ちび姫様の華麗なる悩み 17
「ねえ、ミルもついてきてね」
異国の煌びやかな衣装を身につけたナーセット王女が、目の前で命令する。先程まで、シア姫と、会話を楽しみながらの衣装選びに夢中になっていたはずのシェルシーは、すでに用意完了して、可愛らしい姿を見せている。
後ろで結ばれた大きなリボンをゆらゆらと揺らしながら、ミルの返事を待つ。答えは一つしかないと言わんばかりに、当然肯定を要求している。
部屋にさがったミルをわざわざ呼びに来たのだから、断るという選択肢は最初から消されているようなものだったが……。
先程まで。
ああだ、こうだ言いながら、まるで歳の離れた姉妹のように仲良く衣装を選ぶ女性二人は、見守っていて、気持ちのよいものだった。隣で、同じように視線をやっているユイスも、平和で優しいその光景を歓迎しているようで、瞳は穏やかだった。
マーセデ国の衣装は、ナーセットのそれよりも姫君を大人びさせてみせた。色合いが薄いものより、原色に近い激しい色合いのものが多く、はっきりした主張があった。はっとするような朱や、目の覚めるような青色のドレスに、まだ幼い姫君は早いのではないかと予感させたが、シェルシーはちょっと背伸びをしつつも、8歳の姫君の器量で着こなしていた。
着せ替え人形のような有様の姫君は、何度も着替えては、ミルのところに見せにくる。その度に、ミルは、暗に感想を言うよう促されているのだが、良いですよ、とか、似合いますよ、といった月並みな答えしか返せずにいた。彼は悩んでいた。
少女は期待を込めてかけてくるものだから、余計にミルに重圧がかかる。
本当は、シェルシーが満足するように、褒めてやりたかったが、言葉は感情の十分の一もミルの心を映しはしなかった。
そっけなくも期待はずれな言葉を耳にするたびに、シェルシーは急いでシアのもとへ走って返っていった。今度こそは、ミルに、うんと褒めさせてやる、といったパワーをさえ感じさせる元気をみせて、衣裳選びを一からやり直していた。
「今度はこう言ってやりな。そうしたら、ちび姫はもう往復しないですむと思うから」
「え……」
隣から聞こえた、忠告というよりぼやき。ユイスが呆れて見ていられなくなったという風に、入れ知恵を試みようとしていた。
「この服がいいです。綺麗ですよ、……ってな。それだけでいいんだ。実際、どれも似合うし、決めがたいけれど。……ありゃ意地になってるから、どれだけでもあんたがいい返事するまで、着替えて来るぞ」
「分かっている」
………………。
自分は、臆病だな、と思った。
ぐらついているから、声にすると、思わぬところまで晒してしまいそうで。
怖い。
口べた、無口、そういう類でなく、……今は、故意に、口が重い。
こういうことを考えるのは、徐々に自身の後ろめたさを自覚しつつあるからだった。
もしも、守りたい……、という感情以上だったならば、……と。
シェルシーに、迷っていることを知られたくない。
それどころか、たとえひとときでも考えたことを、感じ取られたくない。
8歳の王女を、ミルは傷つけたくなかった。どんなに聡明で、背伸びしていても、……この感情は暴力だ、と思った。
ミルさえよく分かっていない。
抑えて、抑えて、……心の奥へ幽閉して、できればそうしてしまいたかった。
恋愛と名付けられるような、単純なものでもなく、かといってそれ以上の欲望といった下世話なものでもなかった。
分類の出来ない、好き、……そういう単語。
誰にも取られたくないという、わがまま。
立場。
年齢。
もろもろの、人間を構成する条件。
シェルシーに、これからどう対応すればいいのか……。
気がつけば気がつくほど、何も言えず、何もできなくなっていく。
「ほら、また走ってきた」
金色の髪をふわふわ揺らしながら、異国の姫君然とした、素敵な少女が裸足でかけてくる。これはどう?と尋ねるために、わざわざ何度も何度も。今度こそは、と。
すごく綺麗だ。
……言えずに黙ったミルのかわりに、ユイスが多少調子を明るくして、シェルシーを褒めた。
+
「なによ、もう。ついてきてくれるの、くれないの。どちらなのかしら」
下方で、姫君がいらついていた。
「まいります。カルナ宰相がお待ちなのでしょう」
「そうよ。早くいかなくちゃ。ミル……? 最近、元気ない?」
ぱっと、不機嫌な表情を変えて、ミルの顔を背伸びで覗き見ようとする。彼は、無言で、首を横に振った。
「つまんないわね」
そう言いながら、シェルシーはミルの片手をぎゅっと握って、案内するように進み出した。
が……、後ろが動かない。ピンと張った腕に、緊張が走る。すぐにシェルシーは振り向いて、立ちつくしたままのミルを見上げた。
「どうしたのよ」
「…………」
「ねえ」
「……シェルシー様。申し訳ありません。先に行っていただけませんか」
「具合が悪いの……?」
心配そうな瞳で、また顔を覗き込まれる。避けようとして、ミルは失敗した。はっと、シェルシーを振り切ろうとした瞬間に、少女は補佐役に抱きついた。
うわっと、勢いでミルは腰を床に沈めた。尻もちをついた、ミルの上で、シェルシーは、自分のしてしまったことを呆然と眺め見ていた。
じきに、顔を赤らめて、……思考が止まってしまったように静かになった。
ミルも同様に、事態を把握できないで、魂が抜けたような風になっている。くっついた王女の身体を離すことさえ考えられない有様で、完全にどこか見失っていた。
一刻が過ぎた。
「……ねえ、ミル……? 起きてっ? 分かる? ねえ、……目を覚ましなさい」
放心状態のミルを、元に戻そうと頑張って声をかけるシェルシーだったが、その声が相手に届いている気配はない。
両頬を優しく叩いたり、身体を揺すったり、シェルシーにできることは、だいたい試してみたが、いっこうに反応は見られない。気絶したかに、意識が飛んでしまっているようだった。
何で……? とシェルシーは疑問に思った。
+
あまりに遅いので、ユイスは姫君とそのお付きを探しに来ていた。
とうに用意は終わっているだろうに、何をしているのだろう、と、不思議に思いながら、急いでいた。
「……ミルが、起きなくなっちゃった……」
声の方が先に、それから急に視界の真ん中に金色の波が飛び込んできた。鮮やかな黄色のドレスと合わさって、ユイスは一瞬目眩がした。
「どういう具合なのです」
「どう……って。私が、ミルに抱きついたら、倒れて……、どこかおかしなところ打ったの……かしら。よく分からないの。気絶でもないし」
「ああ? 私も状況をつかめませんが、診せてくれれば何とかしますよ」
泣きそうに心配しているシェルシーをちら、と見つつ、ユイスは、ミルの気持ちをなんとなく予想できた。おそらく、……真面目な人物なのだろうなと、今更に納得した。8歳の姫君を大事に思う以上に、混ざりそうになる別の気持ち、……それにここまで気持ちよいほどの抵抗を返してくるとは。
シェルシーにはおよそ分からないだろうが、……補佐役にとっては、人格が飛ぶほどの苦しみ。
「ねえ……ミルはどうなったの。元に戻るわよね……?」
「さあ。俺も医者じゃないから」
「お願い。……助けて」
低く、シェルシーが、真剣に頼んだ。
「いいですけど。一つ質問に答えてくれませんか」
「何よ」
「この男のこと、好きでした?」
瞬間の反応で、答えを待つまでもなく分かるのだが、ユイスはなるほどね、と確信して、シェルシーを見守っていた。
「好きだったらどうなのよ」
「じゃあ、どんな風に。お兄さん? それとも恋人?」
「答えない」
「だったら、ちび姫には分からない事情です」
「教えなさいよ」
ユイスは、ああやばいなあという状態のミルを、抱き上げて、廊下に向かう。正気に戻ったら、どうするかな、とぼんやり考えながら、シェルシーの質問を無視していた。
「ちょっと……!」
「あなたは宰相のもとへ急いでください。この男のことは俺に任せてください。分かりましたね」
「分からないわよぅ」
絶対納得できないという風に、頑固に、ユイスの前に立つ。
8歳の少女は、純粋に、素直に、答えを求めていた。
どうして、ミルが、壊れなくちゃならないのよ……と。
「大人の事情です」
「は……?」
ぽつりと、冷ややかな表情で、ユイスが一言こぼした。
何のことか分からないシェルシーはぽかんとする。
「好きな人を困らせてはいけません。特に、この男……ミルですか……、まれにみる馬鹿正直な男みたいですからね」
「その大人の事情ってなによ」
「ちび姫様にはとてもとても」
「怒るわよ」
「……じゃあ、この辺でやめます。本当はそういう事情でもなさそうだけれど」
ユイスは、しれっと言ってのけて、部屋をあとにした。
+
……まあ、本当のところ、恋愛感情に傾きそうな自身を、無理矢理遮断したんだろうな、とユイスは見当つけた。
違う違うともっともらしい抵抗を続けた上で、自我を飛ばしたかのような。8歳の王女に押しつけるにはよどんだ人間的な感情が、……許せなかったのかもしれない。
常識人の堅物っぽいし。思い詰めてたのだろうな……と感想を漏らした。
不器用というか融通がきかないというか。極端。
あれ、どこかで……こんな風の。
ああ……、うちの旦那様かな。
ユイスは懐かしく思った。
+
会わせたいお方がいる。
用意された広間の入り口で、カルナ宰相はシェルシーに小さくそう告げた。
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