+ 王女と宰相 +


 王女と二人のお相手1 (裏おうさい)


 
 困難というのは、忘れた頃に降りかかってくる。

 シアと契る前は、どこか良き相手に委ねられれば、と思っていた。適当な国の王子にでも。
 それが、宰相である自分の役目でもある、嫁ぎ遅れた姫君のために精一杯ふさわしい男を探すとよかった。
 姫はさほど器量が悪いというわけでもないし……というよりも美姫であるし、世間慣れしていないのが心配なくらいで性格はいたって素直、優しくて気持ちいい……一緒にいて安らぐ存在であった、これは個人的な感想がまじっている。

 姫に恋う男が他にいてもおかしくない、と……何故今まで考えられなかったか。
 元弟子のサリューでさえ、マーセデにいた頃は、シアにほのかな恋心を抱いていただろうに。
 ライバルが一人もいない方がおかしいのだ。
 たとえ、相手が、この国で王を除いて一番の権力を行使する宰相であっても、……若くて、美しく、力強い青年であれば勇気を持って「待った」を掛けてくることだってあるのだ。

 今更、他人に渡せと言われても、できやしないのに…………それはやってきた。

「何…………?」
 最初は、文官が耳に入れてきた、宮廷の噂話だった。
 近頃、シア姫はとある青年と懇意だと。
 ちなみに、王女との関係はまだ公然の秘密であった為、世間話のように話は振られた。比較的仲の良い中年の文官が気を利かせてくれたのだった。
「はい、王女はその方と共におられることが多いとか」
「そうか」
「最近、忙しくされておりますな。……多少はどうでしょう」
 睨まれて、文官は、ゆっくりと首をかしげた。びくともしないのはカルナより数歳、年齢を重ねているからだろうか。大丈夫ですよ、と穏やかな笑みを見せる。
 噂では、まるで忙しい宰相のせいでシアが他の男になびいた、と言わんばかりだ。それ以外にも理由はあろうが、いかにもひどい醜聞だ。
 
「素性は分かっておりますよ。元レスタイン王国の王子、今はあの土地の……現領主の息子、という身分ですがな」

 ああ、と納得の相づちを打つ。
 あれはいつか併合した国の王子だったか。
 名前は覚えていないが、軽く目眩を覚えるほどの美貌を誇ると噂されていたことがある。大陸随一の美男子、らしい。記憶がおぼろげなのは、その王子に関する情報が、容姿に関することだけで、どのような性格か、人物か、他のことは抜け落ちているからである。要するに、それだけの人物だったからかもしれない。
 いや、はやまった考えだと制止する。
 カルナは明らかに焦った自身の思考に歯止めをかけた。
 相手を故意に悪く見ようと誘導していく、この気持ちは…………これは、…………嫉妬だ。
 見目麗しい王子と、今の自分を比べ合わせて、……動揺している。
 世間一般に、分かりやすく配置してみれば、権力を持った老いた宰相と、まだ若い美形の王子…………どちらが姫の相手役か、悪人役か、明らかだろう。

 今までは、ライバルもおらず、二人だったからこそ、カルナも大胆にシアの手を取れたのだ。
 他にシアの手にキスしようとする者がいれば、……惑ってしまう。恐れてしまう。
 

「ありがとう」
「一つ、お伝えしておきますと、あの青年はあまり……何というか、あなたより姫想いではないかと」
「…………余計なことは言わなくていい」
「そうでしょうな。分かっておりますが、……まあ一応我が国に関わることですので」
 ぺこり、としたたかに頭をさげて文官は行ってしまった。
 
 一人になると、どっと疲れが襲ってきた。文官の前では抑えていたが、震えと焦りが同時にうずまいて身体と精神をおかした。シアのことでこれほど動揺してしまうとは思っていなかった。 

 冷静に、客観的な視線を送れば、自分はただの四十路の、中年男性である。相手の王子が持っているような若さも、美貌も、……おそらく勇気も、ない。歳を重ねて得た落ち着きや狡猾さが、果たして、それらに変わりうるか。

 考えかけて…………やめた。

 こうやって、考え続ける方が、みじめなことに気がついた。哀れで無様だ、……若者と並べあえないのに必死になって自身をごまかそうとする………おとぎ話の意地悪い宰相のようではないか。脇役の、大抵悪いことを企んで、年若い王子にしてやられる。
 少し見劣りしてしまうのはしょうがないだろう。それを認めようとしないで、何か塗り固めようとするから、更にみにくくなる。
 
 私は、小細工したくない。そう思った。
 ……シアが選ぶ方に従えばいい。
 姫が軽い女性だなんて、これっぽっちも想像していない。身体を重ねた後で、何度も愛の言葉を重ねた後で、…………ありえない。噂を聞いて動揺したのは、……嫉妬を覚えたのは、自分が悪い。
 九分の七ほどの信じている心と、あとの二分は自信の無さ。
 役回りが不利であろう。
 若い姫を取られて嫉妬の炎を燃やす、中年の悪人の方が似合うのだから、…………とても主役の王子にはなれやしない。

 ++


「カルナ、紹介しますわ」
 駆け寄ってきたシア姫は、美しい青年の手をとっていた。あまり見ないようにする。

「私の新しい舞踏の先生ですわ」
 無邪気に、自分に教えてくれるシアに悪気はなく、王子にも……悪気は……、と思いたかったか、最後にやりと笑いを浮かべた顔に、背筋がぴくりと動いた。

「リットと申します」
 一礼も鮮やかだ。シアの手を離して、カルナに手を伸ばしてくる。
 握手が……渇く。お互いによく思っていない証拠に、さっと手が離れた。
 爽やかな美青年だ。……ただし、少し癖があるように思われる。

「今度の夜会までに、新しいステップを教えていただくのです」
 シアは、踊るのが好きな姫君であることは知っている。……この青年が、相手をするのか。

「だって、カルナは踊ってくれないでしょう」
「姫」
 低く、静かに、注意する。公然の秘密とはいえ、見ず知らずの者の前で、口にするのは…………、と。棘立つ心に制止するのはもはや諦めた。再び青年がシアの手を握っているのを目にとめたら、表情は動かないまでも、心が……動いた。
 争いたくはない。
 しかし、…………相手がその気なら。
 というか、リット王子が、わざと漏らした「シア様は素敵な方ですね。踊るときはまるで女神か何かのようです。一緒に踊っていて、幸せです。……実に」
 にやっと嫌な笑い方をしたのが、皮切りだった。

 

 ……らしくない、怒りと苛立ちが込み上げてきたのは、どうしたことだろう。
 この青年だけには、シアを渡したくない。