映像は、私たち各々の人間の深遠なる物語の入口でしかない。
マグリットデュラスは、『ヴェネツィア時代の彼女の名前』という映画で、『イン ディア・ソング』の音声だけをそのまま使っていた。映像として流れていたものは、その映画の音声の周辺の情景といったところか。また、クリストファー・ノーランは、映画『TENET』において、逆回しの映像を巧みに合成し、ふしぎなエンターテイメント映画を成り立たせた。
では、映像を音声と同尺で分け、一方を逆回ししたら何が生まれるか。フィックス・ワンカットというテーマが、トリガーとなった。
作品テーマに「穴器」という字を使ってきた私にとって、時間に「穴」はないのかという問いに取り憑かれている。
その意味で、ループや逆回しは、時空の表現において強いつながりを持つ。
映像作品『逆回しと偶然そして忘却が新たなフィクションを生むー石膏をほどくー』(9′59″)
液体を撮影することは、極めて映画的であることを意識したことがある。この作品で、ボールの水が粉を入れることによって固まる「石膏」に着目した理由だ。
音楽を入れたのは、石膏を無駄にしないため一発撮りで尺をイメージするためでもあった。
撮影時の機転で窓を開けたのだが、その事で「石膏をほどく」物語が幾重にも支えられることになるとは予想しなかった。
ギャラリーN の茶室に合うのではないかと考える。