+ 王女と宰相 +


 解けない鎖 10

 マーセデ宮廷の朝は、…多くの貴族達の期待を裏切る、落ち着いた足音から始まった。
 宰相は、隙も不安さえも感じさせない、貫禄そのものの威風をまとって、宮廷に姿をあらわした。
 どんな顔で、…と噂されていた、当の宰相の表情は、さして変わることなく、むしろ周りの者達の方が緊張して、頬をひきつらせていた。
 宰相の一挙一動に、注目が集まる。皆、彼にかけられている罪状と噂を知っている。…末の王女シアと一夜を過ごした、と。口の悪い者は、…弄んだ、と言葉を流していた。
 どう、宰相が弁明するつもりか、…宮廷中が興味を寄せていた。


 カルナが王に謁見を願い出ると、左右に、…彼の失脚を企む者も、そうでない者も、自然と道を譲った。
 厳とした態度に圧倒されて、誰も宰相に意見しようと前に出る者はいなかった。ある者の顔は、怯えきって、…蒼白だった。
 …醜聞の渦中にいる宰相が、堂々と王のもとへ足を運ぶ様は、…覚悟を決めたようにいさぎよく、また男らしくもあった。偶然の噂を好機とばかりに、宰相を引きずり落としてやろうと謀る輩達は、…その非の無さげな態度を歯がゆく思った。

 広間で王がカルナに問うと、しばらく、重い沈黙が降りた。その次の瞬間、…あっ、と、人々の口から、驚きの声が押し出された。
 
 カルナは、周りの者達すべてが、視線を送る中、…隠すでもなく、王に自分とシア姫の間に成った関係を語った。極めて、正直に。
 …あっさりと、歯切れのよい、肯定だった。

 これには、全員が動揺した。
 …カルナが、事実を認めただけでも衝撃だったが、相手は二十も年下の第三王女、…許されない恋路と言えよう。
「…シアを欲しいと申すのか。分かっていような、自らの言っている言葉の意味を」
「承知しております」
 きっちりとした返事が、王に返る。

 傍目には、…四十路の宰相が、恥ずかしくも素直な告白を打っているように見えただろう。しかも、今まで色恋沙汰に関して浮いた噂の一つも出たことのない固い宰相が、初めての懸想の許しを願い出る。
 このようなカルナの行動に、冷たく鋭敏な宰相のイメージを変えた者もいた。…意外に純粋な部分もあるのだ、…と、珍しさも手伝って、好感を持った女官や一部の貴族は、宰相に同情を抱いた。
 歳も身分も滑稽なほど似合わぬかもしれないが、…シア姫と添わせてやってはどうだろうか、と。そんな風が匂い始める。



 だが、神妙にする宰相の、瞳の奥に、静かな計算の跡を読んだ者は、…そこに裏も表も、政の世界で手抜かりなく経験してきた男の狡猾さを感じただろう。
 同情する者達の、ふわりと優しい表情とは裏腹に、…苦々しい色が、宰相を陥れようと画策していた貴族達の顔に、次々と浮かんだ。

 馬鹿な。
 …正攻法で、醜聞を、純粋な恋愛に変えられては、騒ぎ立てることができなくなる。
 たった一弁で、自分の身を守った宰相を、謀っていた者達は恐ろしく思った。
 もしも、王が、カルナの言葉をそのまま受け入れてしまえば、…それはただの身分違いの恋愛として片付けられてしまう。同情して味方につく者も増える、…カルナを責め立てて、陥れることがやりにくくなってしまう。
 く…っ、と、ある者は焦る。
 …恋で純になった宰相など演技に決まっていると、王に囁こうと、貴族の一人が動いた。
 また、優勢が変わる。

「…カルナ、…どうやらあまり易しいことにはならぬようだな」
「そのように考えられましたか」
「他に何か、言うことはあるか…?」
 間を取って、数瞬、沈黙を生んでから、…カルナが答えた。
「王には、二人きりでお話ししなければならないことがございます。…人払いをお願いいたします」
「よかろう」

 ちょうど、そのようにはからって、…王とカルナ宰相が一つの部屋に残された時だった。

 ガッ…と、カルナは王の襟首を掴んで、至近距離まで持ち上げた。
 主を主とも思っていないような荒い行動で、無礼者っ…と声をあげようとした王を、憤った威嚇の目で、睨みつけた。
「な…」
「…マーセデは、多くの国を侵略と征服によって狩り、…こうして一つの大国になりました。…罪人にならその時なっているでしょう。…二十年、苦節経ながら、この国を治めてまいりました。……申し上げたいことも、多々…あります」
 低く、それでいて、落ち着いた、脅迫するような声音。
 突然の豹変と、威圧に、王は慌て、蒼ざめていく。
「の、…望みは何だ。…お前の働きは、私は認めておる。…何が不満だ…、理由は何だ…」
「シアを、貰います。これで、今までの二十年、目を瞑りましょう」
「何と…」
 唖然とした王の瞳に、宰相のまだ厳しい眼差しが刺さっている。
「欲で動いて、あなたも他の貴族も、国を支える役目を忘れています。…私を消せば、一年にしてこの国は崩れるでしょうな。もっと多くの領土を望んでいるうちに、足元をすくわれて、…惨めに滅ぶでしょうな」
「…カルナ、…お前は、…この国を捨てるつもりかっ」
「残念ながら、…まだ長らく治めることになるでしょうな。ですが、お知らせしたかっただけです。…私を外せばどうなるか。もはやこの国は動かないでしょう。…あなた方の怠慢でもあります。私一人に任せすぎたことを忘れておられる。…シアを貰います」
 グ…、と王の身体を放るように離す。その様子は、非情であるとさえ見えた。静かな怒りのもたらしたものだった。怖気づいた王は、カルナを、必死の形相で見つめている。無礼だ、と、カルナを罰する気力さえない。

「何故、シアなのだ…」
「答える必要がありますか」
「…仮にも父親だ」

 この言葉に、はっとしたのか、睨むようにそれまで王を見ていたカルナは、一言二言だけ、添えた。シアを想っている旨を。

「…分かった。お前を信じよう」
「では…。これからも、治めてまいりましょう、この国を。…何の愛着も無いはずの国でしたが」
「…カルナ。…もしやと思っているのだが、…お前の本当の身分というのは…」
「触れずにおいた方がいいのではないですか。…王女一人で、この肥大化した国を一生治める役目を、買って出ようと言っているのです。…安い買い物では…ないでしょうか」
「…お前…、…カルナ、…ああ、そういう風に考えろと言うのだな。…悪かった、…これから意見にも耳を傾けよう。…苦労をかける。……だが、…シアの件はだな……幸せにしてやってくれ。…あまり縁に恵まれなかった子だ」
「承知しております」
 冷ややかな中に、…ほんの一さじの敬意が混じっていた。
 王が悪い人間ではないことを分かりつつ、非難は積もっていた。
 

 婚姻を正式に結ぶ許可を得たカルナは、…シアを迎えにいった。
 

 + + +

 夜。
 宮廷に設けられた宰相の私室には、二つの人影があった。
 普段なら、誰も入れず、カルナは静かに休むところだったが、…今夜は、寝室にまで人を入れてしまっている。

 カチャッと、寝室の鍵を閉めると、…ベッドの端に座るシアに、カルナは目をやった。

「…あの」
 目がぴたりと合い、見つめられたシアは、恥ずかしそうに頬を染めた。

「何でしょうな」
「…意地悪ですね」
「ほう…。きつい答えですな」

「では…」
「…服をお脱ぎください」

 カルナの率直な返事に、…シアの頬が、更に真っ赤に変わる。
「も…、もっと他に言いようがあるのではないですか」

 シアの隣にゆっくりと腰を下ろしたカルナは、ふくれていそうな姫を見て、言った。
「…ですが。私も以前申しましたとおり、…想った姫を抱くのは初めてなのです。…どうすればいいか分から…」
 少し、可愛らしい音がした。正確な、生真面目な言葉を紡ぐ唇に、そっと、シアの柔らかい唇が重なった。

「…嘘つきですわ」
 唇を離しながら、なじるような声が聞こえた。
「どの辺りが、でしょうか」
「全部」
 ぴた、と、シアの両手が、カルナの頬をとらえた。一瞬、ゾクとした。
 目の前には、シアの顔が、じれったそうに映っている。
 
「…どうすれば良いか分かってらっしゃるくせに。…意地悪です」
「強情ですな」
「……カルナっ」
 拗ねるように、シアが眉をひそめたので、…カルナはゆっくりと姫の身体を抱き寄せた。
 …ちゅっ、と少し音をさせて、姫の腕首や、指先にキスをしてみる。
「昨夜は、よく見えませんでしたが、…随分と細かい傷が増えてますな」
「部屋を…脱走しようとして、ついてしまったのよ」
「……」
「本当に、…これで私の運命も決まってしまうのかと思いました」
 
 あの時、…カルナが来てくれなかったら。
 闇の中でのひどく激しい口づけ、告白…夢のようだった。
 他の王子のもとへ行くなんて絶対嫌。…カルナを失うなんて、絶対嫌…。

「分かりました」
 低い、…真剣な声とともに、シアの視界は、大きく角度が変わった。
 気が付くと、ベッドの中央に、押し倒されていた。

「……ぁ」
「素直になればいいだけかもしれませんな」
 初めは、丁寧な接触だったそれが、段々と、熱をもってくる。
 降りてきた唇と自分の唇を、幾度となくきつく重ねながら、シアはカルナが歯止めがきかなくなっていそうなのを、…なんとなく悟った。

「あの…」
「…何?」
「服…。さっき……、…て言われましたけど、…お任せしますわ」
「…え」
「あの……カルナが、…その…脱がしてくれませんか、…って」
 微笑ましくなるような笑いを込めて、シアが言うもので、…カルナは、はっと我を失いそうになった。
 大好きな姫。…もう心から迷い無く言えるのだと思えた。
 …自由になって、正直で恥ずかしい自分の気持ちと、過去から断ち切った鎖。

「…よろしいのですね」
 紳士然とした、言葉遣いだったが、…実の歳には似合わぬほど、激情が見え隠れしていた。
 
 

 + + +

 マーセデの宮廷では、その年、つつましやかだが、末姫の婚礼の儀が行われた。
 黒髪の美姫と謳われる、シア姫は、…ちょっと年の開きはあるが、割と優しい宰相と、なかなか幸せな結婚生活を送って、…翌年には第一子をもうけたという。

 …その子がナーセットの王女シェルシーとの間で、繰り広げることになる、運命の争いについては…、…また別の話で。

 end