間過ぎちゃったみたいですよ』
『来なかったのね、あの人は…』
『これで何十人めでしょうね』
 もう、ラルナったら。…からかうなと言わんばかりにお嬢が苦笑する。私は内心ほっとしていたのに。お嬢を取るな、と。
 
『いつまでもこのまま。まるで私なんて、…早くばけものになってしまえばいいみたいね』
『…もー、…お嬢、冗談が過ぎますよ』

 その時、微笑んでいたお嬢はふっと真顔になって、私に呟いた。
『…でもね、呪いのお嬢にも、一つだけ救いがあって、もしもばけものになっても…本当に好きな人の胸で死ねたなら、…姿は人間に戻してくれるそうよ』
『嫌な言い伝えですね』
『先祖代々ね』
 二人笑い合った。懐かしい思い出。

 今、…私の抱いているものを、悪魔でも神でもいいから、認めて欲しい。
 絶叫をあげた私の内に飛び込んできたものは、お嬢の、綺麗で赤い肢体。血を被った、白く透明なひとの身体だったから。
 
 …ああ、お嬢も私のことを好きだったのだと、知った。
 今更。

 家来だからと、距離を保っていた私とあなたの間が、人間ではなくなったとたん、もろく崩れるなんて、皮肉だった。
 そんな上っ面の体面をまだ守って、…化け物の子孫は、人間になろうとしていたのに。
『ラルナは、家来だから。…駄目なのよ』

 でも、私は…化け物でもお嬢が好きだよ。
 私は、狂うような必死の悲声をあげた。だって、この手に残ったのは、…残ったのは。……私を殺めまいと、一生懸命に自分を傷つけ、息絶えたお嬢の姿だったから。
 
『化け物になっても…本当に好きな人の胸で死ねたなら』
 お嬢のひねくれた願い。…一言も教えてくれなかった想いを、今感じながら、…更に叫ぶ。

 真っ黒で糸のように綺麗な、背中まで流れている髪。目を閉じて、息はしないが、白く、美しい顔。まだ体温の残っている肌の感触。
 人間のお嬢の、安らかで綺麗な死体。

 声も涸らし果て…、涙も血と混ぜ、分からなくなるくらい、心を叫び尽くして、…。
 それから…。
 私は、ぎゅっと、化け物城の呪いのお嬢を抱き締めた。