皮の下の真実 十二夜 王が私に訊く。お前の舌はよく動くな、と。そりゃ、私めは長年王国に飼われている道化ですから、当たり前に違いないです。正確には国王補佐という名の、哀しい笑われ者なんだが、王にはそれがよく分かっていないらしく、愚かに彼は、そうか道化かと、納得していた。 馬鹿だ、彼は。 誰が好きこのんで、こんな役を引き受けるものか。元はといえば、お前の父親のせいだ。あいつのせいで、私は大切なものを失った。 妻と娘、私が心底愛していたのはその二人だったのに。やめてください、王よ、戯れに何をっ、途切れ途切れの哀願も聴かれず、遊ばれ、あの娘たちが壊れた、そう伝え聞いたとき、私は夫でなく父でなく、補佐であり、何の感情も周りに見せなかった。だが、一枚皮をめくったところでは、抑えようもない怒りと憎悪の火が、神経の一番細いところまで燃やし尽くしていた。ああああと野獣のようにあげる悲鳴と嘆き、涙、およそ人間らしい感情が、焼かれてからからに枯れ果ててしまった。焦土と化した心ゆえに泣くこともできず、自然憎悪に飢え狂う。あいつはただ事故の一言で妻子を片付けた。やったのは、お前じゃないか。理由も責任も問われず、真実は永遠に暗闇に隠され続ける、そんな馬鹿な!それなら私も。それならお前は、仮面の下でさえ泣けぬ道化を見るがいい。……この恨みだけは晴らさずにはおくまい。 王は私をまだ信頼していた。愛しい者を手元から奪われても口も出せず、それでも忠誠をつくすなんて、ああなんと臣下の鑑なのだろう。都合のいい輩なのだろう。想像力としてはたくましすぎる。私は裏切る方を選んだよ。やめろ、セシート、お前っ笑って殺すつもりか、あんたの命請いなど訊くものですか。串刺しにしてもまだ足らぬ。 良心もすっかり焼き尽くされた黒い心の焼け野には、憎いだけの哀しい性が住みつき、きつい笑い声をあげながら王を刺し続けても、ちっとも満たされることはなかった。 血まみれで息絶えた王、真剣に覚悟を胸に秘めた臣下が挑んできたならともかく、いきなり寵臣が理由も露わにせず笑ったまま飛びかかってきて、むちゃくちゃ刺しまくったのだからたまらない。不条理の中にも何かを見つけたのか王は苦しそうに言った。セシートお前、あの件は悪かった。……いけませんね、その件はもう終わったんだ。男の無理した高笑いが響く。めちゃめちゃに剣を動かしながら、心も泣かず、良心も痛まず。ぽっかり空いた心に闇が住み、寂しさが居座った。 王への復讐が済んだにもかかわらず、晴れたものはなかった。余計に心は空虚だった。笑いたければ笑え、哀れな男の末路を思うのならば。笑わずにはおれぬ、踊って嘲笑って、いつしか狂った猿の物真似を完璧に身につけ一流の阿呆、道化になった。仮面を被っていることさえ自分で気がつかない、もう誰にも見破れない、自分をも欺く素晴らしい彼がいた。 驚くべきことに、王殺しの罪を問われることはなかった。彼等は疑いもしない。皮の表面を見て、私がそのような残虐な殺し方をするはずはないと踏んだのだった。いつでもどこでも、紳士的に振る舞い、忠誠を前に出して王についていれば、皮の下がどうあろうと、関係ないらしかった。おかげで、王の一粒種、甘やかされ王子が戴冠した後も、国王補佐であった。こいつは、よほど幸せな目にあったのか、お人好しで、裏切りを知らぬ穏やかな子供だった。私をよく信用し、重宝し、惜しげもなく褒め、笑顔を見せた。父を殺した相手だとも気がつかずに。十分に手懐けた息子を操って、他国に戦争をしかけてやると、私はまた別の計画を練っていた。 一度吹き出したものはとまらず、一度流れ出したものはとめどなく、永遠に走っていく。野望でもなく、もはや憎悪でもないものが、人間の身体の中で煮えくりたぎり、制御できずに他を滅ぼすためにぶつかっていく。それは、大切なものを失った痛みを感じる神経さえ焼き尽くしてしまったにもかかわらず、確かに傷口がうずき続けるのを無意識に感じ取り、痛い、痛い、とばたばた手足を揺り動かし、無関係な周りを迷惑にも倒し続ける仕組みだった。痛いを痛いとも感じない代わりに、分けも分からず、残酷な衝動が道化を突き動かす。それこそ不条理な踊りだった。悲劇に悲劇を重ね、周辺の国々まで巻き込んで、暗い舞踏で埋め尽くした。そこには踊り疲れた人々の山。道化はその山の上で独り笑っていた。 誰だ、私に呼びかける者は。もう、正体も分かっただろう。皮の下まで分かっただろう。にしても、捕まえることも、処刑することもできぬ。なにしろ、このあたり一体は我が国のもので、王は私の意のままで、つまりは私が全てを動かしているのだから。 「覚悟しなさい」 向けられた刃は、心当たりがあり過ぎるほどで、ああこの感覚は何ヶ月前だっただろうか。セシート様にはもう我慢ならぬ、と真面目に王へ忠言する者がいたのだ。王が首を縦に振らぬと見れば、力あるのみと、大振りの剣を抜いた。殺せるものなら殺せばよろしい、胸をちょうど開いたところに、護衛兵達が右から左から身を差し出して、私を守った。代わりに倒れる者達の鈍い肉音も、床を染めた赤い液体も、何ら感謝の念を呼び起こさなかった。裏切り者は罪の責任を負い、理由を明らかにするやいなや殺された。反抗する者は重罪を課す、死という名の終わりを持って。一人として、例外はなかった。 「悪い国王補佐を成敗するの。私の母と弟は、あなたのせいで死んでいったのよ」 今日や昨日に初めて剣を扱ったような、不慣れな手つきで、娘が脅していた。結んだ手も今にも武器を落としそうで、危うかった。剣を向けられて覚悟、はいそうですかと手をあげるような緊迫感もなく、無視して通っても差し支えなさそうだと思った。 「待ちなさい」 といっても、すぐそこに馬車は待っているし、君はすでに囲まれている。裏切り者の一人として、迎えられたいのかね、と興味なく考えた。もう、反抗する者もいなくなったかと思っていたのに、いやに娘はしつこい。よほど、母と弟を失ったのが悔しかったのだろう。そう、……はちきれんほど、憎んだのだろう。 目だけでもよく見てやろう。おお、その目、私とよく似ている。今にも殺したくてしょうがない、剣で首をかききってしまいたくてうずうずしている、他に何の犠牲あろうともやってしまいたい、その目だ。 燃えている、じきに自身を焼きこがしてしまう、強い火を秘めて私を見ている、……そして恨み果てれば、この娘も、心に、何も育たない土地をつくってしまったことに気がつくのだろうか。 少女の顔をよく見て、リセ……と、思わず叫びそうになった。リセ、ああ私をとめにきてくれたのはお前か。お前なのか。もう長い間、苦しかった、怖かった、疲れた……。ああ、分かっている、待っていた……、だから。 突然、近づいてくる男に、少女ははっと剣を構え直す。 お前は愛娘に似ている、とたとえそう言われたとしても警戒を解くことはできなかっただろう。 リセとうり二つの少女が、なりふり構わず、自分に憎しみを露わにする。娘の笑った顔が少女のしかめて暗く睨む顔と重なり、娘の喜んだ顔が少女の真っ直ぐ見据えて真実を裁く顔になる。娘の最期に苦しんで父を求める顔が、少女の一心な憎悪の表情に重なり、 ああああ、…………空に悲鳴とも嘆きともつかぬ人間の狂った声が嫌と言うほど轟いた。 信じられぬ、と、人々は目と耳を疑った。あれほど人を悪夢に追いやり、殺し続けた男が、すすんで自分の身体を少女の剣に捧げたと。しかし、現実に男の死体は目の前にあったし、それを証言する者達もたくさんいた。事切れる前に、少女を呼び寄せて、随分独り言を喋っていたのだそうだ。道化はお喋りが多い、と、おどけながら、瞳は本当にうるみそうに優しげだったそうだ。少女は補佐の手を取って、ずっと真摯に聴いていた。娘と呼びかけられても娘などでは全くなかったし、今日まで延々憎いと思い続けてきた相手だった。 死にぎわにして男はまだ踊り笑い続けた、仮面を何枚もかぶり、言葉は嘘と誠を練り合わせていた。それでも少女は、よく男の心の内を読み解いた。妻のこと、娘のこと、復讐してなおとまらなかったこと。 最期まで、男は完璧に徹して踊り狂い、とうとう足元を滑らせて動けなくなると、娘の腕に震える腕を重ね置いた。 娘には、何もかも見えていた。そこの、剣を一本身体に刺し入れたままもうずっと転がっている男は、こうなるのを待っていたのだ、と。リセと呼ばれて、疲れ切った息づかいを耳にする。使い物にならなくなった肢体が安らかに休む気配を感じる。よくここまで踊り続けた。 笑いたければ笑え、哀れな男の末路を思うのならば。……いいえ、笑えない。あなたが責任と理由を持って死んでいきたいと思っているならば。だから、私と話すのでしょう。 そうか。ならば聴いてほしい。 繰り返すな、と。優しい心根を憎悪で燃やし尽くした先は哀しい。 もう、手遅れ……と呟きそうになった口に、温かく伸ばされた指。 大丈夫。 ゆっくりとなぞるように言う。 お前には皮の下の真実が読めるだろうから。 似ている私が最も欲したものが、分かるだろう。 そうして、目を閉ざした男の焦土に、涙の雨が降った。 雨。 数十年ぶりの癒し、それは乾いた皮膚の下にも穏やかに浸透していった。 |