泡沫の肖像4 懐かしいナーセット王宮。 運命は皮肉なもの、と、くっと分からぬよう笑いながら、絨毯を踏む。 二度と来ることはない、と、決めたはずなのに、驚くほど、足を運んでいる自分の裏切りに、苦く笑いたくもなるのだ。マーセデの宰相カルナは、迎えに出て来たサリューへの挨拶も簡単に切り上げ、用意された客室へ早々と姿を隠した。 ナーセットとマーセデ、二国の快い国交を。このような用件で、王宮へ滞在することも増えた。もちろん、望んだのはナーセットの方で、その裏に、王や、王妃の思惑が見え隠れしているのも知っている。 マーセデと友好な関係を結べば、小国のナーセットのこと、今の立場が良いよう見直されるだろう。悪い話ではない。だが、それだけの外交上の利得で、熱心にマーセデと繋がろうとしているわけではなかった。 狙いは別にあった。もっと、個人的な。人間的な。 マーセデの宰相が、カルナであったからだ。 わけあって身分を捨てた自分に、ナーセットの王と王妃は、ことあるごとに、しつこく絡んでくる。 毎月、手紙を送ってくる王妃、病床にありながら宰相のサリューに国交問題を指図している張本人であろうナーセット王。 呆れるほどに、執拗な二人は、カルナの過去の中で、忘れようもできない位置を占めてしまっている人達でもある。できるなら、放っておいて欲しいのに、そのつもりもないと見せつけるように、本当に騒がしく手を伸ばしてくる。 今日は、会談の為に招かれたのだから、余計な人物に会わなくてもいい、と自分に言い聞かせる。ナーセットの城に入ると、落ち着かない気持ちになるのも正直なところで、その理由は、おそらく、例の二人にもあっただろう。 王妃ならば、何度か顔を合わせてしまったからいい。シアと結婚する前には、わだかまっていたものもいくらか解けて、半ば穏やかになったように思う。苦手ではあるが、何とか、攻撃をかわせる相手ではある。 しかし、……ナーセット王とは会いたくなかった。王宮に来ると、苦い気分になるのは、その対立が終わりないせいもある。全く、昔のまま、時間が止まっているのだ。 ずっと避けていた。 カルナが、まだ、その名前を持っていない頃……、兄であったその人はただただ優しかった。弟には、すこぶる甘い、兄王子であった。 『レイスが、このナーセットの宰相になってくれるなら、大丈夫だな。私が国王になっても、全然心配ない。安泰だよ。なあ、そう思うだろ? お前がいてくれれば、きっとこの国は、揺らいだりしない。隣国セルシュが何だ、他の大国が怪しい動きを見せても、きっとお前が助けてくれる。こういうのって、頼り切っているというのだろうなあ』 明るくてのんびり屋。けれど、よく見るとしっかりしている兄。弟には、他人に見せないほど甘いので、たまに、冷静で抜け目ない一面を忘れてしまいそうだった。世継ぎが果たさなくてはならない役割はそつなくこなしていたようだから、外に向けていた顔は、もっと厳しかったに違いない。ただ、記憶には、兄の甘い顔ばかり残っている。 兄弟仲は普通だった。ただ、兄の方が、王宮内外に噂として広まってしまうほど、弟を可愛がっていた。一部では、弱点のように言われていた。 『言いたい奴には、言わせておけ。な……?』 寡黙な弟に、大胆に微笑んで、勢いで頷かせる兄。多少強引な笑顔さえ絵になる男だった。 慕う気持ちがなかったと言ったら、嘘になる。兄が即位したら、宰相になることに、何の疑問もなかった。助けるつもりでいた。 ……だが、それも兄の婚約者を見せられるまでのこと。横恋慕した弟の運命は奇妙にまわりだしてしまった。 +++ 壊れた関係を修復できる期間はとうに過ぎている。 向こうが会いたいと願っても、こちらは願い下げだった。 意地ではないと、……思いたい。一体、何十年の歳月が経っているというのか。 ………………。 会談までには、時間がある。部屋でゆっくりしていればいいものを、カルナは、久し振りに訪れた王宮に、惹かれしまっていた。 案内されなくとも、どこを曲がれば行きたい場所へ通じているのか知り尽くしているその場所を、そっと歩いてしまう。 過去に捨ててきたものだからこそ、強く思いが残っている。憑かれたように、廊下を奥へ奥へと進む。 本当の自分を知っていた場所。城。 王の弟は、昔死んだことになっているはずだった。 今の自分は、別の身分と名前をまとって、城とは異質のものだとしても、記憶が全て死んでしまったわけではない。覚えている。それは、カルナが過去に未だ振り回されていることを、図らずも証明してしまっているのかもしれなかった。 『レイス』 空耳に、どきりとしてしまったのもそのせいだった。兄の声が聞こえた気がして、立ち止まった。二三度、辺りを振り返るが、風の音がするばかりだった。誰もいるはずがない。城の中で、数名だけが知っている秘密の場所だから。 入り口が巧妙に隠された小部屋は、昔のまま。カルナが青年だった頃、記憶に残っている光景とさほど変わってないように思えた。 王子達の遊び部屋、またはいたずら部屋だったその場所は、過去の様子をそのまま留めていた。持ち込まれた本や、本への走り書き。カルナはそれらに静かに目をおろした。 ときに無茶をする兄は、言い出したら聞かずに、弟に約束させるために鉛筆で誓約書の真似事をさせたこともあった。手に取った本にあったのはそんな昔の書き込みだ。子供のようだ。ナーセットの宰相にしかならないと誓いなさい、と、兄の文字でみえる。その下に、そんな文章では誓約書になりませんよ、と弟の冷静な文章が続く。そうか、とぼやくような兄の走り書き。サインしません、と弟のそっけない筆跡。 その続きに、拗ねたような、兄のいたずら書きを見つけた。 「レイス」 空耳。 はっとして、カルナは振り返った。普段見せない怯えたような表情だったかもしれない。誰もいないと思っていた扉の先に、もたれかかった男を、はっきり目にして、動揺した。病は重く、立ち上がることも困難なはずでは。そう聞いていたので、男が現れたことが信じられなかった。幻か、と、幾度か考えた。目がおかしいのか、と、自分の記憶と精神を疑った。あまりに思い出し過ぎたから、見えてしまったのか、と。 だが、男が、つかまっていた扉の端から、倒れそうになったので、現実だと、はっと自覚し、支えようと身体が動いた。とっさの出来事だった。 抱えた感触は、やはり病人だった。 「はは……悪いな。妃に無理を言ってここまで連れてきてもらった」 「……」 「怒っているのか」 顔をあわしたくないという風に、わざと横にそむけるカルナに、ナーセット王はゆっくり声を紡ぐ。身体は一人では支えられず、カルナの世話になっている。腕を借り立ち上がっていたが、やがて下半身からゆっくりと、床に降ろされる。腰から上だけを、カルナが、形だけ支える。 「また無茶をされる」 小さく、奥からしぼるように声がもれた。 「ああ、悪かった」 「王妃に早く運んでいただいて……」 「せっかく、お前と話せるのにか」 っ……、とカルナの舌が震えた。相変わらず、顔は見る気にならないが、笑っている気がする。きっと、微笑んでいる。そんな人だ。 切り抜け方なら、何通りも思い描ける。無視するも、逃げるも、自由だ。 だが……。目を閉じる。焦り始める。逃げられないと思い始めたからだ。 さきほどから、腕をぎゅっと握られているのが分かる。 まっすぐだ。カルナが、曲がって避けようとするのに、兄はすっとまっすぐに向かってくる。 だいたい、歩けないのに、こんな風に現れること自体、無理矢理だったのだ。 いくつだと思っているのか。病に倒れて何年経ったと思っているのか。 弟と別れて何年経ったと…………。 「レイス、悪かった。私はお前に謝ることがたくさんあるな。シリーンのこと。サリューのこと。そして、私自身のこと。どれもお前には辛いことだったと思う」 「……」 「聞いていてくれるだけでいい。憎んでいるだろうから。私はお前から全て取り上げてしまったようだ。追いつめてしまったかもしれない」 「……」 「それでも、いつまでも私はお前の兄のつもりだよ。お前は認めないだろうが」 さらりと言う。恥ずかしげもなく、正しいつもりで、まっすぐに。甘かった、昔のあの人そのままに。 ちらりと、王の顔を見てしまう。やはり微笑んでいる。そういう人だ。 視線をそらして、カルナは王を、そっと抱き上げようとした。 「いいのか」 「話がみえません」 「いいや、何でもない。……ただ、やけに優しいなと思ったまでだ」 「私は、他国の王を、このような場所に放置するほど、失礼な男ではないのです」 いい大人が、と思う。変わっていない。……全然変わっていないと思った。 抱き上げるときに、また確認する。 この状況を楽しんでいるような、兄。呆れるほどに、まっすぐ前向きな病人に辟易する。 きっとこの王の下で、宰相の位についていたなら、……また違った運命が開いていた。 しかし、その位置には今、元弟子のサリューがいる。 運命の皮肉か。 「サリューのことは、許してはくれないか。詳細は言えないが、あの男を見たとき、お前と重ね合わせた。まだ記憶も言葉もうつろな男を連れ帰って、宰相にすると決めたとき、お前がこのナーセットの宰相であってくれたらなあと、ずっと思っていたから。まあ、聞き流してくれ。……似ていたのだ」 「身代わりですか、サリューは」 冷たく、言い放つ。多少の、嫌味でもある。 「そのようなつもりはなかった。ただ、……弟を見るような目で見ていたかも知れないがな」 「……やはり、身代わりではないですか」 「サリューはお前ほど、頑固ではなかったぞ」 「……」 黙ったカルナに向かって、ふふと笑う王は、楽しそうだ。 「もう行くのか」 「会談の準備がありますので」 「そうか」 王を私室のベッドまで運ぶと、カルナは役目は済んだとばかりに、立ち去ろうとした。疲れた。どっと疲れが肩に降りた。もう御免だとくるりと後ろ向く。 「ありがとう」 声が聞こえた。けれども、振り向かなかった。理由も思いつかなかった。長すぎたため。ひびが入りすぎたため。 あ……。と、扉を開いた先で、声が聞かれた。相当驚いた顔で、数秒ぼうっとカルナの顔を眺めていた。 「王に呼ばれていましたので、まいりました」 サリューはそうこたえると、カルナに一礼して、交代するように、王の私室へ入っていった。代わって、カルナが部屋から出る。 閉まった扉を、カルナはじっと見ていた。 まあいいか、と、扉から視線を外す。 その日の会談では、サリューはカルナから酷くしぼられたという。理由はさだかではない。 end カルナ宰相とナーセット王様のお話。この辺の話はまだ続き書いてないですけど「過ちに降り注がれる祈り 」に繋がります。お兄さんはブラコンだと思います……。 |