ちび姫様の華麗なる悩み 9
三ヶ月後のシェルシーの無謀は、ただただミルの心臓に悪い作用ばかりもたらした。ピンクの華やかなドレスに、それよりも明るく目立つ金色の波を流した可愛らしい姫君は、姿形に似合わない厳しい視線をある一個の扉に送っていた。そこでは父であるナーセット宰相と、マーセデ宰相の会談が行われているはずだった。
お父様を裏切ることになるかもしれない。
昨夜、そう、ミルに抱きついてきたシェルシーは、心の内を鋼のように決めていた。全てをミルに告白しても、彼によって制止することができないほどに、しっかりと姫君は自分の身の振り方を定めていた。
『どうして……』
『お父様も、もう知ってるんでしょう?私のこと。最近何だか、……感じるの』
『……』
『だから覚悟していると思うの、私のこと』
『サリュー様はあなたのことを愛しているから』
『そうよ。……すごくよく知ってる。だから、心を氷にしなきゃならないわ。キーリス。彼に近づくには随分遠回りしなきゃ。そのためには、私自身のことを何とかしなくちゃならないのよ。明日……マーセデ宰相に会ってみる』
頭をガンと殴られたような気持ちで、ミルはシェルシーをひしと見つめた。何という大胆な計画を考えているのだろうか。会うというと聞こえは良いが、実際はカルナ宰相に仕掛けにいくのである。7歳の女の子が、隣の大陸に聞こえし大宰相に、一戦交えようというのである。無理に決まっている。
『お父様が負ける相手に勝ちにいくつもりはないわよ。私だってそれくらいは分かるわよ』
『では……』
『売り込みにいくのよ』
『は……?』
ミルは、意味がつかめず、ぽかんと口を開いた。
マーセデ宰相に名を売る。まさかまさかと思ってしまった。
『お父様との闘いでもあるわ。……怖い。どんな顔をされるのでしょうね』
怖いのは姫君だ、とミルは心の中密かに思った。
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会談が終わり、二人の宰相も廊下へと足を踏み出そうとしていたところ、突然笑顔の小さな姫君が、通せんぼした。半ば強引に扉を閉じてしまう。
にこりと、挨拶するように礼をして、父とカルナ宰相を見上げた。
「娘のシェルシーです。落ち着きがなく、申し訳ありません」
「アーシェリア王女に似ているようだな」
「いいえ」
サリューは、何か含むように即答した。娘の様子に感じるものがあったのか、どこか緊張した面持ちだった。ちらりとシェルシーにやる視線には、複雑な思惑がこもっていた。
ああ……、とシェルシーは後悔した。しかし、一瞬後にはそれを翻した。
「初めまして、カルナ宰相。シェルシー・ナーセットと申します。私のお相手をお願いしたいと思って、不躾にもやって参りました」
「ほう。……どのような相手をお望みか」
「次期ナーセット宰相としての器として的確かどうか、測ってはいただけませんか」
「っ……」
少女の周りの二人の大人が一緒に肩を凍らせた。はっきり大胆に言い切ったシェルシーは、これからの豹変を惜しげもなく知らせ、戦闘宣言したも同じだった。これは、姫君に有利に働いた。たとえ予想の届く範囲であったとしても、下手な小細工などいらないといわんばかりに一気に攻めたシェルシーに、宰相二人は事実出遅れてしまったのであった。
力の敵うはずもない相手を出し抜くには、最初に一歩先に進むしかない。シェルシーは、単刀直入にカルナ宰相に切り込むしかないと覚悟していた。そしてそれは、うまくいったといって良かっただろう。カルナ宰相は、笑い声をあげて、姫君の切り込みを歓迎したようだった。一本取られたというように。だが、父の顔は、比べて、難しく苦くなっていく。会心の一撃は、同時に、父であるサリューをも切りつけてしまうと、シェルシーは知っていた。
「姫君にそのような力があるかな」
「どうぞ、お確かめください」
「シェルシー、……やめなさい。大人しく帰りなさい」
「サリュー、よせ。お前の娘は、……お前が一番よく分かっているはずだろう」
「だからです」
大声で、怒鳴るように、サリューが口を荒げた。抑えた調子もなく、完全に感情を主にした言葉で、喋っていた。
「私は、だから、シェルシーに手を触れられない。教えも、手助けも何もできない。大切だからです。いかに無力か。悔しいか。……カルナ、娘を取らないでください」
「それが正しいことか?」
「間違っていても、……いけませんか」
ぎゅうっと、シェルシーは父の腕がまきつくのを感じた。温かくも、力強い安心する腕だった。……守るような、父親としての体温が傍にあった。
きゅうっと、シェルシーの小さい胸が痛んだ。辛い。ものすごく痛い。涙が出そうだった。
今まで、父を悲しませるのが嫌で、秘密で政を習おうと思っていた。それを覆して、父を裏切ってしまったという事実が、リアルにシェルシーの心にじわりと響いてきた。
宰相として、あるまじき態度を取っている気がする。自分勝手だ、だいぶ情けない、小さい、……でも、等身大の父親が、シェルシーの隣に確かにくっきりと映る。……本音なのだろうな、と娘は切なく理解した。いかに無力か。悔しいか。このようなことまで言わせてしまうとは、どれほど自分は父を悩ませていたのだろう。
「お父様……」
「カルナにつけば、おそらくお前の望むことは全て教えてもらえるだろう」
「……!」
「お前がどうしたいか、私にはまだ分かっていないのだろう。そのことで、今日まで、引きずってしまった。すまない」
「……私、お父様が好きよ。大好きよ。世界でお母様と一緒に一番好きよ」
「好きなようにしなさい」
解放された一瞬だった。
父の腕から離され、同時に精神的にも解かれた。
未来を、開かれた瞬間だった。
「私……やはり、お父様に教えてもらいたい」
「正式にでなければ、……時間のあるときに、見てやれるだろう」
「本当……?」
シェルシーの目が、喜びで輝いている。父親の瞳は多少、渋々気味である感じがしないでもないが、とりあえずは快い返事だった。
「私は用無しのようだな」
カルナ宰相は苦笑にも似た口元の笑みを浮かべている。
父子の一部始終を見守っていた彼は、心なしか、優しげだった。
「とんでもありません。私にできることは、わずかです。あなたにも予想ついたはずだ」
「シェルシー姫、お相手願おうか」
「カルナ宰相……。ええ、お願いします」
試すように、けしかけるように、カルナが少女にマーセデとナーセットの関係の疑似交渉をもちかけると、空間は激しく跳ね上がった。生き生きとシェルシーが己が正体を明かしていく。もはや遠慮はいらないと分かった少女の力の放出は、輝きそのものであった。
途中で、カルナ宰相がひとりごちて、かすかに漏らした。まるで昔を見ているようだな、と。そして重ね合わせたものはおそらく……。
「惜しいな」
「まだ、取らないでください。シェルシー、……もう行きなさい」
「はい、お父様」
カチャリと素直に姫君が退出する。とたん、サリューは片手で口を押さえた。顔が青い。
「カルナ。……娘は」
「いずれ、芽が出ずにはいないだろうな。下手をすると、……二つの国を変えかねないかもしれないだろう」
「そうですか」
ため息が聞こえた。
「……大した希望だな」
「希望、ですか?」
「現状を救ってくれるような気もする」
マーセデ宰相にしては、楽観的な言葉に、サリューは、目を丸くした。
後で理由を聞いたところによると、シェルシーは完璧に二国間の状勢を理解していたらしい。情報の足らないところは、自身の想像で埋めて、……姫君にはまだ見知らぬマーセデという国に、深く迫っていたらしい。
「これから……かもしれない」
二国の親交条約も定まって、繋がり始めた歴史を支える者。
変える者。
楽しみだ、と、マーセデ宰相は呟いた。
+++
一方、ミルのもとへ戻ったシェルシーは、笑顔で、報告した。
父に教えて貰える!と、大喜びだった。
それは大きな流れからいうと、つかの間の姫君の幸せだったが、当の姫君にとっては何ものにも変えがたい願いの成就であった。
父の困り顔と引き替えに得た、何かでもあった。ここからしばらくシェルシーは父を師に持つ日々を過ごすことになる。ナーセットでの、平和な時間だった。
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