ちび姫様の華麗なる悩み 1
ナーセットのシェルシー王女は今年で7歳。
ふわふわの金髪も肩をすべるように伸びて、お人形のように可愛らしい。
母親譲りの、とびっきりの愛想と、わがままさ加減は、国中より愛されて久しい。
王宮を、とたとた、と、背の低い小さな身体で走り回れば、途中から近くにいた者達が、皆、シェルシーに話しかけてくる。
もちろん、王女様が、可愛らしくて、つい呼び止めてしまいたくなるのだ。
「…シェル様、…お出かけですか?」
衛兵の青年が、足元をすり抜けようとした王女に声をかけた。
くるっと、青年の方に顔を向けた王女は、後ろの金髪ごと、身体をふるっと揺らした。途端、思い切り嬉しそうに笑って、返事を返す。
「そうよ。今日はミルも一緒なのよ」
衛兵を見上げて、しっかりと伝える。
行き先は、素振りから予想するに執務室であった。
一生懸命首を上げる王女が大変そうだったので、青年は少女の背に合わせるようにしゃがんだ。そうすると、ありがとう、という気持ちの良い声が聞こえた。
「そうなのですか。宰相補佐様は、すっかり、シェル様のご寵愛を独り占めされていますね」
「だって、ミルは好きだもの。今朝は今から、お勉強なのよ。新しい本を持ってきてくれるって言ってたんだから」
「ほお…、それはよろしいことですね」
王女の笑顔につられて、衛兵も和やかに微笑んでいる。
「じゃあ、行ってくるわ」
シェルシー王女は、にこっと笑って衛兵に向けて手を振った。そうしてから廊下の先まで走っていった。
愛らしい王女様は、文字通りナーセット王宮の光であった。
+ + +
執務室の前で、宰相補佐ミルは、遠くから走ってくる小さなものを、ぼやっと見ていた。あれは、確認する必要もなく、我が国の王女であると思われる。
ふう、…とミルはため息をついてしまった。アーシャ様の御子にして、サリュー様の娘。このため息の意味を知る者はそうそういないだろう。
言えもしない。…というのも、彼の相棒のスイズはここ数年ほど、補佐の役目を降りている。
一番信頼し、気楽に相談できる者が傍にいない。
ミルは事情を解しているが、スイズの家では、継承争いが起きていた。亡くなった父親の代わりに爵位を継いで、家をまとめにいった、というところが、職を一端離れた理由だった。
休職といっても、王宮にはときどき顔を出すし、来たついでに仕事を手伝っていくような器量の良さで、全く変わってしまったという感じはしない。
相変わらずの明るさで、どうだ公爵家の家長には見えないだろう?と、軽口を叩きにくるだけの余裕がまだある。
…ただ、随分苦労してるなという色が、ところどころ見えて、ミルはさっさと戻れと、式典に出席しにきた新米公爵を追い返してしまったりした。
スイズがいない間、もう一人の補佐役の位は空いたままだ。落ち着いたら、弟に家督押し付けて戻ってくる、と、無茶苦茶な告白を受けたこともあったが、…現実、宰相サリューの補佐役として、残されたのはミル一人だった。スイズの分まで頑張ろうとしているのは、王宮にいるものなら大抵は知っていた。
そんな時だった、…いつのまにかシェルシー第一王女のお守まですることになっていたのは。
最初は、アーシャ様の小さい頃みたいだな、とぼんやりと思っていた。同じ金髪、同じような愛嬌、…わがままさ加減まで似ていた。
可愛らしくて、いつも無言のミルさえ、話しかけて微笑んでしまう。そんな天使みたいな王女が、…いつしか、大変な秘密を胸にはらんでいることに気づいた時、ミルの苦労は一つ増えてしまったのだった。
アーシャ様とサリュー様の恋愛を支えた時は、スイズが傍にいてくれた。
二人なら、軽口も言えたし、愚痴も言えた。相談もできた。しかし今度は、これは…自分一人で面倒を見なくてはならなかった。
今日も、…人知れず、補佐役ミルから、静かなため息が出る。
王女は、走ってくる。自分の名を呼びながら。
…ミルは、抱えていた本とともに、王女を、勉強部屋に案内した。
「助かったわ。先日借りた本は、皆読んでしまったのよ」
うきうきとして、王女は、ミルから渡された書物を受け取った。
「…サリュー様には内緒ですよ。執務室から持ち出すのはいいですが、…シェル様に渡っているとは言えません」
「分かってるわよ。…私も怖くて、お父様には言えないわ」
ふと、会話が途切れた。…王女が本の題名を確かめているようだ。
…政治論の類。…各国の戦争の歴史について評した論文。…皆執務室の書物だ。
「シェル様に教えられることは、私にはもうないくらいです。後は、お父様であるサリュー様に教え…」
「嫌よ」
わがままな返事が聞こえた。
ふわふわの金髪が、はねるように左右にゆれた。
「…できるわけないわよう! お母様ったら、未だに可愛いと噂されてしまうほどの器量で、あのように天然ボケでしょう?お父様ったらそんなお母様を愛していて、娘である私にも、同じ可愛らしさと幸せを願っている気がするわ。…無理!…政治が習いたいなんて言えない!」
真剣に悩んでいる。シェルシー王女は、本気のようだ。
裏を返せば、父親の希望を裏切りたくないという親孝行の思いも込められているようだった。
母親を天然ボケと言い切ってしまう口の悪さだが、…ミルは王女自身もまた天然ボケだと思っていることは黙った。
「でも…、いつまで隠すつもりですか? …あなたの才能は、サリュー様譲りです、…皆まで言えば、…私をすでに抜いています」
「駄目なの」
「…無理に『お姫様』を続けるおつもりですか」
「ミル、…私は王女よ。ちっとも無理してないんだから。…お母様がおじいさまから実質、王の位を引き継いで、代わりを務めていることには違いないんだから」
ずっと前から病を患い続けている王は、娘のアーシェリアに正式に位を譲るつもりでいる。今のところ、代理という肩書きだが、そのうちにこれは本物の王となる。
アーシェリア姫は、国王の代わりを務めつつ、二人目の御子の世話に忙しい。そんな妻であり次期王になる人を、宰相のサリューは優しく支えている。
…娘のシェルシーは、そんな両親に心配をかけたくなくて、型通りの王女を演じている。
…ミルはシェルシー王女が、政にかけてほとんど天の才と言ってもいいような勘と能力を持ち合わせているのを知っている、数少ない人間だった。
「…二年前、サリュー様が他国へ外交で渡っている時、…ナーセットは密かな危機にさらされていました。大陸でセルシュと並ぶ大国のアルゼ国から、一刻を争う取引の対応を求められて。…その時、…宰相補佐の私に指示したのは…あなたでした、…シェル様」
いつも愛らしい王女が、緊迫する執務室に足を踏み入れた途端、豹変するかのようだった。違った、…もう一人のサリューを見ているかのように、…ミルは、…目の前に立っているのは誰なのかと尋ねたかった。
離れた他国の事情を、言葉で巧みに解し、操り、…ナーセットの取るべき道を、しっかりとミルに案じた。
『…宰相サリューなら、…こうするわ』
冷静な声が響いた。
アルゼの国情の解析と、出した答えを説明するに補い余りある弁舌を、ミルに振るって、シェルシーは言ったのだった。
『迷わず叩きなさい。引けばこちらの負けです。小国が生き残るには、最初の一手で叩くしかないわ』
恐れずに。シェルシーは、即刻の対応を、ミルに求めた。
結局、そのとっさの判断が、今日の平和なナーセットに利している。
「ああ、お父様ったら、昨日もシェルに本を読んでくれたのだけれども、その本は、昔お母様が大好きだった、恋物語なのよね。…妙にたどたどしかった」
「男はそういうものはあまり読みませんから」
「…ミル、本当どうしよう」
悩む王女様の仕草は、歳のとおりで、幼いながら真剣だ。抱え込んだ秘密は重大で、極秘。
…サリュー様は知っておられそうな気もするが。ミルはそう思っていたが、…シェルシー王女には言えなかった。
ノックの音が響いてきたので、慌てて二人は散らばった書物を片付けた。サリューが様子を見にきたようで、シェルシーは扉越しに、父親に、思い切り可愛く言い切った。
「ミルと、お勉強してるわよー。今日は、シェルの嫌いな各国の地図のお勉強。ナーセットが小さいことは分かるんだけどー」
本当は、大陸の国々の地理から、歴史、国情まで詳細に頭に入っているようなのだが。…ミルは唖然とした。
7歳の少女は、嘘ついたことを良心に咎めつつ、父親の返事を待った。
「頑張りなさい」
一言。
…別段、怪しまれたことはなかった。ほっと、胸をなでおろす。
「こんなの嫌よう…」
ぼそっと、シェルシーが弱気に呟いた。
「…サリュー様は、娘のあなたが自分の血を濃く引いていると知っても、…嫌いはしないと思いますが」
「しないけど、とめるわ。絶対。…どうしよう」
「…シェル様」
天使の笑顔は、ときおり、政の女神の様相を象る。
…王女シェルシーの悩みはまだ、始まったばかり。
end
|