語られない昔話
ナーセット王宮でユーシュリーと言ったら、上は王から下は門番兵まで全てに知られており、悪く評すものはない皆お気に入りの女官だった。
明るく、おっとりとした容姿からは、想像できないくらい威勢の良い声を出す女性で、朝の彼女の挨拶は、まだ少しぼやっとしていた衛兵など一発で緊張させる効果があった。
おはよう、と、誰彼なく、公平に声をかける王宮の花。
文字通り、ナーセット王宮に、朝を呼び込む元気な乙女、その姿に憧れを抱くものも多かったという。
自然、もらう手紙もいっぱいであったが、不思議と恋愛ごとの噂が出ない娘だった。
実際は、処理されていたとも聞く。やっきになって恋愛話を潰していたのは、ナーセットでも一二を争う影響力を持つ、公爵家の当主であったと信じる者はたくさんいた。
王宮の花は、手の届かない高値の花でもあった。
……公爵令嬢が父と仲違いして家出し、王宮に女官としてつとめている、その令嬢とはユーシュリーだと、皆、暗に知っていた。
そして、それからはまた別の話に詳しく。
意に沿った相手と、公爵を渋々納得させて結婚することが叶ったユーシュリーは、家庭に入ることを理由に城から退がることを願い出た。
その時、王宮はいつになく騒がしく、惜しむ声もくどいほどあがったらしい。
「だから、その手の昔話はもういいだろう」
スイズの表情は明らかにぴくと引きつっていた。執務室も宰相不在だと、ときどきこういった補佐役同士の雑談も聞かれるようで、それにしても今日のミルの話にはびっくりした。いきなり何の話をひっぱりだしてくるかと思ったら!
相方以外からなら、幾らも耳が痛くなるほど聞いた。上司である宰相からも、からかいがてらにその話題はぽろっと漏れることもある。
何しろ、王宮の花を持ち帰った男は、この補佐役の片割れであるから。
もう数年も前の話である。この幸せ者め!と未だ声をかけられる。一向に薄くならない王宮の男どもの記憶には、多少執念を感じるが、スイズ自体王宮での反応は悪くない男だから、そのうち、ユーシュリーとの結婚も自然な流れと受け入れられていくだろう。
他の者達のことはいい。恋愛の話など、口の先にのぼらせることもないミルだからこそ、スイズは思うところがあった。何故、ユーシュリーのことなど持ち出したのだろう。
ミルは、恋愛ごとに興味がないというより、あえてその話題はさける傾向にある。人の恋であれ、他人の恋であれ。もちろん、スイズが大変なときには、ミルもユーシュリーを訪ねたり、双方の橋渡し役になったり協力したのだが、自分の方から積極的に関わろうとしたわけではなかった。
その理由は。
明るいものではなかった。心の傷ともいうべき痛みであった。
一人の女性のこと。
ミルの過去は、できれば、そっとしてやりたい。
+++
暗く焼き付いている光景。
墓の前で、たたずむ男は、喉をふるわせながら泣いていた。そんな光景をいつか見た。
恋人が亡くなった日、あれは別人だった。
ミルは、公務を丸一日休んだ。
どこに出かけたかはわかっていたから、サリュー様に早めに仕事を切り上げる許可をもらって、様子を見に行った。
うすうすは気がついていたが、詳細はその日、初めて知った。
その時分、サリュー様とアーシャ様の仲を手を出して支えつつ、見守っていた、その裏で、ミルは自らの恋もかけひきしていたのかと思うと、彼の背負っていた重みにぞっとした。
一言で言えば、身分違い、……その言葉で父親は片付けたらしい。
ミルのことだから、必死に抗ったのだろうが、……行き着いたのは娘の死だった。
死の理由はおそらく、……なのだろうか。
墓場で見かけたミルの姿から、娘は恋愛を苦にして自らが、またはそう差し向けられたような、そんな匂いを感じた。あんなに感情乱した姿など今までに覚えがなかった。
たまに、むっとなって怒ることもあるが、そんな感情の放出とは訳が違う。声をくぐもらせ、静かに怒り、悔しそうに泣く姿などもう見ることもないだろう。
駆け落ち、って考えたことあるか……? と、ふと何の脈絡もなく、尋ねたことがある。多少、嫌がった顔で睨まれてしまったが、ミルは優しくごまかしていた。この話題は禁止だった、下手すれば信頼関係も親友関係も何もかも壊してしまいかねない、致命的な秘密ごとだった。
父子間の仲は断絶したらしい。身分を捨てていないのは……これは仕事のためなのか。
翌日、王宮に顔を出したときには元通りだった。
サリュー様は、もちろん、何も気がつくはずはない。全て自分でおさめようとする奴、ミルもそういう男だった。
+++
「この前、ユーシュリーに聞いた」
「へ? 何を」
ぽかんと、言葉を返したスイズは、それからふっと思い起こしたようで、ぱっと片手で口を塞いだ。
ミルは、笑いでも含んでいるかのような、珍しく意地悪な話し方だった。
「来年くらい、お前も父親になれるのではないか、という内容だった」
この話を振るために、ユーシュリーの話題をし始めたのかと考えると、何となく納得がいった。私が父親とか、そんなことより……
おめでとう、と。
ミルの唇がそう告げる。
「あ……」
スイズの頭が真っ白になる。ありがとう、と素直に言えない。
どうして、どうして、…………。
そんなことよりお前はどうなんだ?
王女と宰相を見守り、傍らの補佐役の幸せさえも見守り、お前自身はどうするんだ……。
「何を考えているか、よくわかる顔をするな」
「だって……しょうがな…」
「仕方ないだろう。サリュー様もお前も、私にとって大事な存在なのだから」
真顔で言うには少々恥ずかしい台詞をさらりと言ってのけて、ミルは小さいため息をついた。
ばかやろう。
大丈夫だから。
声が重なった。両者譲らない気勢だった。その時、宰相が執務室に戻ってきた。はっと、振り返った二人は一端ぴたりと口を閉じた。
かたっと、と落ち着いた音。補佐役は、いつもと変わらぬように、宰相に話しかける。
「サリュー様、遅いです。待ちくたびれました。寄り道し過ぎですよ。シェル様のところへ行かれていたのですか? どおりで待っても待っても来られないと思っていました。私達の方も話が盛り上がっていただろうと言いたそうですが、別に大したことは喋っていません。どんなことを、と興味を持たれましても答えられません。スイズに話しても一緒です。まったく……。あえて言えば、ええ……ちょっとした……昔話を」
本当にもう語られない昔語だから、とミルは、心静かに胸のうちに仕舞った。
end
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