2018年の日記
ボヘミアンラプソディー 2018.12.06
クイーンの伝記映画「ボヘミアンラプソディー」が大ヒットである。リアルタイムでクイーンを知らない娘が、そのコピーバンドをやっているということを2015年に書いた。娘は2回映画を見にいったそうだ。最後は涙、涙らしい。リアルタイム世代の私は最近涙もろくなっているので、友人や家族で見に行くのは大泣きした場合恥ずかしいのでやめておこう。ブルーレイが発売されてから、一人で見ることにしたい。
ラストは涙もあろうが、映画館によってはライブ場面で客がペンライトを振り回して大合唱の大騒ぎらしい。そうやって感動を共有して倍にも三倍にも盛り上げる見方も悪くないとも思う。どうしようかなあ。この大ヒットは第三次クイーンブームと呼ばれている。第二次はキムタクのドラマ主題歌がヒットした時をいうらしい。初老のおじさんとしては40年前に買ったLPレコードのライナーノーツを久々に読み返そうか。返す返すもフレディーが早逝したことは残念だ。
4K放送始まる
とうとう本放送が始まり誠におめでたい。新レコーダーはつつがなく放送を受信した。左旋電波も受信しているので設備更新も成功だ。といっても現在表示機器が2Kしかないので画質の評価はできない。開局記念番組(NHK4K)を録画しておいて見た限りでは、冒頭のPR部分は2Kで見ても息をのむような美しさだった。が、しかし売りである南極やイタリアからの生中継は平凡。これが4Kプロジェクターを買ったあかつきにどう化けるか? それを楽しみに消さずにとっておこう。
世間では12月からの本放送認知度は2割程度。家電量販店もそんなに盛り上がっていないらしい。一般の人に高画質は売りにならないということか。寂しい。市場が盛り上がらないと商品も安くならない。景気対策のためにも、みんなどんどん買ってちょうだい。それにしても新聞が4K/8Kの番組表を載せないのはけしからん。電子番組表で見られるから不自由はないが、世間へのアピールができないではないか。
まあしかしこれほどチャンネル数を増やしてどうするのかという疑問もある。CSも含めると視聴率が限りなくゼロに近い番組がたくさんあるだろう。民放のBS局など存在意義はあるのだろうか。垣根を超えて資本を一つのチャンネルに集中し、NHKに対抗する優良番組を作ればいいのに。若い人はテレビ離れらしい。若い人たちはNetflixなどネット上の動画配信サービスに軸足が移っているかも。これは一足先に4Kを実現して、なかなか侮りがたい画質である。画質は通信速度に依拠するが、YOUTUBEの高画質コンテンツは100インチでも十分通用し、私もよく見ている。
4K/8Kが空から降ってくる 2018.11.24
いよいよ一週間後の12月1日から4K/8Kの本放送が始まる。準備は着々。夏ごろからBSアンテナの二十数年ぶりの更新、屋根裏のブースター、分配器、部屋の分波器など4K対応製品を購入して置換してきた。そして先週4Kチューナー内蔵のBDレコーダーを買った。UHDBDも掛かるし、HDDに4K 番組も録画でき、ブルーレイディスクに焼くこともできる。ネット上の4K番組も見られるということで万全の対応である・・・が、私は肝心の4K表示できるテレビがない(笑。現在4K表示のテレビなど安いし、特に指定しなくても殆どそうである。しかしチューナー内蔵のものは直近の製品だけであり、チューナーレスの製品を買った人は放送が始まっても見られない。私と反対の状況であり、ちぐはぐなことになっている。私もテレビなら買えるが、プロジェクター派なのでおいそれと交換はできない。とりあえず周りの堀を埋めて、本丸は来年とする計画である。
それより世間一般の人はそのようなことに関心がないらしい。ブルーレイがあるのに、いまだに画質の悪いDVDで何とも思わない人が殆どである。UHDBDなんてほんの一部のマニアが買っているだけである。こんな状況で4Kが普及するのだろうか。ましてやNHKが力を入れている8Kなど誰も関心がないのでは? 今回はアナログからデジタルハイビジョンへの移行時と違い、現行の放送はそのまま続行される。4Kは単に高画質の追加チャンネルとなるだけなので誰も不便を感じないだろう。しかも民間のBS4Kは大半のコンテンツを現行BS放送と同内容のアプコンで済ますらしい。これでは全く意味がないのだが、まあテレビの新製品がすべて4Kになれば勝手に普及するのだろう。
期待はNHK。一部2Kのアプコンがあるが、殆どは4Kカメラの新撮影コンテンツとなる模様。私はせっせとこれらを録画しておいて、来年あたり買うであろう4Kプロジェクターでの鑑賞に備える。ところでアンテナやブースターを変えたと書いたが、民間キー局とNHKの4K放送を見るだけなら設備の更新は不要である。設備更新はWOWOW4KやNHK8Kへの先行投資である。それらは電波の形態が異なるため今までのBSアンテナでは受信できない。8Kはチューナーだけで二十数万円であり、内蔵テレビはおよそ百万円。12月1日から見られる家庭が日本に何軒あるのやら。むろんクルマに比べたら安いし、お金持ちにとってはさしたる金額でもない。ましてやカルロス・ゴーン氏のようなお金持ちにとってはハシタ金にも満たないだろうが、高画質に興味があるかどうかは別問題である。
私のようなケースの場合でも4K放送の内容は見られる。チューナーが2Kにダウンコンバートしてくれるからである。さっそく試験放送を見ようと思ったら、7月に終了したらしい。あとは本番に備えるということか。画面には「受信できません」とつれない表示。ところが昨日からテストパターンが流れ出した。味もそっけもないカラーバーだが、何か映ると嬉しい。心なしかきれいにも思える(笑 早く12月にな〜れ。
登山復帰か? 2018.11.19
唯一更新している日記も長らくほったらかし。気が付けば5カ月も・・・笑。胸の痛みが怖くて釣りや山菜、キノコ採りの軽い山しかやってこなかったが、10月のミルキーで土倉南尾根からテーブルランド周遊。そして昨日ロングコースの山、雨乞岳を登った。別段胸に異常は認められず、医者は肋間神経痛だろうというが自分では違うと思う。いずれにしても一年近く経ったので、放っておいて進行するような病ではないのは分かった。重労働と胸の痛みも相関関係はない。山を控える理由はなさそうだ。
今年の紅葉はイマイチ 御池岳 雨乞いはまだササがあってほっとする
セリフが聞き取れない 2018.06.25
自分は右耳がほとんど聞こえないのであるが、いまだにオーディオや映画を趣味としている。先日役所広司と岡田准一の映画「関ケ原」を見た。ところがセリフが聞き取れない箇所が次々出てくる。これは右耳が完全にいかれたか、左耳の感度まで落ちてきたかと青くなる。しかしレビューを見るとセリフが聞き取れないという苦情が多数あって一安心。ともかく名古屋弁や薩摩弁の長いセリフを一気に早口でまくし立てるうえに、効果音に比べてセリフの音量が小さい。そういえば前にもそういう経験があった。「シンゴジラ」だ。早口言葉の競い合いのようだった。邦画は当たり前だが字幕がない。それがアダとなっている。邦画ではないが韓国映画「お嬢さん」。これも偽日本人の日本語が聞きにくい。それ以前にこの映画は何なのだろう。批評家などには評判がいいようだが、このような変態映画は真っ当な感性の私には合わない。欧州の変態どもには受けそうだ。同じ日本統治下の朝鮮を舞台にした、トラと猟師の駆け引きを描いた映画の方が良かったな。「お嬢さん」はサスペンスでもエロでもなくコメディーとしてみれば多少は評価できる。
ついでに「ダンケルク」。独軍に海岸線まで追い詰められた英仏軍の撤退作戦を描いたものであり、史実である。IMAXで撮影されたそうだが、IMAXで見られる所はない。英空軍スピットファイアからの俯瞰を見ているとそのスケールが想像できるが、いかんせん家庭の100インチやそこらのスクリーンでは小さすぎて話にならない。ましてテレビやパソコンで映画を見るなどは冒涜である。風景として鑑賞に耐える場面はたくさんあるが、ストーリー的な面白さは希薄である。独軍も登場せず、主人公は場面場面で分散しており、感情移入もできない。CGもほとんど使わず、モノと人を大量動員して戦争という事実を見せつける。あとは見る人に任せるということか。「プライベートライアン」みたいのを想像してたら全然違った。全く面白くないと思う人もいるだろう。
疑心暗鬼を呼ぶ 2018.05.17
ふーむ。三か月近く何も書いてなかったのか。ちょうど闘病期間? いや正確には一月から異変が起きていた。胸の真ん中がキューっとつかまれるような不快感。運動に無関係に不定期に来る。不快と言っても痛みでもなく、冷や汗の出るような苦しみでもない。やがて発作的な痛みではなく、ずーっと続いたり、何処が痛いのやら自分でもよく分からない時もあるようになった。俺もう死ぬんだろうか? 重い腰を上げて近所の医者へ行った。角度を変えて胸部レントゲン写真を撮るも異常なし。直近の健康診断の心電図も至って正常。逆流性食道炎の痛みではないかということで薬を飲んで様子見。一週間たっても治らず。別の病気ではないかとセカンドオピニオン。正直にどこの医者でこういう診断だったと告げる。食道炎なら今飲んでいる薬で効くはずだという。この先生は心臓を疑って心電図をとる。正常・・・。ただ短時間では分からないことがあるから、24時間測れる器械を付けるという。クッソ邪魔な配線と機器を体に付けて24時間過ごす。当然入浴禁止。その間も発作的な不快感があったので、心臓が原因なら波形に何か出るはずだ。
結果が出るまで2週間掛かるという。外注でデータ分析するのだろう。遅い、遅すぎる。その間に症状が進んで死んだらどうしてくれる。大病院ならすぐ分析できるのに・・・。もう一つ私の脳裏に黒雲のように広がってきた不安は食道がんではなかろうかという疑心暗鬼である。娘の結婚式が近づいているのに、生きて出席できるのだろうか。毎朝目覚めるたびに、ああ今日も生きて目を開けることができたと感謝する。毎日の症状は治りもしないが重くもならず、仕事や日常生活に支障はない。しかし不安だけが膨らんでくる。時間の無為な経過が怖くて、心臓の結果が出る前に胃カメラを予約して食道を診てもらった。モニターで自分でも見たが結果は正常できれいなもの。追って心臓の結果が届き、これも異常なし。
これらは喜んでいいのか??? 結局原因不明で治療できずということじゃないか。ということは今もあるうっとうしい不快感が続くということである。検査結果が良くて困るとは・・・。どこも悪くなくても心臓病に近い症状が出る心臓神経症という病名がある。ストレスなど精神的なものが原因だそうな。これ以上訴えても、それにされてしまいそうだ。弱ったなあ。これを書いているときに同い年の西城秀樹が心不全で死去というニュースが・・・不吉や!
雨中の結婚式
先日某神社で娘の結婚式が行われた。段取りとかは本人たちに任せ、出席しただけ。花嫁の父親というのはもっと泣けるものかと思ったが、さほどでもなかった。それより片付いてくれた安堵や嬉しさが先に立つ。当日の天気予報は一週間前から動かず雨。たいてい近づいてて来ると変わってくるものだが、今回は逃れようがないようだ。昼前、式場へ向かう頃から土砂降り。会館から式の行われる神殿まで巫女さんを先頭に新郎新婦、美容師さん、両親、親戚と続いて参道を行列して進むわけだが、みな傘をさしていても足元はびしょ濡れ。三々九度も豪雨の騒音の中で行われた。しかしネットで調べたら雨の結婚式は縁起が良いそうな。海外でも雨の花嫁は幸せになるとか。ともかく忘れられない式となった。
娘たちは大学時代から親元を離れていたので今更喪失感はない。相手はいい青年なので幸せになってくれるだろう。奇病に取り付かれた中、生きて出席できて良かった。
外へ出たらウチの前の組が御帰還したところだった
平昌五輪 2018.02.27
25日に静ヶ岳へ登ってきたが、凛とした冬の空気はなく、もはや残雪の山という感じである。今冬は低気温で推移したが、まとまった雪は一月中旬の一回きり。期待外れもいいところだ。2月は冬季五輪で盛り上がった。出だしは有力候補が軒並みメダルを逃し、トリノの二の舞かと思われたがボツボツと銀、銅が出始めた。しかし金が遠い。平野も渡部も王者に敗れた。ショーンは何故引退してくれないのかと恨めしく思う。しかしそれでこそ金の値打ちというものを再認識することになった。採点競技はあまり好きじゃないが、羽生結弦くんは偉大だ。
終わってみれば日本は中盤からコンスタントにメダルをゲットして、お茶の間は大興奮。MVPは女子スケート陣で決まり。カーリングも社会現象というほど話題になったが、あれはスポーツの要素が薄くて、やはり競走であるスピードスケートの手に汗握る大興奮は格別である。まあそれは良かったが、気になるのは選手のコメントである。これまで支えてくれた人たちや、応援して頂いた皆さんの声援が力になりました・・とか判で押したような優等生的な発言ばかりでうんざりである。自らの才能と努力でメダルを勝ち取ったのだから、もっとヤンチャで、やったぜ俺偉い的な弾けたことを言えないものか。コーチの力はあろうが、観客の声援なんか物理的な後押しはゼロなのである。
こういうあたりさわりのないコメントはネット社会が悪いともいえる。下手な言葉や行動は命取りであり、徹底的に叩かれる。国民総評論家である。マススタートで2位になった韓国の選手が観客席やカメラに向かって土下座していたのは異様な光景だった。この選手はパシュートで後ろの選手を置き去りにしたとかで、散々マスコミやネットで叩かれたようだ。銀メダルでもにこりともせず、食事も喉を通らなかったそうな。国民皆掛かりで少女のミスをいたぶるとは信じられない。日本のマスコミもいったい何様のつもりか知らないが、不倫した人や息子が非行した芸能人を鬼の首を取ったようにカメラの前でつるし上げる。不倫なんかでいったい誰に迷惑がかかったのだろう。マスコミなんか返ってメシのネタを提供してもらっているようなものだろう。当事者で解決すべき家庭の問題を皆で責めるとは嫌な風潮だ。こんなんだからオリンピック選手も面白みのないコメントをせざるを得ないのだろう。
あ〜。オリンピック終わってしまってつまらん。
テントと停電 2018.01.19
初登りは1月7日、岩ヶ峰の下の北山へ行ってきた。恒例のテント虫干し。仕事上泊りで行けないから、こんな侘しい遊び。いまだ下界の雪は積もらずということで、なめてかかってツボで行ったら深いところでは股までもぐった。しんどい上に強風が吹きまくって北山までやっとこさ。サッサと前進をあきらめる。見えてきた釈迦ヶ岳にはおいしそうな樹氷がびっしり(写真)。でもあそこまで行ったらテント遊びができない。諦めが肝要。北山の平坦地に吹き荒れる強風でテント設営は困難を極めた。しかしお陰で快適なランチを楽しめた。外の吹き曝しでは昼食どころではない。食後はコーヒーを飲みながら寝転んで鴨長明を読んで過ごす。火を消すとすごく冷えてくるが耐えられないほどではない。雪山の例のごとく、往路の苦労が嘘のようにあっという間に下山した。
17日の夜9時頃、自室でジャズを聴いていたら電気が消えた。突然の無音と暗黒にしばし茫然。ブレーカーが飛んだかな?でもエアコンやホットプレートなど大電力のものは使っていない。カーテンを開けるとお隣さんも真っ暗だ。珍しくも停電ということになる。闇の中、手探りでペンライトを探すが手に触れない。ゴソゴソやっているうちに飲み物の入ったコップをひっくり返してしまった。あーあ、ひどい失態。とりあえずライターに火を点けペンライトを探し、その明りでランタンを探した。テント用のランタンはさすがに明るい。それを持って入浴中に停電に見舞われたかみさんの様子を見に行く。風呂場に懐中電灯を置いて戻る。普通ならもう復旧するころだがまだ点かない。はて何をしよう。電気を取られると現代生活はなす術がない。江戸時代や明治時代は夜どうしていたのだろう。先日のテント生活を思い出す。山はエコだ。電気なぞ停まったところで全く無関係だ。てなことを考えながらもう1月も半分過ぎてしまった。人生は思いのほか短いぞ。停電は20分ほどだった。