+ 王女と宰相 +


第39話 懐かしいキス

「おまじないに、一回だけ、キスしてもいいですか?」

 上向くと、常になく、緊張した青年が見える。

「いいわよ」

 まだ、背が追いつかないのだから、と、思い切り、つま先立つ。
 ちょこんと開いた脇に、するりと優しく腕が入り込んできて、支えてくれる。
 
 お父様に、私達のこと、ちゃんと話せますように。勇気の、おまじない…。

 瞳を、すと、閉じる。


 そのうち、暖かい唇が降ってきた。
「…………」
 けれど、少し、違和感が浮かんだ。


 ぎこちなく、ゆっくりと。
 キスのようで、キスでない。

 この感覚を覚えている。

 なぞるように、アーシャの唇を辿っている、サリューの唇。
 
 そっと、跳ねるように、離すと、何やってるのよ、と言いたげな視線を送る。
「それが…。思い出してるのです。昔、こうやってたことって、なかったですか」
 サリューは、はっきりとしない記憶で、説明しようとする。今日は、ただ、身体が、ふうっと、そう動いた。

「あるわよ」
「いつでした…?」

 アーシャの顔が、刹那に寂しくゆがむ。
「サリューが、…動いてくれない人だった時よ」 
 それは、遠い昔に思える、まだ浅い過去。 

「え…。私、覚えてないのですが」
「アーシャの大切な、初めてのキスを、ちっとも生気が戻らない男の人が、奪っちゃったのよ」
 再び、えっ、という表情を灯したサリューは、数瞬もたついた。次に、深刻に悩むように、場に固まりついた。
「何てこと…」
 かすれた声が、呟いた。

 細い瞳で、観察するアーシャは、心配なさそうだった。
「でも、お姫様にキスした宰相は、…目を覚ましたのよ。突然でびっくりしたわ。不思議なのよ、その人は、唇の合わせ方もきっと知らなかった。私も、したことなかったのに、いつのまにか」
「ああ…」
 小さい、落ち着いた低い頷きが漏れた、何か分かったみたいに。
 

 サリューは、王女の両の頬を、二つの手で、触れた。
「簡単なことでした。だから、私、動いたのです」
「どういうこと?」

 そうっと、告白するように、囁かれた。

「…あなたを愛そうとしたんだ」

 空虚だった瞳、生気のない身体、それまで死に向かうしかなかった全てが、たった一つの目的を持って、ぎこちなくも、動き始めた。
 生を望んで、思考が、鼓動を打った。
 
 王女を、隣国の謀略から守り、凄まじい手腕で、国の行く末の道を、引きなおした。

 キスした瞬間が、別れ路。

 それが、愛、と名づけていいものならば、サリューはその時、アーシャを愛するために「生き」た、全身で。

 その大きな力が、死をねじ伏せて、生へと導いた。

「唇に残っていたんです、ずっと。あの…感覚、私自身は覚えてなかったけれど、身体はきちんと覚えていたんですね、アーシャとの初めてのキス、だったんだ」
 謎が解けたように、ほっと、サリューは呟いた。
 


「さあ、お父様のところに、行くわよ。心の準備ができてない、とか言わせないわよ」
「待ってください、もう一度だけ、おまじないかけさせてください」
「もう」
 ぷ、とふくれそうになった顔に、優しく降りてくる。

「……ん」

 アーシャは、ゆっくりと唇を合わせながら、急に、瞳の淵に、涙流した。
 甘く、切ない 
 苦しい、塞ぎにも似た、懐かしさ。

 ぎこちない先ほどのキスではない。
 重くて、押しつぶされそうな、丁寧な口付け。

 それが、サリューの「答え」だと気づけて、アーシャは、ぽろぽろとこぼした。
 彼が、再び生きた理由を、過去から現在まで、走馬灯のように辿って。

 ……愛しています。

 今、唇で、全身で、その想い受け止め。



 第39話 end