雑記帳 2002 その1
2002年7月17日
「にきび」
にきび...一般に「青春のシンボル」といわれる。ただし「はたち過ぎれば吹き出もの」ともいう。長男は今年で19歳。最近は背中までニキビだらけになっているが、あせもと渾然一体となっているところをみると、彼の場合は単に風呂へ入っても「まともに洗っていない」のだろう。同時に、うちのカミさんの場合は「青春のシンボル」だと言い張っているが、温厚でことなかれ主義の私は、これについては反論しない。
さて先月の話である。高血圧の患者さまのご希望により、いつものように一包化処理で薬を作っていたところ、なにやら様子のちがう錠剤がまぎれこんでいる事に気がついた。1個だけほかと様子がちがうというか、なにか手ざわりが違う。 おや??
これは、まぎれもなく不良品である(突起錠という不良状態)。後日談となるが、製造メーカーに問い合わせたところ、ていねいな報告書が帰ってきた。
それによると糖衣錠(口に入れると甘いヤツですね)の製造過程では、0.1%程度発生するそうで、けっこう発生率は高いものだなあと感心。その後、機械による錠剤チェックを通って不良をはねるのだが、最後は人間の目で最終チェックなんだそうだ。そのあと、さらに抜き取り検査をしてから出荷となるという。
突起錠の発生原因は、糖衣工程において、糖衣パン壁面などに付着していた余剰糖衣液が乾燥し、粒になり、それが落下して未乾燥の糖衣錠表面に付着して生じると考えられています。そのため、適切な糖衣液量の設定や糖衣工程中間でのパン洗浄など、さまざまな突起錠発生防止の対策を行っておりますが、0.1%程度の割合で突起錠の発生が確認されており、ゼロになっていないのが現状です。
次の工程である錠径・錠厚選別機では、突起錠の大部分を排除していますが、設定値の範囲内にあるものは排除されません。当該突起錠は選別機の設定値内であったため排除されなかったものと思われます。
その後、錠剤表面に印刷を施したあと、目視工程にて全数の外観検査・選別を行いますので、通常であれば排除されるのですが、見逃されたものと推察されます。
また、包装工程において、当該錠剤が正常にPTPポケットに充填され、その後のPTPシートの目視検査工程においても発見することができず、製品化されたものと推測されます。メーカーの報告書より抜粋
クレーム処理(クレームの覚えはないが)は、かくありたいと思う。ただし、今回は患者さんに渡る前に発見したから、こんな悠長なことが言えたんだと思う。
患者さんに渡った後であったなら当然、
患:「おんどれの店では吹き出ものつきの薬だすんか〜
責任者出てこいワレ〜!」
(責任者は私でございます。すでに あなたの目の前に立ちすくんでおります…) ・・・・ いつものパターンですねこうなっただろう。 そのとき...
私:「いいえ、それは吹き出ものではございません。
当店は鮮度をモットーにしておりますので、それはピチピチのニキビでございます」というようなバカな受け答えをしようものなら、次の日には新聞の3面を飾ることになるだろう。
四日市の調剤薬局、不良医薬品を調剤
不誠実な対応に被害患者は激怒
血圧急上昇で体調不良を訴える
いま問われる薬局のモラル
医薬分業は国民のためのものか
ああ こわい。この前は、薬をまちがえたし...
2002年6月4日
「神様」
神様という単語からみなさんは何を連想するだろうか。国語辞典によると、けっこうたくさんある … というか、ふぅーんっていうのもある。
かみ【神】
1 宗教的・民俗的信仰の対象。世に禍福を降し、人に加護や罰を与える霊威。
古代人が、天地万物に宿り、それを支配していると考えた存在。
自然物や自然現象に神秘的な力を認めて畏怖(いふ)し、信仰の対象にしたもの。
2 神話上の人格神。
3 天皇、または天皇の祖先。
4 死後に神社などにまつられた霊。また、その霊のまつられた所。神社。
5 キリスト教で、宇宙と人間の造主であり、すべての生命と知恵と力との源である絶対者。
6 雷。なるかみ。いかずち。
7 人為を越えて、人間に危害を及ぼす恐ろしいもの。特に蛇や猛獣。
8 他人の費用で妓楼に上り遊興する者。とりまき。転じて、素人の太鼓持。江戸がみ。国語大辞典(新装版) 小学館 1988
神様のような人、神も仏もない、山の神とか、いろいろ使われる。
ところで、神様というのは慈悲深く、やさしく、常に正しく、正義の存在というふうに自分では理解していたが、星の世界、特にギリシャ神話の世界の「神様」はとんでもないヤツがいる…っていうか、とんでもないヤツばかりだ。
その最右翼がゼウスという神様だ。彼の素行は、きょうび下界でもそうそうある話ではない。
ギリシャ神話での神々の振舞いには、人間の煩悩のすべてが含まれているような気がする。科学が進歩した今でも人間は煩悩の点ですら彼らを超えられないという現実から見て、その意味ではやはり彼らは神なのだろう。しかし、こんなのは神でもなんでもないと大声で叫びたくなるのは、私だけだろうか。
2002年5月22日
「月その2」
昨晩は市内の小学校5年生の自然教室に、天文ボランティアとして参加した。100名を超える大所帯で思いきり賑わった。終礼が終わって、後片づけ間際に月をスナップ。1日でだいぶ大きくなったのがわかる。
Date : 2002-05-21 20:26:52
Camera : Nikon E990v1.1 ISO100 f=23.4mm F:4 1/60sec.
Telescope : PENTAX 75SDHF(F6.7) SP26mm
2002年5月21日
「上弦の月」
これまた久しぶりに望遠鏡を出した。PENTAX 75SDHFという小口径の屈折式の天体望遠鏡だ。小口径ながら月などの光量のある天体は思いのほかよく見える。さっそくデジカメを持ち出し撮影。クレーターなども結構よく写っている。
半月には上弦の月、下弦の月の二種類があるが、今までは西の空に月がある時に弦の部分(欠けぎわ)が上にあるか下にあるかの違いだと思っていたが、そう単純なものではないようだ。昨晩は少し冷えたためか鼻水が止まらない。
半月(画像処理なし)
Date : 2002-05-20 19:48:03
Camera : Nikon E990v1.1 ISO100 f=23.4mm F:4 1/60sec.
Telescope : PENTAX 75SDHF(F6.7) SP26mm
2002年5月13日
「薬剤師ってのは気楽な商売」
●●大学病院で、感冒薬を処方するはずの患者に、内科の医師が誤って抗がん剤を処方し、患者が抗がん剤を服用していたことがわかった。医師は書類の点検でミスに気づき、服用の中止を指示した。似た名称の薬品だったためコンピューターで処方せんを作る際、入力を間違えたという。患者は13錠を飲んでいたが、特に異常はなかったという。同病院は患者に謝罪し、院内の医師や看護師らに配っている広報誌でミスの概要を掲載し、注意を呼びかけた。
【平成14年5月10日朝日新聞】えーっと...この記事に対して、なんとコメントしたらよいのか…。この風邪薬はニュースではエンピナースと報道されていたから、エンピナースP(カプセル)あるいはエンピナースPD(錠)のどちらかだろう。
ということは、まちがって患者さんに渡ったとされる抗がん剤は、さしずめエンドキサンP(錠)なのだろう。名前は似通っているが全く違う薬であることは報道のとおりである。この患者さんに今のところ抗がん剤による障害はおこっていないようで、これは不幸中の幸いだ。
さて問題なのは、この報道には「院内の医師や看護師ら(近年法が改正され看護婦から看護師へと呼称が変わった)」とあるが、処方せんにもとづき調剤し、最終的に実際に患者さんに薬をわたした薬剤師については責任の追及はない。というか記事には薬剤師の存在すらない。
薬剤師による処方監査が不十分だったためのミス(患者とのインタビューで発見されるのがふつう)と捕らえるのがふつうだろうが、これについての論評などは全くない。社会的、職能的責任は追及されることもなかったわけで、社会的におとがめなしということだ。
ちなみに看護師はこの医療事故の場合、全く関係ないのだが、医療従事者の双璧(医師・看護師)という立場で、ちゃんと存在をアピールしている。とどめに再発防止の広報誌も医師、看護師らに配ったということだから、薬剤師は全くあてにされていないことがわかる。
薬に関する事故があってもおとがめなし。薬剤師ってのは気楽な商売だなあ。存在が国民から見えないというのは、こういうことだ。薬剤師という資格自体が消滅する日も近い。
2002年4月18日
「山羊さん ゆうびん」
何回教えてあげても同じ事をたずねてくる人がいる。
気の毒だから毎回同じ事を教えてあげる。
そのとき、「しょっちゅう忘れることはメモして貼っておくといいよ」とも付け加えるのを忘れないようにしている。
でもまた同じ事をきいてくる。わからないことを聞くのはいい事だとも思うが … ふと ある歌を思い出した。
白やぎさんから お手紙着いた
黒やぎさんたら 読まずに食べた
仕方がないので お手紙書いた
さっきの手紙の ご用事なあに
黒やぎさんから お手紙着いた
白やぎさんたら 読まずに食べた
仕方がないので お手紙書いた
さっきの手紙の ご用事なあに作者は何を思って書いたのだろうか。それにしても、読めば読むほど不思議な詩だと思う。
山羊さんゆうびんでネットを散歩していたところ、『やぎさんゆうびん』の謎として論評しているサイトがあった。興味深い。
2002年4月12日
「コル・カロリ」
明日は四日市市博物館天文ボランティア主催の星空イベントがある。自分の望遠鏡も出動予定になっているので、しかたなくテストもかねて望遠鏡を出した。今日はほかにも会議があったのだが、少し熱っぽかったのでサボってしまった(うへへ)。
夕方の空には宵の明星(金星)、そのちょっと上に昨年話題になった火星、その上に土星、そのまた上に木星と惑星がずらっとそろっていて壮観だった。急に気温が下がってきたせいか、気流がすこぶる悪く、寒いだけで楽しむどころではなかったのが残念だ。これでカゼをこじらせ、明日出動できないとなると「バカみたい」のひとことに尽きる。熱を出さないことと、明日の晩が晴れるのを祈ろう。
コル・カロリ(りょうけん座α:2.9等と5.5等の二重星)
Date : 2002-04-12 19:45:17
Camera : Nikon E990v1.1 ISO100 f=23.4mm F:4 1/10sec.
Telescope : Meade LX200-25(F10) LV15mm
2002年4月8日
「常備薬の君」
今は立派な大学生、それもかなりの難関を突破した「若いコ」からメールをもらった。
おもわず うぷぷっ とよろこんでいる私を想像した方、残念でした。このコは何を隠そう当薬局での「お得意様…いいのかな??この表現」だったコだ。
彼女に無断でメールの一部を転載しよう。
中学の時に、とってもぐれてた私は常備薬が必要だったのだが、何を勘違いしたのか、ある日先輩に呼び出され 「お前、クスリやってるの? やっぱスピード?」
…違うって、当然否定しておきました。ちなみに部活をサボる口実に(2時間近く●●●駅で時間を潰すのだが)いつも「薬剤師のところ行ってくるから」・・・
「…なんだか怖そうな人だね(--;」違う人想像したでしょ?
想像したのは間違いなく ”ヤクザ医師” でしたね、何より顔が蒼過ぎます。でも、こういう人の方がサボりやすかったので、そのままにしておきました♪
友人には「毎日高校に行ってる」といっても信じてもらえませんでした。処方せんの受け付け窓口で「今回は数学がよくできた」とか「物理が撃沈だった」とか「今日は部活フケたった」などと、薬と全く関係のない話をしていたのが、つい昨日のように思い出される。
理系を専攻した彼女に、薬学部も勧めた事があったが、彼女は自分の意志でやりたい事が見つかったようだ。今は気象関係の学問を専攻しているそうで、大学院へ進むつもりだという。たいしたもんだ。
そのころ彼女には持病があって、常備薬を離すことができなかったわけだが、このメールを読む限りではあまり苦にしていた様子はなさそうだ。花も恥じらう乙女が、持病に苦しんでいたのだろうと大変気を使っていたのだが、どうもその必要はなかったかもしれない。 ううむ、むずかしいものだ。彼女の今後の活躍を期待しよう。
番茶も出ばな、鬼も十八。 おっと失言。
2002年3月23日
先日、ある方から、印象的な詩をいただいたので紹介しよう。
あるところに、物事を「うまく」考える人がいました。
それを知った人が、その人にある頼み事をしました。
その人は、頼み事をうまく処理しました。
それを聞いて、別の人がその人に頼み事をしました。
その人は、また、頼み事をうまく処理しました。
そのうち、みんなが、その人に頼み事をするようになりました。
その人も、それを喜んで引き受けていました。
しかし、その為に、その人は自分のこともできなくなってしまいました。
しかし、みんなはそれが分からず、さらに頼み事をするようになりました。
ある日、その人はいなくなりました。
それで、みんなはようやく気づきました。
その人が無理をしていたのだと。
いつかだったか、先輩から、
大事な仕事は忙しい人に頼むべき 暇な人にはいい仕事はできない
と、アドバイスされたことがある。確かに一理あると思った。そのころ、重職にありながらいつもひまそうにしていた方々の処理能力や責任感、仕事の内容について大きな疑問を抱かざるをえない事が、じっさい多くあったからだ。早い話が有能でたくさん仕事を抱こむタイプの人はより忙しくなり、そうでない人にはムダだから話も来ないのでより暇になる…ということが真相のようだ。もっとも抱え込む側にとっては恐怖の悪循環のほかの何ものでもないが、これは、たまったものではない。
とつぜん関係ない話で恐縮だが、むかし、フイルムの宣伝だっただろうか「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに写ります」というのがあったが、それなりに楽に生きるのもいいかな…と思ってしまう今日この頃だ。
2002年1月17日
「午」
今年は午年、あけましておめでとう。1月も半分以上すぎたところであけましておめでとうもないもんだ。まったく間がぬけている事おびただしい。これはひょっとすると今年の運命を象徴しているのだろうか。まあ、出しぬくようなことをするくらいなら、まだ間がぬけているほうがいいのかもしれない。しかしこの不景気、食えなくなるのは困る。
午年と書いてうまどしと読む。あたりまえと言われればそれまでだが、高校1年まで馬年とばかり思っていた。さて、馬ではないが午と牛もややこしい。じっと文字だけ見つめていると何の字やら、わけがわからなくなってくる。そのうち電信棒に見えてくるから不思議だ(かきとりテストで「午後」を「後午」と書いてペケを食らったことってありません?)。
わけがわからぬついでに高校1年のとき小テストで丑の刻のことを牛の刻と書いてペケを食らった事を覚えている。そのころ、ほのかに心をよせていた同級生も同じくペケを食らっていたのがとても嬉しかったことを今でも印象深く覚えている。心をよせていたあの子はその後、どうだったかというと…彼女はアホは眼中になかったようで、全く相手にされることもなく静かな年月が流れ卒業を迎えることになった。もはやそんな事はどうでもよい。