雑記帳 2002 その2
2002年12月25日
「インフルエンザの予防接種」
インフルエンザの予防接種といえば、確か小学校の頃、クラス単位に呼び出しがあり、自分のクラスの順番が来たら、渡り廊下をいつもと違って口数少なく神妙な顔つきで体育館へむかったのを思い出す。
A:「痛かった?」
B:「ううん そうでも…」
C:「むちゃ痛かった」
D:「え゛〜ん!」などとさまざま。 私は注射がとくにイヤではなかったためか、むしろ授業中に抜けられることがうれしかった。 いじめっ子が注射嫌いで半泣きだったりするので、なかなか興味深い。
ところで、10年前なのでもう時効だが、仕事上でかかわりのあった小学校でインフルエンザの予防接種の案内が配られた。その養護教諭はインフルエンザの接種に反対だったのだろうが、こういう内容はいかがなものだろうか。
インフルエンザはかぜのちょっとひどいといったもので、命に関わることはなく、子供のうちにかかっておいて免疫をつけておけば、老人になってかかっても軽く済むからいいのだそうである。 ひとこと言わせてもらう。
あほんだら
あんた、仕事をしたくないだけなんじゃないの? きっと彼女は今も市内の小学校で先生として働いているのだろう。
2002年11月11日
「目玉焼きの恐怖」
宵の明星、明けの明星で知られる一番星の代表格、金星は大変明るい惑星だ。地球と金星、太陽との位置関係で一番明るくなる状態のとき(最大光輝)は−4.7等にもなる。さて、この11月1日に金星は地球から見て太陽と同じ方向になる位置関係(合という)で金星が太陽と地球の間になる状態、内合を迎えた。この頃の金星は最も暗くなるのだが、それでも−3.8等だという。
金星は昼間でも見える唯一の惑星だという事は意外と知られていない。まっ昼間に星が見えるというのは異様なことと思うかもしれないが、位置さえはっきりわかれば双眼鏡を用いるとたやすく見つけることができる。ただ、今回の金星は内合から3日しか経過していなかったため撮影には恐怖がつきまとった。望遠鏡をのぞいている時に万一、一瞬でも太陽が望遠鏡の視界に入れば失明は免れないからだ。
欠けた金星(中央右寄り)
Date : 2002-11-03 11:59
Camera : Nikon E990v1.1 ISO100 f=23.4mm F:8.9 1/967sec.
Telescope : PENTAX 75SDHF LV15mmこの視界のすぐ左上に太陽が輝いている。目玉焼きは好きだが自分の目玉はかわいい。
2002年10月1日
「すてる」
これはあとで使えるかもしれないから、おいておこう
ふむふむ この資料は興味深いから捨てるのはもったいない
去年探してたプリントが今ごろになって! 今度は壁に貼っておこういつだったか、まだ大学に勤めていたころ、職場の後輩に言われた事がある。
「藤戸さん、かたづけようと思ったら、すてなきゃだめよ」
実際には、土佐弁で「ふじとさん かたづけよう おもーたら すてなぁ いかんぜよ」だったが...まことに的確、かつ、明快なアドバイス。 当時、その後輩は高校を出たばかりの若干18歳。 現在、私の娘がその年齢に近い。
「もしかして必要かも…」と思って保存していた資料は、まず使われることはない。万がいち必要になった場合であっても、すでに、どこにあるかわからないのが普通だ。きっとこの中にうずもれているのだろう…と思うが、土砂崩れを恐れるあまり、決して奥深く探すことはない。 もしかして「これはいらない」と捨てたものが後になって必要になった「ごくまれな事象」によって受けたトラウマが今の私をそうさせているのかもしれない。
あれから20年ほど経つが、今も彼女のアドバイスは肝に銘じているつもりだ。しかし、あいもかわらず私の机まわりは混み合っている。いや、混み合っているとか、そういったレベルではなく「ほかの場所への侵略がすでに完了している状態」といったほうが適切かもしれない。
「すてる」 これは大変勇気が必要で、かたづけるための必須事項だが、現状はといえば「まずゴミ箱の中のものをすてる」ところからはじめる必要がある。客観的にこの状況を眺めてみると、これは「あるていど生まれ持ったものがあるのではないか」という、漠然とした絶望感をふと感じる今日この頃である。
余談だが、娘も私と同じような血が流れているようで、机まわりはなかなかの混み具合だ。
2002年9月16日
「ステルス職能に評価の声」
つい最近、なんと私のHPを訪問してくださった方からメールをいただいた。9月7日の雑記帳をみての感想なのだが、これがなんともうれしい内容だった。内容を載せて良いかと訊ねたらOk。これまたうれしい。
「へんなクセ」を読みました。 尋ねられてもいないことを答える私は、余程おせっかい者なのでしょう。 私の場合、院内薬局の薬剤師さんしか分かりませんが。いなかったら仕事ができない。 私の場合、院内薬局の薬剤師さんと仕事をしていますが、いなかったら仕事ができない。 「医師の指示どうり薬をつくる人」ですが、「医師の指示どうり薬をつくらない人」もいます。 例えば「500mgは通常より多いですが、何か理由がありますか」「食事をとっていない患者さんには使わない方がいいと思うのですが・・・」と 処方箋を見て、電話を下さいます。細かなアドバイスにどれほど助けられてきたことか。 医師の中にも、「薬局に聞いてから・・・」といろいろ相談しているところも見ます。 私も「溶解後の薬効は何時間までOKですか」「A液とB液を点滴ボトルへ入れたら一瞬白濁したのですが、安全ですか。」 困った時には薬局へ電話をしています。 国民からは直接見えにくい一室で頑張っている薬剤師さん、いつも本当にありがとうございます。個人的にひとつの意見として書きました。 |
彼女は、ある大きな病院に勤務する看護師さんで、病棟で忙しい毎日を送っているという。じかに患者さんと接しているわけで少なからず重症もあるだろう。ときには落ち込んで泣きたくなるようなこともあるということだが、そんな事をいっているひまもないような現場にいるという。
ところで、彼女が勤める病院の薬剤師さんは、彼女にとって仕事上で大きな支えになっている様子がうかがえる。職場は違えど私も同じ薬剤師という職能で、何よりうれしい。誠実に仕事をこなしていれば見る人は見てくださっているのだなぁとあたりまえの事ながら妙に納得。彼女の病院の薬剤師さん、ありがとう。
さて身内の話になるが、われわれ薬剤師にも日本薬剤師会(略称:日薬:多くは開局)という職能団体がある。だが日本病院薬剤師会(略称:日病薬:多くは病院)という病院に勤める薬剤師のための職能団体もあるのだ。同じ薬剤師なのになぜ2つに割れるのかがわからないが、きっと過去を引きずっているのだろう。
そもそも医師や看護師などでは病院に勤める者と、それ以外を隔離する別の組織があるなど、私自身聞いたことがない。薬剤師だけが日本薬剤師会のほかに日本病院薬剤師会という2つの巨大な独立組織を作っている。おまけだが日本女性薬剤師会なんてのもある。いまどき医療職に男も女もあるまいにと思う。外から見れば変な話だと思うのは私だけだろうか。今でも「病薬はエラソウだ」とか「開局はバカだ」とか、なぜか年配薬剤師の間では確執があるようだが、身内同士でそんな事を言ってる場合じゃないだろ、そんな事だからいつまでたってもうだつが上がらないのだ。
薬学部もまもなく6年制になるし、結構大学に入るのも難しい。入ったら入ったで地獄の4年間が待っている。やっと国家試験を乗り越えたと思ったら、思いのほか安月給で、しかも尊敬される職業のランキングでは看護師さんに遠く及ばない。ステルス職能というか張り合いのない職業というか、国民に認知されるのはいつだろうか。
ところで、薬局という名称は、本来、街の薬局をさす。例外的に病院の調剤所(薬剤部のあるところ)を薬局と称することが認められているだけなのだが、これはほとんど知られていない。
2002年9月7日
「へんなクセ」
直接尋ねる質問がある。 いきなりである。 自分でも変なクセだと思う。
「あなたにとって薬剤師の仕事ってなんだと思います?」
「薬剤師って何をする人だと思います?」...返答はいろいろ。
「医者の言うとおり薬を作る人」、「薬の専門家」、「病院の手下」、「いてもいなくてもあまり困らない人」、「あつかいにくく理屈が多い人」、「聞いたこともない会社の薬を売りつける店主」、「働かない人」、「嫁入り道具の免許を持ってる人」、「医療のパートナーで、いなくてはならない存在」、「高給取りのパートのおばさん」、「病院の隅っこで白衣を着てる人」、「入院したときに医者に聞きにくかった質問をすごく親切に説明してくれた人」、「医院近隣のパチンコ景品交換所みたいな建物の中にいて、質問しても病院に聞いてくださいという人」、「看護婦の付添い人」、「医者の間に合わせ」、「雑貨屋の店主」 ・・・・・
ほとんどの人はさらっと答える。興味深いのは医師に尋ねた時だ。一瞬困った顔をすることが多いのはなぜだろう。社交辞令的な職能賛美の言葉をいただくことが多いのだが、その中身を聞いていると、われわれのアピールがまだまだ足りないと再認識させられる。要するに多くの医師からも薬剤師が見えていないのである。同じ医療職で、パートナーとしての関係であるべき職能どうしですらこういうふうだから、患者さん(国民)から見えないというのもあたりまえかなとも思う。
「へんなくせは」なかなか直らない…というか直す気はない。自分自身が何者なのか、迷ったときに見つめなおせるからだ。
2002年7月29日
「お門違い」
「パソコンが変です。どうすればいいですか?」、「BIOSの設定がわかりません」、「プロダクトキーがわかりません」、「ウイルスって何ですか?」、おしえてください。
あのぉ〜、これって なんですか? だれだったかのHPにあったけど、
「金がないなら知恵を出せ、知恵がないなら汗をかけ、それもできないなら あきらめろ」の自己責任の世界だ。
冷たいようだが、こういった事に関わったが最後、際限なくお付き合いをすることになることは今迄の経験が物語っている。不幸にも相手が「ド」のつくシロウトだった場合、こちらの作業の内容や苦労や価値もわからないわけだから、苦労に見合った感謝などはありえない(こういう場合、やり甲斐がないことおびただしい)し、すぐに次なる問題が待っていることは当然予想される。その手間の多くは時間の無駄であり、無理を聞いてあげても、いわゆる徳を積むことにもならない場合が多い。
昔は一つ一つお付き合いしていたが、最近はポイントを得ない質問は遠慮なく撃退するようにしている。そうしないとこういうことになるのだ。
さて、その昔、ある東洋の国のメーカーがマイクロカセットレコーダーのライセンスを日本の会社から取得したという。いざ設計の段階になって、どうしてもうまくいかないので日本の会社に設計そのものを教えてくれと頼んだそうだ。日本の会社はひとこと。「きちんと動く機械が作れるようになってからご質問ください」
と回答したそうだ。 一件矛盾しているようで、実は誠に正しい対応だと思う。その後、東洋の国のメーカーがどうしたかは定かではないが、まともな製品が完成したとは思えないし、自分ならそんなメーカーの製品は絶対購入したくない。
一から十まで教えてくれるのは学校、それも義務教育だけ。あとは自分の努力次第だということだ。
ただし、教えることによってこちらにもメリットのある場合や、特別な人々(まあ家族やごく親しい仲間などですね)、ポイントをつかんだ質問などの場合ならば、快く対応することは言うまでもないが、ポイントの外れた、またはお門違いの質問は、まず相手にされないという事である。ノウハウやサービスはタダではないのだ。そこの理解ができない人はあわれだ。