解けない鎖番外 マーセデの宮廷で、二人の関係が露わにされた後のこと。 相変わらずシアは執務室を日毎に訪れ、カルナ宰相の暇を盗んでは、傍らにいることに幸せを見つけていた。 日が過ぎるにつれ、無邪気なまでにカルナへの愛情を正直に示していくシアだったが、…宰相の方はあくまで冷静で堅かった。というのも、彼が、姫との恋愛にのめりこんでしまっている様を見せれば、…マーセデはすぐさま陰謀競って崩れただろうし、彼が関係を認めた後も、しっかりと治めているからこそ、…その恋愛は許された。 姫が熱くなればなるほど、その傍で、宰相は足元が崩されぬよう、配慮して、やまなかった。 結婚するまでは…姫と宰相の立場でいましょう、とカルナが固い口調で言い切ったので、シアは、不満そうな表情をした。 つまりは、宮廷という公の場では、恋愛関係など、ないように振る舞います、ということだったが、…シアは納得がいかなかった。 口を開けば、どうしてです? と反論してきそうな顔をしていた。 問われれば、カルナは、すらりとシアを言い負かすよう答えただろう。彼の職業は、姫の口の一つや二つなど、軽く閉ざしてしまえる、恐ろしく狡猾な言葉を操ることが毎日だ。 …抗っても、いいように言いくるめられてしまう。 シア姫は、カルナがそうするだろうことを悟って、ムッとふくれた。 「…何故です? お父様も許してくれましたし、宮廷の者達も皆知っていますわ」 「私は、この国<マーセデ>の宰相です」 必要ならば、…恋愛は邪魔だ、とでも続けそうなカルナの冷徹な声が響いた。 宮廷では、自分より二まわりほど若い姫に目を奪われている姿など晒せないのだろう。 愛はときに、国を傾かせる。そのことを重々承知している者は、裏はどうあれ、表は神妙に振舞う。 「私、…我慢できません」 「していただかなければ、なりません」 「……」 カルナを見上げたシアの瞳は、うるみそうに弱っていた。本当に、感情のまま、彼に問い詰めてしまいたくてしょうがない、そんな瞳をしていた。 これが、色恋に慣れた、大人の姫君ならあっさりと割り切って、退いただろう。だが、…シアは、他に経験などしたこともない、…純な姫である。宰相の意図を分かりつつも、心でなじり倒していた。 …どうして? と。 恋人同士の甘い時間も、甘い夜も、…まだまだこれから、…ずっと憧れて、期待していた。執務室で…とは言わないから、…きっと優しくしてくれるものだ、と、甘えた考えで、いた。恋人同士ですもの。 それを、宰相は、こともなげに突っぱねたのであった。 シアは、むきになって、カルナにかみついた。天下の冷厳宰相に、子供っぽいような感情の嵐で、言葉を繋ぐ。最後は、言いくるめられることを予想しながら、シアは必死に、主張した。 …痛くて仕方のない、叫びのようなものだった。 …私はあなたと一緒にいたいのです。それが、できないのは嫌。…愛して欲しいのです。 愚かなくらい一途な声は、宰相の落ち着いた態度に、変化をもたらした。熱と情を込めた刃が、彼の胸に突き刺さるように。丸め込んでしまおうという、彼の思惑に、少なからずヒビを入れた。 「いけません」 「どうしてです?」 大きな声で、シアは、はっきりと問うた。自分の問いに、一点の曇りもないと主張するように、真っ直ぐな視線をカルナに送った。 カルナは独り言を呟くように、低く、声を押し出した。 「…この国を、姫のせいで滅ぼして良いのならば、…ご自由に」 「構いませんわ」 「…っ」 返って来るはずのない、大胆な答えに、カルナはしばし口を塞いだ。シアの表情を見ると、冗談を言いそうにない真剣さが見えた。…この姫は本気だ、とカルナは思った。 じれったくなったのか、シアは強硬手段に出た。ソファに座る距離を思い切り縮め、勢いよく、宰相の胸元に身を飛び込ませた。 誘惑するように、と言えば、姫の性格が疑われるが、相手の調子を乱そうという思惑がなかったわけではなかった。 「姫…」 残る自制心で、シアを咎めようとするが、…大人っぽい色恋の仕草を真似する未だ熟さない少女の一生懸命さを感じて、…離せなかった。 …一瞬だけ、強く抱き締めてしまった。 「…カルナ、…できるじゃありませんの?」 宰相と姫の立場なんて、…今、壊れているのではないですか、と。…これでは、ただの、男と女でしょう、と。 ……。 彼は、うっすら頷いた。 表情は冷たいままだったが、内心墓穴を掘ったと思っていた。 …シアに、心の様を、動揺を見透かされたようだった。 必要以上に、互いの身体を密着させていると、言葉以外のもので、相手を知ることができる。…逆に言えば、知られてしまう。 …恐れも、不安も。 カルナも人間で男であるから、持っていないはずはない。ただ、それが、見えやすいか見えにくいか、で。 シアと結ばれてからも、悩んではいる。それを決して姫に悟られまいとはしていたが。 …恋人同士という単語に、違和感を持ってしまうのもそうだが、…マーセデの末姫であるシアにたまらなくそういう欲を持ってしまう己に、…戸惑っていた。未だ。 キスを重ね、…身体もともにする。率直に言えば、…そういう関係になった。 他国では、色恋によらず、若い美女を囲っていると噂される宰相達もいたりするのだが、それならば、まだ納得できた。誤解を生みそうだが、…カルナからすれば、必要悪だった。女が、愛人と名づけられるそれならば。 だが、…恋愛という言葉が混ざると、…途端に、混乱する。 相手は、…仕える国の、末姫。肌を重ねたのは、…やましい感情からではなかった。自分でも時折恥ずかしいと思うが、愛情という単語のなせる業だった。 怖かった。…それまでの常識から外れて、シアを愛していく自分が。 「……え」 突然、抱き抱えられたシアは、びっくりした。そして、自分を優しく包む腕が、休憩間の方へと入っていくのを見て、…もっと驚いた。 大胆というより、…大人で。 「姫」 「…はい」 「宮廷では、…先程のこと、守ってくださいませんか」 姫と宰相の関係で、と。 まだ言うのか、と、シアは表情を曇らせそうになったが、その次の言葉を聞いて…、わ…と喜んだ。 …誰もいない間は、恋人同士でも構いませんから。 控えめな低い声が、耳元で囁かれた。 ゃ…と、シアは声をかすらせた。不意に降りてきた口づけは、的確に、塞ぐ場所を探し当て、それから執拗に、離さなかった。熱い上に、口内に、もっと激しい舌を挟まれて、キスというよりは、それ以上の接触で。 吐息が互いから漏れ始めて、…シアは耳まで赤くした。 しっかと、両腕で抱き込まれた身体は、休憩間のベッドにくず折れて、…恥ずかしかった。 口づけが、絶え間なく注ぎ込まれる…。 + + + シアが、眩暈のしそうな熱情から解放され、はっと気づくと、先に起き上がって冷ややかにも見える顔をした宰相がいた。 「これ以上の我侭を言われるおつもりですか…?」 先程、押し倒した男の言と思えぬほど、改めた言葉が聞こえた。…恐らく、これも彼の本音の一部だろう。…それまでの愛の行為も本音であったように。 ごめんなさい、とシアは思った。固い言葉で返されて、厳しく言われて、…そっとカルナの表情を眺めていた。 きっと、自分には考えもつかぬ次元で、物事を計っているのだろうと思う。自分の浅い思考で語る主張は、彼には面倒ごとかもしれなかった。…カルナが、だいぶ、シアに譲ってくれている部分があるのは知っている。だいぶ甘えさせてくれている部分があるのも事実だ。だけれども、…姫と宰相でいるには、…彼を愛し過ぎていた。無理ですわ、…そう言って、自分の意見を押し通した。宰相には政治的な面などから不都合な部分があるのだろうけれども、…姫には不可能であったから。 一度、愛を経験した心と身体は我侭で、もっともっとと求めるのだった。…だんだんと、大胆に、思いも寄らぬほど、希望と要望を出してしまって、我侭でしょうがなくなるのだった。 …年上の宰相ほど、自制がきくはずもなく、…初めて知った恋愛の喜びに、…若い姫は、純粋であった。 「だって…」 「愛してはおります。…それだけは忘れないで欲しいのです。…シア。…我侭は、お互いさまでしょうな。…」 「今、なんて…」 午後から会議が…、と逃げた宰相は、シアに言葉を紡ぐ時間を与えず、執務室の扉を開きに行った。 鍵が開いた執務室には、…長い間、ふくれたままの頬を染めた王女が居座っていたとかいなかったとか。 end |