わたしのうたの歴史
私のうたの歴史をランダムに書いてみた。いくつか溜まったら,別のファイルにまとめてみようと思う。
尚,論文ではないのできちんと根拠を確認しておらず,あやふやな記述も少なくなくないので記憶違い等があってもご容赦お願いします。
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戦後三羽烏(岡晴夫)
岡晴夫(2025.7.6)
1939年,キングレコードから「国境の春」(詞:松村又一,曲:上原げんと)でレコードデビュー。記憶になかったのでYouTubeで聴いてみたが,やはり聞き覚えのない歌だった。
しかし,直ぐ同年に「上海の花売娘」(詞:川俣栄一,曲:上原げんと),「港シャンソン」(詞:内田つとむ,曲:上原げんと)などのヒット曲を出している。
戦後人気絶頂期を迎え,戦後三羽烏の一人に数えられる。ヒット曲は1946年の「東京の花売娘」(詞:佐々詩生,曲:上原げんと),1947年の「啼くな小鳩よ」(詞:高橋掬太郎,曲:飯田三郎),1948年「憧れのハワイ航路」(詞:石本美由起,曲:江口夜詩)などである。
6人以上のグループ(森田公一とトップギャラン)
森田公一とトップギャラン(2025.7.2)
結成は1969年らしいが,当時のことを私は知らない。1976年の「青春時代」(詞:阿久悠,曲:森田公一)が唯一私の知っている曲だ。
グループメンバーはレコードジャケットを見ると6人のようだから6人以上のグループに分類した。
トップギャランの歌はほとんど知らないが,森田公一は多くの歌手に曲を提供している。
ヒット曲を少し挙げてみよう。森山良子に提供した1968年の「愛する人に歌わせないで」(詞:森田公一),和田アキ子に提供した1972年の「あの鐘を鳴らすのはあなた」(詞:阿久悠),アグネス・チャンには1972年の「ひなげしの花」(詞:山上路夫),1973年の「小さな恋の物語」(詞:山上路夫),天地真理には1972年「ひとりじゃないの」(詞:小谷夏),「虹をわたって」(詞:山上路夫),1973年「若葉のささやき」(詞:山上路夫),「恋する夏の日」(詞:山上路夫),「空いっぱいの幸せ」(詞:山上路夫),研ナオコの1973年「女心のタンゴ」(詞:阿久悠),森昌子へは1973年の「記念樹」(詞:阿久悠),小柳ルミ子へ1973年「春のおとずれ」(詞:山上路夫),桜田淳子には1974 年「黄色いリボン」(詞:阿久悠),「はじめての出来事」(詞:阿久悠),1975年「十七の夏」(詞:阿久悠),「天使のくちびる」(詞:阿久悠),「ゆれてる私」(詞:阿久悠),1976年「夏にご用心」(詞:阿久悠),1977年「気まぐれヴィーナス」(詞:阿久悠),キャンディーズには1975年の「ハートのエースが出てこない」(詞:竜真知子),荒井満には1977年「ワインカラーのときめき」(詞:阿久悠),小林旭の1978年「夢ん中」(詞:阿久悠),河島英五には1986年の「時代おくれ」(詞:阿久悠)などである。
三人ひろし(守屋浩)
守屋浩(2025.6.28)
1958年,日劇ウエスタンカーニバルでデビュー。当初東洋企画に所属していたが,堀威夫が同企画を離れると同時に守屋も同企画を離れ,堀が設立した堀プロダクションに移籍した。ホリプロの最古参で,ヒットした最初のタレント。レコードデビューは1959年の「泣かないで帰ろう」(詞:植田喜靖,曲:植田喜靖)らしいが,私は知らない。
ヒット曲で私が知っているのをいくつか挙げると,1959年の「僕は泣いちっち」(詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助),「夜空の星」(詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助),1960年の「東京へ戻っておいでよ」(詞:星野哲郎,曲:遠藤実),「有難や節」(詞:浜口庫之助,曲:森一也),1961年「月のエレジー」(詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助),「笑顔だよお加代ちゃん」(詞:三浦康照,曲:三和完児),1962年「大学かぞえうた」(詞:浜口庫之助,曲:仲田三孝,水原皓一),「ざんねんソング」(詞:浜口庫之助,曲:仲田三孝),「長いお下げ髪」(詞:神津善行,曲:神津善行),1963年「裸の東京」(詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助),1964年「明治大恋歌」(詞:星野哲郎,曲:小杉仁三)などだ。また1963年には島倉千代子とのデュエット曲「星空に両手を」(詞:西沢爽,曲:神津善行)がヒットした。
唄う映画スター(小林旭)
小林旭(2025.6.24)
1956年の第3期日活ニューフェイスに合格。同年の「飢える魂」で映画デビュー。1958年に「錆びたナイフ」で石原裕次郎と共演している。ヒットした映画は多数あるがここでは歌関連のみを示す。
1958年,「女を忘れろ」(詞:野村俊夫,曲:船村徹)で歌手デビュー。同年の「ダイナマイトが百五十屯」(詞:関沢新一,曲:船村徹)が大ヒット。以後小林はマイトガイと呼ばれるようになる。
ヒット曲も多数ある。映画で唄われた曲も少なくない。それらの中でわたしの記憶に残っている曲をいくつか挙げると,1959年「銀座旋風児」(ギンザマイトガイ)(詞:吉沢ひかる,曲:小川寛興),「ギターを持った渡り鳥」(詞:西沢爽,曲:狗林正一),1960年「ダンチョネ節」(詞:西沢爽,曲:遠藤実),「鹿児島おはら節」(詞:西沢爽,曲:遠藤実),「ズンドコ節」(詞:西沢爽,曲:遠藤実)など,厳密にオリジナルとはいえない替え歌のような歌をこの頃多数唄っている。そして1960年には「アキラの会津磐梯山」(詞:西沢爽,曲:浜口庫之助)のように,よく知られた曲名に「アキラの」を付け加えた曲を多数出す。60年に9曲,61年にも9曲「アキラの」を冠した曲を出している。
「ズンドコ節」などは元々民間で流布していた曲をアレンジして「ズンドコ節(街の伊達男)」(1947年,詞:佐々木英之助,曲:能代八郎,唄:田端義夫)などというレコードがでている。まあ,こちらにはサブタイトルがついているが。後には「ドリフのズンドコ節」(作詞・作曲不詳,補作詞:なかにし礼,編曲:川口真,唄:ザ・ドリフターズ)なども出ている。
リバイバル,リメイク,カバーそれぞれの用語の厳密な違いは知らないが,昔人間ならよく知っている歌のレコードを新規発売することがある。ほとんどの場合,昔のタイトルと同じタイトルに,若干手を加えたつもりなのか歌手名を冠せることがある。これが小林旭から始まったのではないか。あとは「ゴールデン・ハーフ」ぐらいしかすぐには思い浮かばないが。
「鹿児島おはら節」などは「青年おはら節」(1965年,詞:星野哲郎,曲:米山正夫,唄:西郷輝彦)とタイトル自体を変えることもありになった。ドリフは曲名自体も変え,更に「ドリフの」と冠した曲を幾つも出している。
小林旭の歌に戻ろう。「アキラの」という歌を除いて私の印象に残った歌は1960年の「さすらい」(詞:西沢爽,曲:狗林正一),1961年の「北帰行」(詞:宇田博,曲:宇田博),「惜別の唄」(詞:島崎藤村,曲:藤江英輔),1964年「自動車ショー歌」(詞:星野哲郎,曲:叶弦大),1970年「ついて来るかい」(詞:遠藤実,曲:遠藤実),1971年「純子」(詞:遠藤実,曲:遠藤実),1975年「昔の名前で出ています」(詞:星野哲郎,曲:叶弦大),1977年「もう一度一から出なおします」(詞:星野哲郎,曲:叶弦大),1985年「熱き心に」(詞:阿久悠,曲:大瀧詠一)などがある。もっともっとあるのだが場所をとるので書ききれない。
ハスキーな高音が独特だが,この程度の特徴は独特な声に分類する程ではなく,歌手の個性の範囲内だと判断した。
昭和30年代男性歌手四天王(村田英雄)
村田英雄(2025.6.20)
元浪曲師。5歳で酒井雲門下に入り酒井雲坊の名を貰い,13歳で真打。25歳で村田英雄に改名。
1958年,歌謡浪曲「無法松の一生」(詞:吉野夫二郎,曲:古賀政男)で歌手デビュー。59年にはリバイバルソング「人生劇場」(詞:佐藤惣之助,曲:古賀政男)などを出すがあまり売れず。1961年に「王将」(詞:西條八十,曲:船村徹)が大ヒット。第4回日本レコード大賞特別賞を受賞。このヒットで「無法松の一生」も「人生劇場」も売れる。
村田は二階堂伸の名で作詞も行い,北くすおの名で作曲もしている。
演歌歌手の中に元浪曲師というグループがあり,村田はヒット曲も演歌風なので演歌の星に入れておく。
特徴ある声・歌唱(森進一)
森進一(2025.6.16)
1966年,「女のためいき」(詞:吉川静夫,曲:猪俣公章)でデビュー。ほぼ同時期にデビューした青江三奈とともに「ため息路線」で売り出された。二人とも従来の歌手とはかけ離れたハスキーボイスで,聞けばすぐわかる。
森は自分が演歌歌手と呼ばれることを嫌っていたらしいが,初期のヒット曲の数々は私が聴けば演歌である。初期には会社の売り出し方針に従わざるを得なかったのかもしれないが,演歌を歌わなければその後の人気は得られなかったのではないか。自身が望まない路線でヒットしてしまい,不本意ながらも望まない路線の歌を唄い続けた歌手の話は何人も聞いている。森の場合は後に演歌ではないだろうという作曲家の歌を数多く唄い,吉田拓郎,大瀧詠一,細野晴臣などの歌はかなりのヒットになっている。おそらく森の実績が彼にそのような自由度を与えたのだろう。ただ,フォーク系やポップス系の歌を唄っても森進一の歌唱の特徴は消えていない。
ヒット曲をいくつか挙げておく。1967年「命かれても」(詞:鳥井実,曲:彩木雅夫),「盛り場ブルース」(詞:城美好,曲:森岡賢一郎),1968年「花と蝶」(詞:川内康範,曲:彩木雅夫),「ひとり酒場で」(詞:吉川静夫,曲:猪俣公章),「年上の女」(詞:中山貴美,曲:彩木雅夫),「港町ブルース」(詞:深津武志,曲:猪俣公章),1971年「おふくろさん」(詞:川内康範,曲:猪俣公章),1974年「襟裳岬」(詞:岡本おさみ,曲:吉田拓郎),1982年「冬のリビエラ」(詞:松本隆,曲:大瀧詠一),1983年「紐育物語」(詞:松本隆,曲:細野晴臣),1984年「北の蛍」(詞:阿久悠,曲:三木たかし)等々,キリが無い。
(概ね年代順)
戦後三羽烏(田端義夫)
懐メロ歌手(淡谷のり子,藤山一郎,田端義夫,小畑実)
元祖三人娘(美空ひばり,江利,チエミ,雪村いづみ)
ラジオドラマ
唄う映画スター(石原裕次郎,加山雄三)
ロカビリー三人男(平尾昌章,ミッ キー・カーチス,山下敬二郎)
三人ひろし(水原弘,井上ひろし,ヒロシ釜萢)
昭和30年代男性歌手四天王(三橋美智也,春日八郎,三波春夫)
コラボでヒット(多摩幸子)
御三家(橋幸夫,舟木一夫,西郷輝彦)
スパーク三人娘(中尾ミエ,伊東ゆかり,園まり)
グループ・サウンズ(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
ひとりGS(美空ひばり,奥村チヨ,中村晃子,黛ジュン)
東芝三人娘(黛ジュン,奥村チヨ,小川知子)
演歌の星(藤圭子)
三代目三人娘(小柳ルミ子,南沙織,天地真理)
新御三家(野口五郎,西城秀樹,郷ひろみ)
花の中三トリオ(森昌子,桜田淳子,山口百恵)
シンガ―・ソング・ライター(小椋佳,荒井由実,さだまさし,中島みゆき,松任谷由実)
特徴ある声・歌唱(都はるみ)
フレッシュ三人娘(榊原郁恵,清水由貴子,高田みづえ)
たのきんトリオ(近藤真彦,田原俊彦,野村義男)
ソロ(淡谷のり子,藤山一郎,田端義夫,小畑実,春日八郎,美空ひばり,宮城まり子,江利チエミ,島倉千代子,雪村いづみ,曽根史朗,三橋美智也,若原一郎,石原裕次郎,園まり,三波春夫,伊東ゆかり,平尾昌章,平尾昌晃,ミッキー・カーチス、山下敬二郎,水原弘,井上ひろし,橋幸夫,ヒロシ釜萢,加山雄三,中尾ミエ,舟木一夫,西郷輝彦,都はるみ,奥村チヨ,中村晃子,布施明,小川知子,黛ジュン,藤圭子,かまやつひろし,天地真理,小椋佳,小柳ルミ子,野口五郎,南沙織,荒井由実,郷ひろみ,西城秀樹,森昌子,桜田淳子,山口百恵,中島みゆき,さだまさし,松任谷由実,榊原郁恵、清水由貴子,高田みづえ,近藤真彦,田原俊彦,ムッシュかまやつ)
クインテット(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
6人以上のグループ(和田弘とマヒナスターズ,内山田洋とクールファイブ,サザンオールスターズ)
ロックバンド(サザンオールスターズ)
歌手(50音順)
その他
野村義男