トリノ五輪記念 念仏ハゲ大滑降    06.02.19

 


 同じ山を3回連続で目指したのは初めてだ。1月29日は根ノ平峠で早くも意気消沈し、水晶岳へ転進。2月12日は七人山でギブアップ。三度目の正直で、今日は雨乞岳で存分に遊んできた。当初の目的は単に朝明から冬の雨乞岳山頂を踏むことだった。しかし水晶岳から念仏ハゲを目の当たりにして気が変わった。ズームで撮った念仏ハゲは真っ白なスロープを露にして、おいでおいでと手招きしていた(写真左)。これを滑らなければこの冬は終わらない。滑るといってもスキーを担ぎ上げる体力もないのでシリセードである。
 実は先週七人山であきらめたのは体力的なこともあったが、フカフカの雪でシリセードが効かなかったからである。苦労して東雨乞岳まで登っても、念仏ハゲを滑れなければ目的の半分は達せられない。

 ラッセルの交代要員のない単独行では、八割方雪質が成否を分ける。あとは一割が体調、残り一割が根性である。先週挫折したばかりなので、今日は休みたくて気が乗らなかった。しかし今日のような好条件を逃しては永遠に登れないので、連チャンではあるが決行した。好条件とは高温の雨の後、週末に冷え込んだからである。こういうときはよく締まる。それと先週の失敗に学んで荷物を軽くすることにした。特に昼食を定めず、行動食だけにする。ガスやコッヘルは持たない。でもそれでは味気ないので、テルモスに湯だけ詰めて、ミニカップ麺を持った。飲み水やお茶は持たず、現地調達とする。山頂では雪を湯で溶かして飲むことにする。12本爪アイゼンは重いので、軽アイゼンで代用する。ピッケルとワカンは省略できないが、鈴鹿でアイゼンがなければ絶対登れないという山はない。

 今回は前夜泊はやめて家で十分寝ることにした。車の中ではやはり体勢が悪く睡眠不足だ。そのため登山口出発時刻は前回より2時間近く遅い7時16分になった。早く出発すればやれるというものではないことは先週分かった。いかに体力を残して七人山に登れるかが勝負の分かれ目だ。
 コクイ谷出合までは前回とまったく同じコースなので詳しくは書かないが、朝明から1時間半で着いてしまった。前回3時間弱かかっているので、圧倒的な時間短縮だ。予想通り雪はよく締まり、奥の平へ登ったときと似ている。やはりワカンは不要だったが、潜り恐怖症で持たずにはいられない。

 休憩がてら栄養補給をする。10分ほど休んで、コクイ谷出合から直接尾根に取り付いた。先週下った尾根である。ワカンは出合上にデポした。帰路のコースは違うが、ここは必ず通るので帰りに回収すればよい。急登に備えてストックをピッケルに変える。消えたと思っていた先週の自分のワカン跡があった。しかも面白いことに逆に盛り上がっている。踏んで固まった雪は溶けにくく、周囲の雪が先に溶けた結果だろう。
 すごい急坂の上、雪が固いのでアイゼンが欲しくなってきた。要らぬものを持ってきて、必要なものを持ってこなかったのは昨年の金山尾根と同じだ。取りあえず軽アイゼンを装着する。使うのは数年ぶりだ。やはりこんなものは玩具である。着けているやらいないやら、効果が感じられない。たぶん途中で外れて落としても気付かないだろう。

 しかし本格的なアイゼンがなければ登れないというものではない。傾斜がきつい場所ではキックステップ、斜行、ガニ股ハの字などでしのぐ。何のかんの言って、潜るよりははるかにマシである。ピッケルがよく効くのも先週と違うところである。高度がどんどん上がり、樹間に見える山の数がだんだん多くなっていく。ミズナラの大木を過ぎると傾斜が緩んできた。あれ、もう終わりか。先週の死ぬような苦しみは何だったのだろう。それにしても曇っているのに、やけにはっきり遠方の山が見える。

        水晶谷の氷            ワカンの跡が浮き上がっている         ミズナラ?の大木

 東峰からの水平移動ではワカン跡が二列あった。先週の自分が往復したものである。見る間に地吹雪に消えた足跡が、ちゃんと雪の中では生きていたのである。不思議なものだ。9時50分、1073m山頂着。コクイ谷から1時間かかっていない。2時間早く出発した先週の自分を、七人山の登りでついに追い越したのである。
 雪の表面が汚れているので、ピッケルできれいな雪を掘り出した。それをマグカップに入れて貴重なお湯で溶かして飲む。パンを食べて10分休憩。先週とは残っている気力体力ともまったく違う。

 七人山のコルまではシリセードであっという間。昨年の秋に通ったばかりだが、冬はやはり雰囲気が違う。東雨乞岳への登りには意外なことに下りの足跡があった。前爪付きのアイゼンを履いている。昨日のものらしい。コルで見逃してしまったが、何処へ下ったのか興味深い。登山道は掘割だが、せっかくササが埋まっている時期にわざわざ歩く道ではない。尾根の北側を歩けば快適である。

 樹林が消えてだだっ広いスロープになると、思わずヒャッホーと叫びたくなる。今日は展望は期待していなかった。むしろ曇ってくれれば雪が腐らなくていいと思っていた。それが思わぬ大サービス。ピーカンではないのに遠景がよく見える。理想的だ。斜度がきつくて雪が固いので、転倒したらすっ飛んでいくだろう。何かを落としたらもう拾えないので気をつける。ザックを置くときもピッケルをしっかり差し込んで引っ掛けておかねばならない。見上げると山頂が姿を現し、周辺には七人山になかった樹氷が残っている。高さの貫禄だ。

 樹氷のある場所まで高度を上げると、凄い展望になってきた。雲海と言うのもおかしいが、地上近くに霞がたなびき、海や街に美しいベールをかけている。。山だけがやけにはっきり見え、えもいわれぬ雰囲気をかもし出している。鎌ヶ岳をはじめ総ての山が目線の下になり、高度感にめまいがする。イブネさえ無防備に山上台地をさらしている。涙ぐむほどの絶景だ。釈迦ヶ岳と御嶽山が一直線に重なり、イブネ越しの御池藤原の更に向こうには白山が神々しい。目を凝らすと乗鞍の左方に展開するのは槍穂高連峰ではないか。何だか日本中の山が鈴鹿に近寄ってきたような錯覚を覚える。誰一人いない斜面で絶景を欲しいままにしていると、かすかな罪悪感さえ感じる。

釈迦と重なる御嶽山

鎌ヶ岳  海にベールが掛かる

頭陀ヶ平・天狗岩と白山

イブネ越しの御池岳と伊吹山

 先端を現してきたササを越え、登りついた東雨乞岳は地面がむき出しだった。河童の皿状態である。展望は360度に広がったが、どういうわけか東斜面より感動が薄い。足元に広がる純白の雪面も風景の一部だったということか。それでも訳の分からん山をはじめ、写真撮影が忙しい。霞が埋める琵琶湖の向こうに比良の山々が浮き上がっている。
 もうここで十分であり、本峰へは行く必要がない。しかし一応三角点を踏まないと雨乞岳に登ったとは言えない。ザックをデポし、カメラだけ持って西へ向かう。気温の上昇でバラバラ樹氷が落ちる音がする。

比良武奈ヶ岳

 雨乞本峰に人影はなかった。ただ足跡は交錯している。新たに綿向山が見える以外は、あまり面白みのない山頂である。大峠の沢は完全に雪に埋没していた。そういえばここが一応ゴールなので時間を見る。10時50分だった。朝明を出てから約3時間半である。何度も挫折した冬の朝明・雨乞岳だったが、雪さえ締まれば実にあっけないものであった。KEIKOKUさん発案の七人山経由は一般道ではないのでコースタイムが不明だが、杉峠経由コースは無雪期で約4時間である。やはり今回のコースのほうが早いだろう。
 山頂を踏めば用がないのでまた戻る。途中で初めて人に会った。歌手の因幡晃みたいな雰囲気のロン毛で、山では珍しいタイプだ。角度を変えれば浮浪者にも見える。気になったので「どちらから登られました?」と聞いてみた。武平峠ということだ。峠まで車で入れる時期なら標高差が少ないので楽なコースだ。しかし今の時期ならこれも大変なコースだろう。

山頂から東雨乞と御在所・国見岳

 東雨乞岳へ戻って食事にする。行動食オンリーの予定だったが、こうも早く着いては時間が余る。絶景を眺めながらのんびりしよう。コンロを持ってきても良かったなあと思うが、読み違いは毎度のことだ。テルモスの湯でミニうどんを作り、あとはサンドイッチである。手近に雪がないので、ササに着いた霧氷を砕き、残りの湯で溶かして飲んだ。水なんか運び上げなくても、これでなんら不都合はない。不都合はタバコだった。ライターを忘れてきたようだ。コンロさえあれば食後の一服ができるのに残念至極だ。ホームレス風のお兄さんは全然戻ってこないので、火を借りることはできない。吸えないとなると、無性に吸いたくなる。何かないかとザックを引っ掻き回す。老眼用に持ち歩いている地図の拡大鏡があった。果たして使えるか。半信半疑で太陽の光を集める。どうも薄曇りで弱々しいが、根気よくやっていたら煙が出だした。あわててスパスパやったら点火した。偉大なる太陽に感謝。

 さてぼちぼち本日のメインイベントにかかろう。コルへ戻る登山道を途中で離れ、左へトラバースしていく。けっこうな斜度だ。やがて念仏ハゲ上端に出た。標高差200m、沿面距離400mの大スロープだ。スノーボードハーフパイプの親玉だと思えばいい。もちろん規模は比較にならない。幅は50m以上あるだろう。この前水晶岳からズームで見た場所が眼前にある。恐る恐る覗き込むと、いきなり飛び込むことは不可能だ。写真では斜度がよく分からないが、相当なものである。滑降なのか滑落なのか区別がつかなくなるだろう。これはお気楽シリセードとは全く違う展開になってきた。

 トリノオリンピックは目を覆う惨敗続きだ。アホらしくてテレビなんか見ていられない。自分で滑降するのだ。まず余分なものは総てザックに収納或いは縛りつけ、ピッケルだけを持つ。横からは斜度がきつすぎるので、靴を斜面に蹴り込んで少しづつ水平移動する。スキーのジャンプでスタート地点までバーを伝っていくが、そんな感じだ。真ん中辺りまで来てからピックを雪面に差込み、半身になって体重をかけてみる。ズルズルと滑り出した。雪が固いのでピックの効きは強力だ。抑える力を調節してどんどん滑降(滑落?)する。ヒャー!これは面白い。

念仏ハゲに飛び込む

 ちょっと途中で止まってみる。写真を撮るためだ。深くピッケルを差し込んで、それにまたがって撮影する。もう一度滑降体勢に入るときに気を付けねばならない。やがて傾斜も緩くなり、石突だけの調節で普通のシリセードをする。少し時期が遅かった。と言うのは小石がバラバラ落ちているからだ。雪球も転がっている。それでも雪上だから小石で怪我をすることはない。ただ美しくない。しかし美しい時期にはここへ来るのが難しいというジレンマがある。とにかく400mはあっという間に終わった。末端では水が染み出していたのでおいしく頂く。秋にトラバースした場所よりやや下流だ。そのまま谷の左岸を下って愛知川御池谷に出た。

 ここからが思わぬ難所になりそうなことは事前に感じていた。ともかく雪が河原の石の上にごっそり積もって歩きにくい。先ず一息入れようとザックを下ろしたら、ザックに縛り付けていたフリースがなくなっていた。念仏ハゲで落としたようだ。やはり中に入れるべきだった。黒のジャックウルフスキンです。誰か拾ったら・・・誰も通らんか。
 登山道は谷の左岸はるか上方を巻いている。登るのが大儀で渡渉しながら暫く下ったが、川にはまると大変だ。やはり登山道まで登ることにした。木につかまりながらひどい場所を登ったが、いつまでたっても着かない。やがて小ピークに登りついた。不思議だが、どうも登山道を見逃したようだ。このピークにはレンガの構築物の残滓があった。鉱山関係だろうか。

       雪を被った御池谷                      同 美しい淵

 コクイ谷出合でワカンを回収し、一息入れる。もうすっかりベタ曇りで、タバコの点火はできない。よい時間に山頂にいたものだ。無論タバコではなく、展望のことだ。雪解け水で増水し、谷の飛び石は気を使う。上水晶では見えにくい薄氷が石を覆っていて、危うく転倒するところだった。根ノ平峠、午後1時39分着。よもやこんなに早く帰ってくるとは予想外だ。ここからは楽な道を下りるだけだが、時間と体力が残っているので、無駄なアガキを思いついた。実は水晶に登ったとき、下りのヤブ尾根でアルマーニのサングラスを落としたのだ。カメラを使うときに近くの枝に掛けたものか、谷を流されたときなのかよく覚えていない。それを探索に行くのだ。

 さすがに午後になると雪が腐ってきて、水晶の登りはきつかった。サングラスはフリースよりずっと高価なので、これも欲だ。山頂分岐の先で少し迷ってしまった。ここは稜線通しではないので、雪が積もると分からなくなる。東のヤブ尾根に入るとシカのフンが夥しい。最後に撮影した場所にも、前回流された谷にもやはりなかった。しんどい目をしただけ損なようだが、これは諦めをつけるための儀式なのだ。奥ノ平で地図をなくし、水晶でサングラスをなくし、雨乞でフリースをなくした。これは絶景を見た対価なのだと思うしかない。

 これで木和田尾から奥ノ平、朝明から雨乞岳のロングコース二本をこなし、念仏ハゲを滑り、この冬は思い残すことはない。今後は雨が降ろうが、雪が腐ろうが気にならなくなった。もう花が顔を出しても許す。しかしまだ3月にひと寒波あるだろう。頂上では樹氷がびっしり付くような季節の逆戻りが必ずある。そのときはまだ何処へ行くか考えていない。