ちょっと跳んでみる  ――入退院記(その4)に寄せて

 

「 期待捨て 希望を拾う あした明るき 」

 

自分自身をふり返った時、ふと浮かんだ言葉だ。何かに期待し誰かに期待し、でも、人生期待通りになることは少ない。期待は他者に向けられたものである限り自分の思いどおりにならなくてもあたりまえだけど、希望は自分が持ち続ける限り心をそして明日を照らす。

ほろほろと涙がとめどなくつたう時がある。

人は、悩んだ時、辛い時、親しい人と話すことで心を軽くすることができるし、文章や詩や短歌・俳句等に書き留めることで、苦しさを昇華することができる。

幸いにも、杣人さんには多くの友人知人教え子がおられる。誰もが、心から杣人さんを心配し応援している。それは、とりもなおさず杣人さんの人徳によるものだと思う。

そして、書くことが好き、表現することが好きな杣人さんは、抗癌治療という言うに言われぬしんどい治療の最中にも、自由律の俳句を書きとめ、エッセイにまとめられた。こんな状況にあっても新しいことにチャレンジする、そのエネルギーに感服する。

これも、萌さんや森崎さんはじめ、友人の方々の心からの支えがあって形になったものだと思う。自分のことのように友を思うそんな思いが人を輝かせる。

 ヤブコギオフのあんぽん隊沢歩きや、みるきーあんぱん山行が、杣人さんの入院の間の一つの励みになったことはほんとうに嬉しいことだ。あの思い出のヤブコギオフの集いの地だった「鈴鹿の上高地」の鳥観図を、うり坊さんが作成された。完成まじかな頃、Sハイのホームページで垣間見せていただいたが、素敵なカラー図であった。その図からは、鈴鹿を愛し鈴鹿を大切にされている心がみえる。

人から受けた愛情は、消えることなく心に残る。いつか、自分がもらった愛情をその人にかえす、また誰かにリレーする。自然な行為として愛情は繋がっていくのだと思う。

そう思えば、愛情を受けるもかけるも一つの輪の中にあり、杣人さんは、大きな愛情の輪に包まれておられる。人生とは良くしたもので、苦しい時ほど優しさに出会える。それは、実感として私が経験しことだ。

先日、油絵を少しかじっていた時代の友が九州から来た。Nさんは、奥さんが音楽療法の勉強を始められたことがきっかけで、海外研修に同行し、スケッチ三昧の時間を得られた。

近江の安土にある文芸セミナリヨで第150回目の音楽療法のコンサートが開かれた。その一日だけ会場のロビーに、その時スケッチした水彩画を飾るために、佐賀県から車で絵を運んで来たのだ。

私の家に泊まってもらうことになり、Nさんは、薪ストーブにあたりながら一冊の本のページを開いて「ここを読んでみて。」と私に見せてくれた。そこには「ありがとう」のもつ、とてつもない力が書かれていた。「ありがとう」が、末期がんの方の命を救ったというのだ。この文を見つけて、私に見せてやろうと思ってくれた友の気持ちが嬉しかった。

コンサートの会場には、海外での研修でご一緒だったという娘さんのご両親も来ておられた。その方の子供さんは、小学1年生の時に交通事故にあい、その後、反応もなくなり寝たきりになっていたが、ピアノの音に反応してから、座れるようになり、今は、車椅子で大学に通っておられ福祉の道を目指しておられるというのだ。お嬢さんは、今日は試験でこられなくてNさんに会えず残念がっておられたと、お嬢さんのことが載った新聞のコピーを持ってこられていた。

人生何があるかも分からないが、また、何が人を救うかもしれない。人知の及ばぬ奇跡のようなことが起こりうるのだ。そんな奇遇な出会いがあるものなのだ。

杣人さんと同じ還暦の年、父は半年に渡り入院した。入院した翌日病院を訪ねると面会謝絶になっていた。今から、もう20年近く前のことだ。

肝臓に蜆エキスが効くと、いとこが作ってきてくれたのがきっかけであった。民間療法と言えばそうだが、現代治療と平行して、毎日蜆エキスを湯のみに一杯ずつ飲み続けた。

母と私は、大鍋一杯に蜆を入れ水は混ぜないでじわじわと炊き、蜆から出るエキスだけを集めた。貝の殻は山盛り、とれるエキスは少しである。

飲みにくいものを父もよくがまんして飲み続けたと思う。そしてその効き目があったと思う。私とお医者様と何度も治療についての話しを交わした。日常生活には戻れないことも覚悟しなければと言われた父が復活したのだ。

そんな経験もあり、私は、ゲルソン療法や民間療法でよく使われている人参ジュースだけは、毎日ジューサーで作り手術後3年を向かえた今も飲み続けている。ぜひ杣人さんにも、飲み続けて欲しいと願っている。

癌に効くものは、今の医学ではこれという決定的なものは無い。医学と民間療法と、とにかく自分がこれだと思うものがあれば、可能性のあるものは試してみる価値はあるだろう。

私の職場に美人のKさんがおられる。美しいその顔立ちから想像できない言葉が時々もれる。その一つに「くそ〜。」があり「なめてんのか〜。」がある。文字でみれば、なんという品のない言葉との批判もあるかもしれないが、明るいその声が笑いを誘い、隣の私までストレス解消をさせてもらっている。人を笑顔にさせるムードメーカーの彼女は職場にかかすことのできない存在だ。

「ありがとう」も「笑い」も福祉や老人介護の場で使われている音楽療法も、そんな難しい言葉でなくても、杣人さんがバッハを聞いて眠ることも、癒しと生きる力になるのだと思う。音楽が人と人との心を繋ぐように音楽が命を繋ぐかもしれない。

「主よ、人の望みの喜びよ」音楽について何の知識もない私であるが、以前から私の大好きなその曲が、その日聞いた音楽療法のお話の中では、ベスト1に書かれていた。

「望みは明日を繋ぐ」そう信じたい。

谷川の辺、命の水の流れる音を聞きながら、ひっそりと節分草が杣人さんを待っています。花咲く頃、その花にきっと会いにいきましょう。

ちんたら・ぼちぼち・わっはっは・みるきーあんぱん・あんぽんたん

福寿草の咲くを待つ

笑顔が揺れる春を待つ

 

2008.1.22 ―― 都津茶女 ――

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