第29話 すれ違う温かな想い
ナーセットの雪はまだ降り止まない。凍るような寒さの日のこと。
アーシェリア王女は高い熱を出して、ベッドで横になって休んでいる。
隣には王妃が、看病についている。
「あら、悪い子ね。起き上がれる状態じゃないでしょう」
「だって、もうすぐサリューが来るわ。必要以上に心配するんですもの」
「仕事が手についていないのではないかしら」
クスクスと、王妃の穏やかな笑いがもれた。
一方、執務室の隅では、硬直した補佐役二名。
「…切れてるなあ」
「いつもこうだと政務がはかどるだろうに」
スイズは、ミルの返答に、ぐるぐると首を振った。
「全力で遠慮したい」
「私達の手には、到底負えないか…」
ぴりぴりした調子で、奥の机に向かっている宰相には、二人声をかけることさえ、ためらっている。
「今朝なんか、大国の熟練大臣を、部屋入って、即座に気迫負けさせたんだぞ。その上、不利だと言われていた交渉条件をのませ、…力ずく、会見を半時で終らせた。小国の宰相がやってのける技量じゃない」
「アーシャ様がご病気だ。あの方が化け物になってもしょうがあるまい」
「わ…」
「…? どうした」
指をさした方向に視線が向く。サリューが立ち上がったのが見えた。
「終ったみたいだ。全然手伝う隙も無かったのに、一人であの分量はこなせないだろう」
「まだ夕方前だが」
スイズとミルの会話の途中で、執務室の扉が、ガチャと音を立てて、静かに閉まった。
「…触らぬ神にたたり無しだ。なあ?」
「そうだな…」
二人、相手の手元を見ると、同じ震えをこらえているのが分かる。
今日、目の辺りにしたのは、若いが腕のいい宰相、ではなかった。
恐ろしく狡猾で、度胸の据わった策略人。
「何者なんだろうな、あの人」
スイズの言葉を借りて表わすなら、それは、切れていた、ということなのだろう。
「ほら、来たわ」
トントンとノックされる音を見逃さず、アーシャが呟いた。
入ります、と早口で、他人行儀な声が聞こえた。
「待ちなさい。執務はどうしたのですか? 放ってきたのなら、許しませんよ」
部屋の中に足を踏み入れた宰相に対して、王妃の厳しい言葉が飛ぶ。
「全て、こなしたはずですが。疑いになるのなら、補佐役達に尋ねられるといい。私、アーシェリア王女に会いにきました」
「そう…」
王妃の顔色が、冷ややかなものから、穏やかな笑みに変わった。
彼の受け答えを見ていたようだ。
ではね、と言って、王妃は、入ってきた青年に席を譲ってあげるように、アーシャの部屋をあとにした。
二人きりになった部屋は、一瞬、緊張が走った。
互いの目を合わせて、ドキとしたからだった。
「えと…起き上がって、大丈夫なんですか?」
「アーシャが起き上がっちゃいけないみたいに言うのね」
「今朝、額に失礼した時は、ひどく熱かったですよ」
「私は、さっさと執務に行ってきなさいって、追い出したでしょ?」
「大急ぎで片付けてきました」
ベッドの横に片膝ついて、サリューは上半身を起こしている王女を見上げた。
ちょっと嫌がるアーシャの額を、引寄せて、熱をはかる。
「熱いじゃないですか」
「そうよ。すごく熱高いのよ」
「…安静に寝てて下さい」
サリューはアーシャを、ベッドに押し戻した。
何だって、この王女は無理をするのだ、という困った顔をしている。
王女の方は、どうしてこの青年はこんなに心配するのだという風に視線を送っている。
しばらくの後…。
「ああ、もう。…壊れます」
意味不明の言葉を呟いたサリューは、確信犯的にとある行動をとった。
きゃ、と王女様の恥かしそうな悲鳴が、聞こえたのが始まりで。
普通なら破廉恥というべきだろう。
ベッドの中でしっかりと抱き寄せようとするのは。
…添い寝、のようなものともいう。傍目いやらしい。
だが、真摯過ぎて、その言葉が似合わないこともある。
サリューは、見つめていた女性<ひと>の頬に、はっとなった。
雫。
「あ…、やはり私…」
「阿呆。違うわよ。…サリューとアーシャは一緒に歩むって決めたわよね」
「はい」
「もっと一緒に居たいわよね」
「……?」
涙の跡に笑みをたたえながら、王女が一言、一言、かみしめる。
「私、あなたを、好きになったから、一緒に、歩みたいのよ」
その人の今も…過去も…あるべきものを、受け入れて、進んでいきたいという決心。
…届かないかもしれない、成長する想い。
とりあえずは、熱で疲れた身体を、愛しい人の傍で休めたい。
抱き締めてくれるだけで、涙が出そうに嬉しい。
馬鹿なことと、分かっていながら、ベッドに添い寝しに来る必死さが、恋しくてたまらない。
そして、アーシャを想ってくれること。
女性<ひと>、として……。
それが、力に、勇気に、…大切なものとすでになっているから。
一緒に生きたいのよ。
サリューは、ゆらりと時間が、ひととき過ぎるまで、見守っていた。
さきほど持った疑問がひっかかっている。
だったら…
「何故、…泣くのですか」
腕の中で、安心したように眠る王女は、幸せな顔をしている。
第29話 end
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