第19話 夢
…黒髪の美女が、うつろな視界の向こうで叫ぶ。…もう遅い。
『……、この人動かないわ。『…』っ、何をしたのよ。昨日まで、生きていたはずなのに。今、何て? ……もしかして、私が悪いの? そこまで追い詰めた私が悪いの? 人を愛するなんて、この人に一生分かるはずないのに。最後まで政しか頭になくて、愛なんて必要なかったのよね…。…ごめんなさい。私には今、それしか言えない…』
…思い出すまい、と。
…繰り返すまい、と。
「起きなさい、こら」
光の洪水が、まばゆいほど、目覚めたばかりの瞳を襲う。
アーシャだ。
「昨夜、遅かったので、もう少し…」
「駄目」
「今週忙しくて、疲れていますので」
「…駄目」
「眠たいです。休みたいです」
駄目、と口を動かそうとした王女を、サリューはがばっと捕まえて、ベッドの淵に押し倒した。
何かを踏んづけたような、悲鳴と雑言。
非難轟々の王女は、重い、と、じたばた暴れていたが、しばらくして、温かくのしかかっている身体が、動かないのに気付いた。
アーシャを抱いたまま、再び眠ってしまったようだ。
「……」
結構、頑丈に抱き締められていたりするので、サリューが起きるまで、アーシャはベッドから起き上がれない。
…もとより、起き上がる気もないかもしれないが。
全身を包むように、守るように、心地好い。
愛してくれてないとしたら、…ここまで必死な抱き方はすまい。
失うのが怖いみたいに、がっちりしている。
「サリューは、ずるいわよね。目の前に突然現れて、アーシャがこれからするはずの、初恋も、キスも…全部取っていってしまった。独り占めしてるんだから」
とても聞くのが、恐ろしいことがある。
サリューの過去を聞くのが、とても怖い。
いつか話してくれるんじゃないかと、少し期待している。
知ってしまったら、このままでいられないんじゃないかと、不安になる。
…結婚の約束までしたんだから、信じても…いいのよね?
一緒になりたいと思う。
早く大きくなりたいと思う、それ以上に、強く。
「ん…、アーシャ、……もしかして、ずっとこのまま…ですか?」
「当たり前よ。普通なら、王女に無礼を働いた罪で、サリューは一生牢獄ね」
「それくらいの価値ならあると思いますよ。何しろ、私が愛せるのはあなただけですから。喜んで危険を侵します」
言葉に曇りがないので、恥ずかしいくらいに真剣に聞こえる。
「阿呆の宰相を持ったわね、ナーセットは」
「阿呆だったら、ナーセットを守りきれないですよ。天才と言ってください」
軽く耳元に響く声。冗談に聞こえる声。明るい声。
「…夢を見てました」
「どんな?」
「説明できません。多分、あまり良い類ではないでしょう。昔の…」
「昔!?」
「…関係ありません。今の方が私には大切だ」
会話を打ち切って、サリューは、グッと腕に力を込めた。
そろそろ離しなさいよお、とのたまう王女の声が耳に入った。
今朝、アーシャが口にしたはずの言葉を、サリューは繰り返した。
「…駄目」
アーシャ並みにわがままに、サリューは言い切った。
このように、心地好いもの、離せるはずがない…。
第19話 end
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