夜明け前
                                        十二夜

   
 六

 宮中は姫君失踪の話でもちきりだった。
 当然だろう、当事者は、帝の寵愛深い右の大臣の姫である。
 問題にあがらぬはずがない。帝直々の命もでている。事態は、いよいよ深刻だった。
 ところが、これを喜ぶ輩も大勢いた。
 今が機会と良からぬことをたくらむ面々もおり、宮中は、穏やかさを欠いていた。


「あれは何であろうな」
「最も高い山ですよ、朝日と交差して綺麗でしょう」
 馬を駆って、崖の彼方に見える富士を眺めにきたのが、夜が明けてまもなくのことだった。雲間に浮かぶ山と照らし始めた太陽が色合い豊かで、美しい。

「ああ、何でもっと早く連れてきてくれなかったのじゃ」
「機会があったらと私は申しました」
「わらわはいつでもよいと言ったであろう」
 朝日を眺めながら、たわいのない会話を楽しむ。まだ暖かさを取り戻さない空気にあたりながら、過ごすのも気持ちよかった。

 にわかに、後方から馬の足音を耳にする。複数の足音。晶久は、馬の前方に乗せた明夜をかばうように腕をやり、様子を見た。
「あれは…左大臣の…」
 たしか護衛団か何かだったような気がする。穏やかならぬ気配を感じて、だいたいの向こうの目的を掴む。

「どうやら…姫をよく思われていないようです」
「そうであろうな。向こうの姫はわらわより明るさに欠けるし、歌や文才に劣る。帝に気に入られる為にはわらわは邪魔であろう」
「そういうことです。姫が宮を抜け出すものですから、それに乗じて始末しようなどという良からぬ事を考えつくのです。…姫、失礼します」
 晶久は、明夜の頭を深く下方に下げさせた。
「そのままでいて下さい」

 一気に馬を駆り、敵方を突破しようと図る。そうはさせじと行く手を阻もうとする護衛団を晶久は剣の柄であしらう。
 勢いをつけた馬というのは、剣を持った兵などものともせぬ威力がる。いささか乱暴な方法だが、突然構う相手にしては、少々多かったし、姫を守ることが一番の大事であったので、それも納得して行えた。

「宮中に早く戻られた方がよろしいでしょう。お送りします」
「後ろはまだ追ってくるのだな」
「遠くに来過ぎました。人のいる場所へ降りれば手は出せないでしょう」
「宮までは随分あるな。大丈夫であろうな」
「お任せ下さい。必ず姫をお守りしますから」
「ま、心配はしておらぬが」
 多勢に無勢であるが、余裕が違う。ものすごい剣幕で追いかけてくる後ろに比べ、晶久はしれっと馬を進めている。まあ、いつものことだが、とても笑っているとは言い難い、とっつきにくそうな表情のままである。お堅いというより、ただの無愛想に近い。
「はよう着かぬものかのう」
「無茶言わないで下さい。そこで静かにお座りになっておればすぐに着きますから」
「そうかのう」
「……」
「わらわも馬を駆ってみたいのう」
「駄目です」
 即答が間を置かずに帰ってきた。明夜に付き合っておれぬというように、馬を駆る速度があがる。
「大人しくしていて下さい」
 駄目押しのように晶久が明夜に囁いた。


 おかしいな、と晶久が首を傾げ始めたのは、都に近づいた時だった。
 明け方から随分時が過ぎたというのに、人が一人もいない。
 いつもなら賑わい始める前に、準備に勤しむ人々の姿が見られるというのに、今日に限ってそれがない。
 都で何か起こったのだろうか。

「どうした? 顔が曇っておる」
「いえ。お静かに」
 都の開け放した門を突破すると、何かが聞こえてくる。
 ……………………………………?
 まさか。

 帝、暗殺といった声が聞かれて、耳を疑った。強まった貴族の勢力がそこまでするとは思わなかった。何かの間違いではと思いもう一度耳を澄ます。しかし、同じ単語しか、かえってこない。
「一体、誰が……」
 後ろから近づく何者かに気づいて、振り向く。
 先ほどの左大臣の護衛団である。
「覚悟せよ。もう処分は決まっておる」
「何のことじゃ。この事態を説明せよ」
「知らぬのか。困ったお方じゃ。明け方の事件を知らぬのか。宮中の成り行きを」
 護衛団の一人が荒い笑い声をあげた。
「帝が明夜姫を探索させておられた時のことだった。右の大臣があることを帝に吹き込んだのよ。それに逆上した、帝が大臣を切りつけようとして、逆に自分が切られてしもうたのだ」
「父上が…」
 明夜の顔色が変わる。
「そうだ、そして今は左大臣様が宮中を治めていらっしゃる。右の大臣は大罪人として牢屋でそのまま死んでもらった。あとは、事実を知る姫君等を始末すれば、左大臣様が晴れて都を収められるというものだ。不幸だが、ここで死んでもらうぞ、明夜殿」
 護衛団の長の言葉を合図に弓が引かれようとした。明夜を狙って一斉に矢が放たれる
「姫!」
 一際大きな叫び声が轟いて、馬の角度を変え、明夜を全て覆って、晶久が庇った。馬が驚いてあらぬ方向に動きだす。護衛団を踏みつぶすかのように狂ったように駆けていく。
「晶久…」
 返事をしない家来の身体に明夜が手を置く。
 蹴散らした護衛団はいったん引くように逃げていく。明夜は彼等のことなど頭になかった。ただ、背中に重く身体を預けてくる晶久のことが心配でならなかった。
「返事をしろ、晶久!」
 肩に置かれた顔は目を閉じている、それで余計に明夜の声が悲痛になる。
「晶久っ……!」
「お静かに」
 聞きなれた声が耳元で囁かれる。明夜の頬に赤みがさす。
「よかっ…」
 …申し訳ありません。そう小声で加えるように呟きが聞こえた。
「晶久…?」
「…必ず、お守りすると・…言ったでしょう。姫が…無事なら」
 かすれる声を絞りだすように言う。
「お前も勝手なのじゃ! ずっとわらわの側におらねば許さぬぞ」
 明夜は、半ば瞳を潤ませて言う。泣きそうだ。
「…すみません、それは…」
「誓え! 絶対じゃ! 逆らうことは認めぬ!」
「姫……」
 後ろからぎゅっと抱き締められる。痛いほど強く、半ば本気で。それから、力が抜けたように離し、明夜の背中に重心がのしかかる。
「晶久…っ!」
 声が枯れるほど同じ名前を何度も繰り返し、信じもせずに肩で眠るものの生きていることを祈る。返事をしないことをなじり、暴言を吐き、咎める。

 ひたり、と今までこらえていた濡れた珠が頬に流れる。何もかもに絶望してしまいたい自棄に捕らわれる。責める相手は口を開かない、ただ穏やかな顔をして明夜の目の前にある。

「…わらわの生きている意味などあるのか」
 静かに目を閉じている晶久の顔に問い掛ける。そこに否という答えはない。
「わらわに生きよ、と言うのか…。お前は勝手にいってしまっておいて。何もかも矛盾しておる。わらわをおいていくことは許さぬ」
 明夜は、背中のまだ残っている体温を感じながら、目を粒って素直に泣く。
「分からぬ。お前は勝手者じゃ。わらわを守ると言うたであろう。わらわの側にまだおるのか? これからわらわは宮へ行ってまいる。どうなるか分からぬ、けれど…」
 明夜は晶久の手を取る。
「心だけ供せよ。お前がいると思って、わらわは動くからな」
 馬の手綱に手をかける。一度も操ったことのない代物だ、晶久に嫌な顔をされたこともあり扱い方さえしらない。だが、馬は、正確に明夜を乗せて動いた。主に手綱を取られているかのように。
「では、…行ってまいる」

 この後の京の様子は定かではない。
 夜明け前の闇が広がるように、不明の一刻が歴史に残され、未だ明かされていない。
 分かっているのは、それから三年後、混乱を経て、一人の帝が選出され、世を丸く治めるようになったということである。
 謎は謎のまま現代に残されている。


  結

 周囲の視線が痛い。嫌でも注目を浴びているのが分かる。一定の距離を置いて、教室の中の生徒達が固まってこちらを観察しているのが瞳の端に映ってくる。

「気にすんな、って言ってるだろ。他の奴等は放っておけ」
「気にしてるわけじゃないけど」
 ヒソヒソと交わされている内容の陰湿さに、眉をひそめたくなるのはしょうがないことだった。明夜は知らず、腕を震わせた。

「教室じゃない方が良かったか?」
「いいよ、もう。時間ないし、お昼休み終わっちゃうよ」
「そうだな、ま、いいか」
 弁当箱を開けると、形の良くない卵焼きがメインの昼ご飯が現れる。
「腹の中入れば皆同じだしな」
「頷いて食べないでよ。結構真剣に作ったのに」
「卵割って、冷凍食品適当に入れただけだろ、色が二色しかないというのもなかなか…」
「端っこにトマトが入ってるでしょ、三色あるでしょうが」
「あのな、全体的なバランスが悪いの!」

 愚痴りながら、凄い勢いで全て平らげると、晶久は、立ち上がって、明夜のとくっつけていた机を元に戻した。ザワと、一挙一同を気にするギャラリーを完全無視して、肩を叩いて、自分のお弁当を食べかけている明夜についてくるよう言う。
「やっぱ、屋上行こうな」


 少し風がある位の、秋の午後の屋上は気持ちよい。雲が適度に浮かんだ青空を見上げると清々しくなる。
「ごめんね、あたし迷惑かけちゃった」
 明夜は、うつむいて言う。
「俺、何もされてないよ。迷惑かかってないから。明夜がしおらしいとなんかなー、元気だせよ」
 気にしているらしいお隣さんに晶久は声をかける。
「ありがとう。…だって、あたし…」
「気にすんなよ、全部」
 前の方に傾いた明夜の頭に手をのせ、軽く数回叩く。

「…うん」
 けして美人とは言えない顔に劣等感を抱いている明夜は、それを口に出そうとして、止められたのを嬉しく思った。
 だって…あたし…人並みもないんだよ…。弱さから出る言葉。理解して、先読みして、止めてくれるなんて大抵の人はやらない。
 ふわ、とまた晶久が髪を撫でてくる、叩くような仕草で、ゆっくりと明夜を元気づかせようとする。心地いい。

「夜が明く、って書く…んだったな、名前」
「うん。両親が、あたしにこの先どんなことがあっても、例え辛いことがあっても、道が開けますように、どんな夜でも明けるように、あたしが暗闇に迷ってしまわないように、って意味」
「綺麗な名前」
「うん…」
 明夜は下を向いた。名前は綺麗なんだけどね…。
「まったく、さっきから言ってるだろ」
「だって…」
「俺だって、あるだろ。泳げないとか…」
「致命的な運動音痴とか。…あ、でも、あたし欠けてるところばっ…」
「関係ないだろっ」
 晶久は、大声で、明夜の答えを掻き消した。


「…そんなものだよ。もしかしたら、一つくらい抜けてる方が、自然で、幸せなのかもしれない。完璧な人間てのは、俺から見れば、すごく気持ち悪いし、不自然だな。ま、自分は自分だし、仮に他の俺がいたとしても、それはここにいる俺とは全く同じでない。人間が二回生まれたら、二回とも別の人生に決まってるだろ、たとえ似ていても、うりふたつに成長する訳ないんだ。絶対ここにいる明夜は一人だけなんだから…、それを悲観する必要はないんじゃないか」
 ポンと、明夜の頭の上に手をのせ、軽くくしゃくしゃにする。

「ありがと…」
 明夜は、のせられた晶久の手の上に自分の手を重ねた。温かいと思う。そして優しい。こんな時間がずっと続けばいいな…、と明夜は心の中で密かに思った。

 現代<いま>は流れる。
 過去の何たるかを捨てて、未来の何たるかに希望を込めて。

 …しあわせ。
 それが素直に言える時代に、二人は…やっと辿りついた。