+ 王女と宰相 +


新婚・片想い (after)

『馬鹿。…あなた、私に記憶を戻すためなら、どんな愚かな真似でもしそうよ』

 そのつもりです。
 思い出してくれるなら、何でも。

 未だ暗示のかかったままの妻を、抱き抱えて私室に移る。こうなったらむきになる。……馬鹿だなとも思う。でも、それほどに、腕の中の女性は大切な人だった。早く目覚めて欲しい。

 
 数刻の眠り。数刻の迷いだったかもしれない。悪夢の中から、アーシャは腕を這った。……記憶にない人のことを考えて苦しむって、どういうことかしら。急に頭が重くなって痛んだとき、苦しくてたまらなかった。すうっと、意識が遠のいたとき、……熱く心が燃えた。
 
 顔が赤く染まる。

 気がつくと、アーシャは宰相の腕に捕まっていた。
 わっ、と慌てかけたが、それを表にだすまいと、心の中でドキドキしていた。
 後ろからアーシャの全てを覆おうと触れてくる背中は、心地良く、何故か懐かしい、おなじみのものに思えた。安心してしまう、温かさだった。
「声をあげないのですね」
「変態」
「……アーシャ」
「分かってるでしょ? まだ記憶がないのよ、あなたのこと。そ……ね、馴れ初めは?」
「……は?」
「どこで出会ったのよ、私達。きっかけは?」
「語れ、というのですか……」
 思わず、サリューは口をついた。まさか、本人に、思い出話を尋ねられるとは思っていない。だって、知らないんだもの、とアーシャは続けた。
 えっと、……と多少照れつつ困惑気味のサリューは、アーシャを抱きながら、知らず体温を熱くしていた。頬の熱を自分で感じるくらいであるから、よほど、コントロールが利かない状態であったに違いない。
 普段本人にも言えないことを、……どうやって話せばよいのか。
 悩む。
 確かに結婚した……はずであるのに、サリューは、片想いの青年のように精一杯だった。
 

「どちらが先に好きになったのよ」
「……」
「聞こえないわ」
「……多分、私の方です。すごく小さい女の子を愛してしまって。それが13歳の異国の王女様でした。……本当いうと、いけないのは分かっていました」
 白状するように、サリューはぽつと言うと、どっと疲れを覚えた。唇が震える。
「何だか危ない話を聞いているようにも思えるけど。いけないってどうして? 年齢かしら」
「いえ。私にはいろいろ事情があって」
「諦めようと思ったの?」
「それは……なかったです」
 サリューは、アーシャの身体をぎゅっと包み直した。
 汗の滴が、つうと手の甲を流れる。極度の緊張が、喉をからからにしていた。
 ほんと、助けてほしい……・。

「ふぅん。必死なのね」
 背中から、嫌でも伝わってくるものと合わせて、アーシャは頷いた。……恋して、愛してくれる人の気配が、ひしひしと感じられる。
「好きなのです。だからこうして抱いていたいし、……私が独り占めしたいのです」
「……そんな恥ずかしい台詞、いつも言ってるの? 呆れた」
「言っていませんよ。……ああ、だから」
 肩に、サリューが顔を置いてきた。アーシャはびっくりしたが、そわと一回肩をあげかけただけで、そのままにした。
 その時、やっと、自制できないくらい取り乱してるんだ、と解った。壊れてる。同時に、かわいい人だと思った。
 撃沈している。緊張の糸が切れたように、サリューはアーシャの小さな肩に顔をうずめていた。
  ……
 それはもう、可哀想なほど、静かな光景だった。
 すごく今、この人正直だ……、とアーシャは思った。
 どうしても、どうしても、好き。
 エゴと思いやりと、人なら誰もが持っている熱さが、肌を通して素で伝わってくる。
 
 
 寝息がきこえる。
 そういえば、アーシャが記憶を失ってから、落ち着いたことなどなかったのではないだろうか。ずっと、心配して、気を遣い続けてきたのだろう。宰相としての仕事もあるだろうに、……大変だったのではないだろうか。
 ……
 わがままばかり言っている。
 わがままが止まらない。
 ねえ、サリュー……。

 こんな私でいいのかしら……?
 
『アーシェリア王女、夫が愛してくれるかどうか、心配ではありませんか。素敵な方法を教えてあげましょう』
 パリン、と、頭の中で、言葉が砕け散った。
『あなたは大切な人を忘れる』
 あ……。     
 ……これが、……暗示だったんだ。
 アーシャも、疲れたように眠りに落ちていった。
 
+++

 どれほど経ったか。背中で動かない男性を揺り起こすように、アーシャは肩を震わせた。

「な……何ですか」
「サリュー。ええっと、……戻ったわ」
「意味が理解しかねるのですが」
「記憶が戻ったわ」
 不意に、涙が見えた。
「……え」
「私が悪いのよ。キルアンの王女の言葉を真に受けて暗示にかかってた。サリューにも、皆にも迷惑かけて、……ごめんなさい。罰が必要ね」
「ちょっと、待ちなさい」
 補佐役達に、明日の仕事も任せられるか、などと思案しながら、サリューはアーシャを膝に乗せ、強く抱き留めてやる姿勢になった。
 
「私……」
 ……許せ。スイズ、ミル。  
 私はアーシャの傍にいてやりたい。……すまないが、嘘をつく。
「まだ、落ち着くまで、部屋の外には出せません」
 もうすれ違うのは嫌だ。

「片想いから始めましょう」
「……え?」
「明日一日政務を休むことは内緒です。記憶が戻っても、……私を疑ったり、不安だったりするアーシャは嫌ですから。それでは一緒ですから。……今から振り出しに返って、私の思いを知ってもらえばよいです。今から告白します」
「サリューっ……」
「そして、一日で夫の座まで戻ってみせますよ」
 囁かれる愛の言葉にアーシャは、……この人を忘れることは二度と無い、と思った。
 忘れられないもの。

 思いっきり、愛している、と言い返してみよう。


 後日、記憶を取り戻すのに三日かかったと、王宮関係者は知るところになるが、本当のことは夫妻だけが共有している。
 

end


afterとしていつか書こうと考えていたら、とんでもなく遅くなりました。3の最後の方に繋がる話です。