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小学6年生の冬、四日市のひかり模型に入荷したばかりのレべルコル ベットスティングレイ 1/24を1800円で買いもとめる。自転車で5分 ほどの距離のヘルスセンター(今はやりの健康ランド宴会のできるお風 呂屋さん)のサーキットへ なんどか通うものの こずかいが続かない、 うまく走らせられない、そして中学生となりPTAから出入り禁止の場所に 指定されるで興味がうすれる。その後 長らく押し入れの中で忘れ去ら れてしまう。 1984 11月ごろ 溜まり場だった自転車屋さんで知り合った あべちゃんから「自宅の車庫にベニヤ板で作ったコースでプラモデルを 走らせて楽しんでいる人がいる」いっしょに見に行かないかと誘われる。 紹介された杉谷くんは ミニ1000のエンスーで面識のある方でした。 彼の作ったコースは12Mほどの2コースですが 航空ベニヤに みどりの黒板塗料を塗った60年代そのものでした。 ステンドグラス製作者でもある彼の工夫がいたるところにみられました コースに張られた給電用のアース線にはステンドグラスをつなぎ合わす ため張る銅板のテープを利用してあり 3分割のコースを接続するため 自動車用の電気コネクターを廃物利用してありました。なにより 目をひいたのは 自作されたダンロップアーチでした。 ----------------------------------------------------- 期せずして スクランブル カーマガジン58増刊号 MODEL CARS 1985/1が刊行された年でもありました。 ----------------------------------------------------- 数日後、整備しなおしたコルベットスティングレイ1/24をもって杉谷サ ーキットへ 集まりました。そのとき紹介されたのが、愛称”もたさん” と呼ばれる方でした。私にシリコンラバーと無発泡性ウレタンを引き合 わせた恩人ともいえるカメラマン兼モデラーで個性あふれる方でした。 コースで もたさんが試走していたのが 美しいレインボウカラーに 塗装されたタミヤのミニクーパー1/24 シャーシは 自作で なんと フロントドライブFFで 快調に周回していたのです。スロットでは集電 ブラシと駆動輪の接地点が 同じ線上になるため難しいのです。 1984年当時 幸いなことに レベル1/32の 前後アルミホイールと シャフト パーツセットを 大量に在庫していた ショップがありこれを 利用して ワンメークレースを始めることになりました。 また 静岡県焼津市のワラシナ自動車さんのヒストリックレースに 単身参加していた 四日市市の生川くんとも出会うことになりました レース現役の生川くんの「 レースをみんなで楽しく続けるためには 最初にレギュレーションをしっかりつくって参加者が尊守することが 大切」というアドバイスから、モーターはNEW16D シャーシは 自作で 使用する材料を指定することで イコールコンデションとな る条件を設定しました。 ----------------------------------------------------- このポリシーは、以後1991年版MCRCレギュレーション(PDFファイル容量1502k)に継承されていきます。 ----------------------------------------------------- ただ エントリーできる ボディーは 思いいれもあるので タミヤのミニクーパー1/24と グンゼのフィアット500 1/24の 2車種と決まりました。このため グンゼのフィアット500が 中京地区のプラモデルやさんから すべて消えることになります。 一枚のパーツ請求券で ボディのみ1ダースの注文がタミヤ模型 グンゼ産業へ とどくようになります。 私の第2のスロット人生は、杉谷サーキットから始まったともいえます。
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