2020年の日記
11月6日 雑感
4か月近くのご無沙汰、月日の過ぎる早さを思う。新型コロナは増えもせず減りもせず冬の3波を狙って牙を研いでいるのか?
gotoは行く人は行く、命あっての物種と思う人は行かん状態。年末から正月の人々の行動を注視というところか。
米大統領選挙は今現在決着つかずだが、売電優勢。途乱腐陣営は早くもいちゃもん付けて裁判か。いったいどこの国の選挙かとおもう。
不正が行われているとか票が盗まれたとか、発展途上国の軍事政権なみのお粗末な話だ。混乱に備えて銃を買う人が激増とか滅茶苦茶な国である。
途乱腐は頭がおかしい。認知症にみられる被害妄想ではないのか。自分が負けそうになると難癖をつけるのは男らしくない。さっさと「負けました」と言いなさい。
だいたい英国が核保有国であると知らなかったという話があるが、そんなんで大統領が務まるのも不思議。
どちらを応援したいとか、思い入れは全くない。それよりなんであんな老人対決なのだろう。売電が勝てば任期中に死亡する確率は少なくない。
あるいは認知症で核ボタンを押されたらかなわない。欧州ではフレッシュな首脳が多い。米国もケネディーみたいな気鋭の候補者はいないのだろうか。
ショーン・コネリーが亡くなった。ミスター007。水戸黄門が東野英治郎にとどめを刺すように、007はコネリーでなくてはならない。
現在のダニエル・クレイグも悪くないが、ユーモアに欠けて硬過ぎる。もっとお茶目なところが欲しい。
コネリーはボンド役を引退してからも「レッドオクトーバーを追え」とか「インディージョーンズ」でいい味を出していた。
年齢でいえば、そろそろクリント・イーストウッドやアランドロンも危なくなってきたなあ。
晩秋で田畑の草も成長を止めた。やっと暇ができたということでマイブームは先祖探しである。資料は戸籍、仏壇の法名繰出し、墓、昔の分家のお爺さんが作った系図など。
繰出しというのは法名を書いた小さな木札で、裏に命日と俗名と誰々の妻とか長男とか書いてある。一番古いもので文化9年(1812)である。約200年前ということになる。
これをすべて裏表スキャナーをかけてPCに取り込んだ。全部はそろってないようで所々分からない。遠い分家のお爺さんが書いた系図によると、間は不明なれど天文元年に没した
〇〇左馬之助正春という人の直系が我が家らしい。1532年といえば織田信長が生まれる二年前である。何でそんな古いことが分かるのか。ソースやエビデンスは何か。
この家系図は40年前に作られたもので、作者は亡くなっている。つまり尋ねようがない。
うちの墓は墓石が三つあって真ん中のものは花崗岩がボロボロに風化して読めない。しかし文字が彫られていることは分かる。前から気になっていたが、拓本に挑戦することにした。
簡単に言えば墓石に紙を当て、墨をうって文字を浮かすのである。そしたら左馬之助正春の文字が浮かび大興奮。その横に十三代孫某とある。某のところは判読できない。
何せ表面は風化が激しく凸凹で、墨をうってもまるでQRコード状態。かろうじて読める字と想像するしかない字が混在している。表の法名は仏壇の繰出しと一致した。
つまり左馬之助の13代目が建てた200年ほど前の墓ということになる。天文から13代というと計算が合う。これは面白いことになってきた。
側面にも字があるが判読できなかった。再調査が必要である。
興行記録を塗り替え、社会現象ともいえる「鬼滅の刃」。ついにうちの自販機のコーヒー缶にまで登場した。全然知らなかったが折よく映画版のTV放送があったので見てみた。
どうも自分には合わない。現代アニメにみられるギャグや動作が非常に幼稚に見える。自分が歳くって若い人と感性が合わなくなったと言えばそれまでだが。
それに説明が長くてがくどい。見るのを途中でやめた。別にアニメを実写映画に比べて程度が低いという偏見はない。
「AKIRA」「魔女の宅急便」「塔の上のラプンツェル」「モアナと伝説の海」など高く評価する。でも「君の名は」と「天気の子」は合わなかったなあ。やはり歳くったのか。
7月23日 どこまで続くぬかるみぞ
7月の後半に何の連休かと思ったら「海の日」「スポーツの日」だそうな。何じゃそれ?カレンダー無関係に仕事ばかりしている私にとって意味はないが、聞きなれぬ祭日が気になるので調べた。東京オリンピックの開会式予定日・・・これはご愁傷さまで。開催都市の投票で落選した国はおめでとうございます。日本はとんだムダ金たくさん使ってしまった。まだ中止とは決まっていないそうだが、早く見切りをつけたほうが無駄の上塗りをしなくて済むだろう。このご時世、外国の選手や観戦客を素直に受けられますか?
さて新型コロナは神の恩寵によりいったん収まるかに見えたが、またぞろ息を吹き返してきた。三重県では2か月以上陽性者が発表されなかったが、最近毎日である。一日300人を超えた東京は無論であるが、隣県の愛知の増加具合が気になるところである。「夏になれば気候的に収まる」説は見事にこけた。そんなところへ唐突にGo
toキャンペーン前倒し。批判的な意見を言うのは簡単だが、観光関連業者にとって生きるか死ぬかの瀬戸際である。藁にもすがる思いだろう。仕事がない恐ろしさ、お客さんの来ない恐怖は商売人なら骨身にしみて理解できる。業者の人は将来のこと、従業員のこと、支払いのことなど考えて夜も眠れないのは容易に想像できる。経済とコロナ抑え込みは相反するもので、あちら立てればこちら立たずである。妙案などあろうはずがない。しかもこのウィルスは謎だらけで医学者にとっても難題である。補助金大盤振る舞いも続くものではない。国の予算も打ち出の小槌ではないのである。八方ふさがりで、いったいどうなっていくのか。終わらない梅雨が象徴している。
日本は少子高齢化と、毎年どこかで必ず起きる激甚災害により以前から国力が衰えていた。そこへコロナのダメ押しである。三等国になるのは時間の問題だろう。もう背伸びはやめて小さな島国の分相応のライフスタイルが望まれる。それは決して悪いことではない。食料自給率を上げて自然を大切にして平和に過ごすスローライフ。「ぽつんと一軒家」などの視聴率がいいのはそういう生活に憧れる潜在意識によるものと思う。
5月9日 武漢コロナと過ごす
子どもが学校休みでゲームばかりやっていて困るという話を聞く。一つ提案として空き地やあぜ道の雑草を調べたらどうだろう。外の空気を吸えて三蜜にもならず、理科の学習にもなって体も動かせる。親もヒマなら付き合えばいい。雑草という名前の草はなく、みなナントカ科のなんたらという立派な名前がある。図鑑がなけりゃスマホでもできる。そっくりに見えて別のもの、例えばスイバとギシギシはどうやって見分けるかとか感受性のある子なら夢中になると思う。
ヒメオドリコソウ、ホトケノザ、オオイヌノフグリなどは終わってしまって、今うちの田の畔で目立つのははシロツメクサ(クローバー)と、ひょろひょろして青紫の花を咲かせるマツバウンラン。あとギシギシ、セイヨウタンポポなど。どこの畔でも同じかというとそうでもない。土の違い、あるいは刈る頻度の違いなのかアメリカフウロにびっしり覆われた畔、牧草(イタリアン?)に占領された畔、カラスノエンドウ、ヨモギ、ノビル中心の畔もある。除草剤を撒く人の畔はスギナが目立つ。空き地にはカタバミ、コメツブツメクサ、アメリカフウロ、コニシキソウなどの厄介者が。でも小さくてかわいい花をつける。そうそうオオアレチノギクも厄介者だ。草刈りは大変だが、観察するだけなら大した労力も要らないから子どもたちにお勧めする。
話変わって「集団免疫」という考え方。昔なら放っておいてもそうなった。いうなれば弱肉強食である。皆が(7割程度?)感染して免疫をつければウィルスは消滅する。弱い人がある程度死ぬのは織り込み済みで仕方ないという考えである。しかしながら先進国の首脳がそんなことをおおっぴらに言えるわけがない。人との接触を断って感染を徹底的に防ぐのが日本の作戦。しかしながら経済はガタガタで自殺者も増えるだろう。何が正しいとか神でもなければ軽々しく言えない。しかし生命とはそうやって進化してきたのである。弱者を救って、その人が子どもを作ることになると子孫がまた同じ苦しみを味わうことになる。これはコロナに限らず、命に関わるいかなる病気でもそうである。逆に子孫を作る可能性のない年配者はどんな不自然な手を使って救っても問題はないが、植物人間になれば人の尊厳の問題は残る。若者で高度医療のおかげで助かった人は子どもを作らないほうがいいが、そんなことを言えば差別発言として指弾を受けそうだ。
長期自粛も経済に負けて、結果的に緩やかな集団免疫となるストーリーもありそうだ。
4月21日 新型コロナ人工説 他
あまりにも突飛で映画的でフェイク的なコロナ人工説だったが、エイズ研究で2008年にノーベル医学生理学賞を受賞したフランスのリュック・モンタニエ博士が新型コロナについて「武漢研究所から漏洩した“人工ウイルス”だ」と明言した。むろんノーベル賞の権威が絶対で、100パーセント信用できるというつもりはない。しかしそこら辺の怪しくて胡散臭い評論家よりは信用できるだろう。これがもし本当で習近平が隠していたとなれば中国バッシングは強烈なものになるだろう。損害賠償はしないだろうし、できる額ではない。そうなると工場引き上げや不買など、あらゆる手段で中国は叩かれるだろう。生物兵器にしては死亡率が低いと思っていたが、研究段階の途中で漏洩した可能性もある。
アメリカもトランプ大統領の指示でウィルス起源を徹底調査の構えだ。ウィルスが発生されたとする武漢の市場から中国科学院武漢ウイルス研究所まで10kmほどの距離しかない。モンタニエ博士とタッグを組んだ数学者ジャン・クロード・ペレズ氏も「これは時計職人が行うような精密なもので、自然に存在することはあり得ない」としている。今後どう進展するのか興味深い話である。
恒例の夜のウォーキング。オリオンがすっかり傾いて釈迦ヶ岳の向こうへ消え去ろうとしている。下界の騒ぎをよそに天体は正確に運行されている。いつも上空には航空機が5〜6機飛んでいて星座の鑑賞の邪魔をしているのだが、すっかり減ってしまった。たまに見かけるとエールを送りたくなる。
4/19の日曜日、三重県のパチンコ店は愛知岐阜ナンバーであふれていた。自粛要請が一日遅れたのかなんか知らないが、パチンカーはそういう情報をよく知っているとみえる。たかがパチンコにコロナを恐れず他県まで出張してくるという感覚が理解できない。自分ばかりでなく他人の命も軽視している。密集密閉の見本のようなパチンコ店は休業してほしい。
北の将軍様が入院しているらしい。しかも重症だという情報もある。父親に似て心臓に持病があるという。あの体型では普段相当ご馳走も食べていそうだしな。今後の北朝鮮の状況に目が離せない。
4月2日 これは本当に現実なのか
若いころ大きな台風が来るとワクワクした。コースがそれたり勢力が弱ったりするとがっかりしたものだ。動けなくなるほどの大雪も好きだった。怖いもの見たさの無邪気な感覚だ。しかし自分が家計を担うようになると、建物に大きな損害を与える台風などもっての外である・・・となる。災害も度を越えると現実とは思えなくなり、夢ならさめてくれ、神様もう勘弁してくれと願う。生まれて初めてそういう感覚になったのは東日本大震災。特に目の前でなす術もなく自分の家が流されていくのを見た人は、強くそう思っただろう。遠く離れた私でも、原発の処理に失敗すれば東日本は半永久的に住めなくるという情報にびびった。刻々と進むメルトダウン。冷却水は思うように注入されない。まさに国難だ。神様もう許してくださいと思った。
そして2回目が現在進行中の新型コロナウィルスである。イタリアやニューヨークの惨状を見ていると、本当に現実なのか?と強く思う。SARSやエボラの時は他人事だったが、今度はそうはいかない。我が国の致死率は今のところ低いとはいえ、感染爆発となれば医療が崩壊してバタバタと人が死んでいくだろう。東京はもう爆発寸前である。少年少女や乳児の重症や死亡例もあり、誰の命も保証されない。トンコレラのとき穴に無造作に放り込まれていく豚を見て強く心が痛み、何か悪いことが起こりそうな予感がした。人間に下された神の鉄槌なのだろうか。日本では太平洋戦争、東日本大震災以来の国難である。
もはや太平洋戦争を知る人は殆どいない。自由と平和と繁栄の中で育った我々の世代は、それが唯一の現実で当たり前の世界だった。まさか自分たちの生活が脅かされるような事態が勃発するとは考えもしなかった。知識としては圧政、内紛、宗教戦争などで飢えと殺戮の世界が並行していることは当然分かっていた。だが何となく自分たちと関係のない世界の感覚であり、日本の自由と平和と文化的な生活は永遠に続くと思われた。そんな甘い考えは脆くも崩れ去った。これから先の展開は誰にも分からない。健康の危機とともに経済の危機も同時進行していく。一刻も早い収束を願うばかりである。
3月19日 映画と現実
ゴーン氏の話題もすっかり忘れ去られ、世界は新型コロナ一色である。奇抜な海外逃亡劇や未解明のウィルスのパンデミックは映画では何回も見た。そして今、30年以上前に2020年東京オリンピックを予言し、それは順調に行われず日本は災厄に襲われるというところまで予言した「AKIRA」というアニメが注目を浴びている。私は特にアニメファンではないが、この作品はレーザーディスクの時代から持っている。さらにブルーレイを買い、今度は4K版を買いなおすことになりそうだ。昭和に作られたものながらまったく古さを感じさせず、音楽も映像もスタイリッシュである。あと世紀末物の映画としては、核戦争後の人類のサバイバルも多い。これだけは現実が映画を追いかけないことを切に願う。アメリカと中国の小学生のような口喧嘩だって、原因にならないとも限らない。もうひとつ多く描かれているのは宇宙人襲来。これは何とも言えないが、遭遇してみたくもある。宇宙人が必ず悪ということもなかろう。善なる宇宙人なら会ってみたいような気もする。
新型コロナで自粛の嵐。海外渡航禁止や制限で航空会社や旅行代理店、ホテルは虫の息。国内でも外出制限でレジャー、観光、イベント、興行、バス、外食、それらの関連会社は倒産の危機。回遊魚と同じで経済はストップしたら死んでしまう。短期なら耐えても長期となるとコロナ関連ではない会社にも当然影響は波及する。コロナで死ぬか、破産で死ぬかの様相を呈してきた。年金生活者だって株安で支給額が減る可能性がある。
登山という趣味はこうなると安全性が高い趣味である。ソロのバリエーションなら罹患の可能性はゼロだろう。家に閉じこもるなら自室で映画を楽しむ趣味もこれまた安全。私はいい趣味を持った。でも経済的にはやはり外出禁止で皆がクルマを使用する機会が減るだろうから困る。オリンピックを高画質で楽しめる期待も危うくなってきた、というかもう無理だろう。聖火の採火式がむなしく見える。
2月22日 じいじ
前回ちょっと触れた新型肺炎はコロナウィルスとかCOVID-19と呼ばれ、いよいよ牙を剥いてきた。そんなさ中にわが初孫が誕生した。これで年齢的にも肉体的にも呼称的にも、どこへ出しても恥ずかしくない完璧なじじいになった。次女のお産は難産で促進剤をうっても、予定日を10日過ぎても、陣痛がきても生まれない。いよいよ帝王切開かと思われて、私は気が狂うほど心配した。タイムリミット寸前に赤ん坊の写真がLINEに送られてきて「自然分娩で生まれました」と婿殿の言葉。安心し、いっきに脱力した。毎日山ほど写真が送られてくるが、コロナ野郎のせいで産院は当分外部面会禁止中なのである。まあ一週間で退院なので急くこともない。産むときはわりにスムーズだったようで、後で思うに、単に医者が予定日を間違えたのではなかろうか。
ところで最近孫にじいじ、ばあばと呼ばせる人が多いらしい。そんな呼称は昔はなかった。じいちゃんばあちゃんで何が不足なのか? ま、それは大したことではないが、この子が大きくなるころは日本も世界も大変なことになっているだろう。孫はそんなことは考えもせず無邪気に寝ている(あたりまえやろ)。どうぞこの子将来に幸ありますように。
シリウス、プロキオンとともに冬の大三角形の一角を占めるオリオンのベテルギウスがかなり暗くなってきたという。そう言われれば暗く見えてきた。宇宙時間に比べたらチリのような人間の一生のうちに、そんな事があるのかと驚く。コロナウィルスはベテルギウスが遣わした人類抑制手段かもしれない。孫よ、たくましく生き抜け!
1月21日 ゆでガエル
1901年1月21日。100年以上前のこの日は何の日かといえば、名古屋で最も遅かった初雪の日。今日でそのタイ記録。タイどころかこの先もずっと降りそうにない気象状況である。初雪記録は雪が降ればこその記録であるが、今冬は降雪自体がないという恐ろしい状況も十分ありうる。名古屋より寒い当地ですらまだ雪を見ない。地球の気象変化というものは性急に結論を出さず、長いスパンで見なければならないのは分かっている。しかし100年という歳月は重い。今年は暖かくて過ごしやすいね・・・などと呑気な挨拶の裏に潜む怖ろしさを分かっているのだろうか。中国の新型肺炎とこれを結びつけるのは性急だろうか。ウィルス、微生物、菌類、植物、昆虫、動物、人間。生態系は複雑に絡み合うので、今に思いもしない事態が勃発しないとも限らない。
気温の変化は太陽活動に影響される。それなら運命と思って受け入れるしかない。しかし人間の産業活動の結果とすれば我々はどうしたらいいのだろう。自分も人並、いやそれ以上にCO2の排出に加担している。経済活動以外に生活を維持するのは現代では不可能である。化石燃料の枯渇を待つしかないのだろうか。
1月11日 諸々
除夜の鐘がゴーンと鳴る前にゴーン被告は海外逃亡した。PA機材用の箱に隠れてプライベートジェットで脱出したそうな。巨額の報酬で請け負ったのは中東派遣経験のある元グリーンベレーということだ。まさに映画。平和ボケした日本のセキュリティーの甘さを世界に露呈したことになる。それで今後どうなるのかは法律に疎い私では分かりかねるが、相手がレバノンというややこしい国だ。連合赤軍の岡本公三はレバノンで生存しているが日本の警察は手が出ない。
日産を私物化して贅の限りを尽くした生活をしていた被告は日本の刑務所の生活が屈辱的に思えたのだろう。007でパイプラインの清掃ポッドで国境を越えたやつも贅沢な酒や食事を楽しんでいたなあ。
雪が降らない。昨冬もほとんど降らなかったが、輪をかけて不作だ。鈴鹿の山は高い所は何度か白くなったが、午後または翌日には消えてしまうという淡雪である。伊吹山でさえ白くない。これでは山へ行く動機がないではないか。尾鷲では1月8日に22.4度という新記録が観測された。海では水温が高く魚が獲れない。海外では大規模な山火事が収まらず、チリでは干天で湖が消滅。温暖化の原因が産業活動によるものか、自然のサイクルなのか分からないが、温暖化はもう疑いようのない事実である。灯油や暖房器具、スタッドレスタイヤ、冬物衣料などはやがて不要となるかもしれない。スキー場は営業できずに廃業、農作物の作付け変更、その他諸々の産業の変革が進んでいくだろう。本土丸ごと沖縄化し、風水害は牙をむく。それにしても変化が急速すぎる。子供のころは氷の上で遊んでいたのに・・・
YOUTUBEの4K8Kではタイムラプスとドローンが大活躍だ。過去には見られなかった形の高画質映像である。最近のデジカメやスマホには殆どタイムラプス機能が付いているらしい。私の機種には付いていないが、ファームウエアのアップデートで対応できるらしい。今度やってみよう。こういうコマ送りのような映像はせっかちな現代人にマッチするのだろう。花が咲いていく映像や雲の流れる映像は過去にもあった。まあ、素人にも自動で簡単にできるようになったということだろう。
もう一つのドローンだが、私が感心するのはその高画質ぶりである。普通に考えればサイズや重量に制約を受けるドローンカメラはスタジオの固定カメラに逆立ちしても敵わないはずだ。それがどうだ。大画面で見ても何の遜色もない高画質ぶりだ。「北アルプスドローン大縦走」という番組を4K100インチで見ると、現代に生まれた幸せをしみじみと感じる。4Kドローンを本気で欲しいが、操縦未熟で落っことして、一瞬にして数十万円をパーにする危険を考えると二の足を踏む。
イランの米軍基地報復は何だったのだろう。事前通告さえあったという。いやそもそも短距離弾道ミサイルには爆発物が搭載されていなかった可能性も。イラン指導者も国民の怒りの手前、何もしないわけにもいかず、芝居でお茶を濁したということか。何にせよ報復の連鎖がストップしてよかった。ニュース直後に跳ね上がった原油相場も元に戻った。
お互いたくさんの人命を失うことは愚の骨頂だ。ただ同時に発生した旅客機墜落事故でたくさんの死者が出た。イランの誤射らしいが、司令官殺害というトランプ大統領の決断が間接的に招いたともいえる。だいたい外国の要人を勝手に殺害する権利がアメリカにあるのか。世の中は理不尽で不可解なことに満ちている。