美シ洞と穴ノ谷 08.04.06
美シ洞(ウツクシボラ)といってもなじみがない名と思うが、真ノ谷の支流のひとつである。近藤郁夫氏(御池杣人さん)の御池本シリーズ「霧物語」をお持ちの方は130頁に文章、139頁を開いていただくと略図がある。これは土倉谷出合で炭を焼いていた翁からの聞き取りである。その後、私が数年前に元茨川住民Tさんから明治時代の絵地図(左写真)を入手した。双方を突き合わせ、炭焼きをされていたK翁の数十年前の記憶の確かさに、御池杣人さんとともに舌を巻いたのであった。
絵地図の三筋滝上にある「流ヶ洞」は確定できる。実際藤原岳からの押し出しが凄まじく、名前の通りである。土倉谷出合左岸「人呼」は谷名ではなく、惟喬親王(844-897)伝説からきている。とすれば「穴ノ谷」は頭陀ヶ平西の・989北に食い込む谷と考えられる。「奥伊勢谷」と書かれた赤線は道であり、白船峠へ直登するものと見て間違いない。では「美シ洞」は何処か。穴ノ谷の北に明確ではないが谷状の地形があり、それ以外に考えられない。洞(ほら)とは谷の小規模なものを言う。この地図は測量ではなく人の記憶に基づいて描かれたものであり、不正確な分だけ推理としては面白みがある。
美シ洞とは風情を誘う名前であり、何が美しいのか登って確認したいのが人情。そう思いつつ、6年も放置していたのは怠慢だった。怠慢というより忘却していたのが本当のところ。本日ようやく登る機会を得た。目的地は山深く、ルートは色々考えられるが、やはりクルマで標高を稼げるコグルミ谷が有利であろう。目的地へ取り付くまでは手を抜いて、体力を温存するのが私のモットーである。7時40分ごろ駐車場着。早くも満車で御池岳は盛況である。支度をして7時50分発。
登山はひと月ぶりで、水を持たずに出発したにも関わらず体が重い。谷筋は思ったより残雪が多く、朝は一面に冷気が漂う。長命水で500ml補給する。あとはまた真の谷で汲むさ。体力が無いので、徹底した現地調達軽量化作戦である。地産地消はCO2削減にも有効な手段である。長命水で何人かが行き交うが、知った人はいない。またよたよたと登り、巻き道登山道が谷を横切る地点では、はるか眼下に長命水で憩うパーティーが見通せた。今日の御池岳は繁盛のようだ。天ガ平からは下りになるので休まず通過。今のところめぼしい花はないし、木々はまだ丸裸で新緑の風情もなく、坦々と歩くのみ。誰もいなくなってしまった。
真の谷は雪解けで、そこそこの水量がある。右に左に歩きやすい場所を探して南下する。テント場は少々ゴミもあり、雑然とした雰囲気である。萱野ヶ平にはバイケイソウの芽吹き。春の御池岳ではおなじみの風景だ。一ヶ月前、テーブルランドに取り付いた付近を横断する。河倉峠へ向かう廃道入り口を過ぎると、やがて涸れ滝や大岩が出てくる。そろそろ目的地である。どうやら名前と裏腹に、取り付きが崩壊した溝状の谷が美シ洞らしい。
コグルミ谷残雪 真の谷の流れ 荒々しい涸れ滝
出合からは登れないので、手前の尾根に取り付いてトラバースする。おっと、こんな乾いた場所にハナネコノメが群れている。美シ洞は土に掘られた側溝のようなもので、水木洞などと同じである。溝の中には雪が詰まっている。格別美しい谷ではない。名の由来は流れが美しいのか、紅葉が美しいのか、花園が美しいのか定かではない。水流はないし花もないので、おそらく紅葉ではなかろうか。そういう目で見るとこの付近の林には気品があるように見える。先入観といえばそれまでだが、秋にまた来たいものである。溝の中は歩く意味もないが、雪渓の固いところは使える。その他は両岸の美しい林の中を縫って登る。予想より傾斜もなく快適だ。
950mで溝はなくなった。地形としてはまだ谷状ではあるが、ここで終了して右手の尾根に乗る。地形図の960mが開いているので寄ろうと思う。そこは山腹に張り出した展望テラスであった。まっ平らでテントを張りたくなる場所だ。前方には真の谷を隔てて御池岳東端がせり上がり、高度感が心地よい。美しのコバというところか。ここで昼食も悪くないがまだ時間が早いと考えていたら、ラーメン用の水を汲み忘れたことに気付く。まあいいか。
美シ洞の林 特徴的な木 ウツクシのコバと御池岳東端
この尾根を1000mまで登るとカレンフェルトが出てくる。ここから尾根を捨て、鉄の平へトラバースする。「鉄の平」は989m標高点の広場と理解している。緑水さんが名付けたのであろうか。鉄塔のあるコバの意だと思うが、とてもユニークな着想である。私は面白いと思うが、一般には普及していないようである。以前頭陀ヶ平から下りたことがあるが、広すぎて大味な感じがする場所だ。しかし鉄塔以前を知らないので軽々しくは言えない。鉄の平より、最近の別名を知っている人のほうが多いかも知れない。
その鉄の平へ乗る直前が穴の谷の源頭である。なかなか良い雰囲気なので昼食にする。水汲みを忘れたので雪を溶かすしかないが、表面は土や落ち葉のゴミだらけである。穴を掘るより、ミニシュルンドになった溝の雪を下から削り上げた。一見きれいだ。沸いてきたコッヘルの蓋をとると、お湯の対流に乗ってゴミが回遊している。細かい枯葉の屑やコケのようだ。コケは海苔と思えばよいが、何だか正体不明なものも混じっている。見なかったことにするしかない。ラーメンを作ってスープも飲んだが、体に変調をきたすことはなかった。
美シ洞左岸1000m付近 同場所から鉄の平 昼食場所から御池岳
鉄の平を散歩して元に戻り、今度は予定通り「穴の谷」を下る。せっかくここまで上がったのに、また下りるのである。普通は頭陀ヶ平から県境を帰ったほうが楽である。しかし穴の谷もまた興味深い名ではないか。どこかに大穴があることを期待して探ることにする。しかし結論を先に言えば、何の変哲もない谷であった。まあ、それが世の常であろう。新発見など、そうあるものではない。名の由来の穴は埋まったのかもしれない。それとも遠からぬ場所にある頭陀の窟を指すのだろうか。美シ洞よりやや広く、雪がびっしり詰まった谷をビニールシートに座ってシリセードしつつ下りた。早く着いても物足りない。久しぶりに頭陀の窟を拝観しよう。
途中から左へトラバースする。数年前一度見たきりだが、うまく探せるだろうか。やがて砂利のトラバースに苦労するようになり、いかにも脆そうなさざれ石の岩塊があった。割と簡単に見つかったなと思ったが、探しても穴がない。確かにこんな感じだったが、はて面妖な。あきらめて先へ進むと同じような岩塊があり、今度は紛れもない頭陀の窟だった。穴が上向きに延びるのは某名所下の穴と同じである。中へ入ると冷気が漂い、火照った体に心地よい。しかし今にも崩れそうな感じがして、スタコラと抜け出した。小竜の穴にロープで下りたときは心細くて泣きそうになったが、やはり狭くて暗いところは長居するものではない。
穴の谷雪渓 崩壊で根が浮いた木 頭陀の窟入り口
真の谷へ下りて、今度は遡行する。・845付近に男性が休んでいた。カタクリ峠を越えて以来、初めて出会う人類である。何処から登ったのですかというような、ありきたりの話をする。
「もしかしてハリマオさんですか」
「ギクッ ・・・ なんで分かったんですか?」
「以前丸尾でお会いしました」
私は神に誓って(べつに誓わなくてもいいのだが)この人の顔を知らない。正確に言えば覚えていないのだろう。まことに申し訳ない気持ちでいっぱいである。
「樹林の回廊、いつも見てますよ」
「有難うございます」
「最近更新していないですね」
「ギクーーーッ」
テント場でこの男性と別れ、往路を戻る。谷も飽きたので適当な尾根から県境に上がることにする。疲れているし、急斜面なので心の臓がバクバクした。斜面にはバイカオウレンが咲いていた。カタクリは葉っぱだけである。コグルミ右岸尾根から帰ろうかと思ったが、帰りの駄賃に犬返し谷二俣に下りる尾根を探ろう。もっともそのまま下ると厄介なことになるので、途中からコグルミ谷右岸尾根にトラバースすればよいだろう。
尾根を下り始めると、凡庸で特徴もない尾根だった。木の密度が濃いが、人の歩ける隙間はある。地形図を見て800mまで下りたら左へトラバースする予定だったが、830mで杣道らしきものがあったので入ってみる。案の定、こんな所にも窯跡があった。案外楽にコグルミ谷右岸尾根に復帰できるかもしれないと思う。しかし谷へ出たら切れ落ちて進めない。残雪の下を雪解け水が流れる暗い谷だ。やはりもう少し高度を下げないとダメだ。ヒヤヒヤのトラバースのあと、谷へ飛び下り、苦労して対岸の尾根に這い上がった。そしたらそれは支尾根で、本尾根はもう一本向こうにあった。ああ、始めから右岸尾根を下っておけばこんな苦労もあるまいに。スケベ心のしっぺ返しだ。
ようやく右岸尾根・801手前の鞍部に這い登り、心の臓を鎮めていたら上から人が下りてきた。
「ハリマオさんですね」
「ギクーーーーッ」
この調子では、うっかりそこらで立小便もできない。表玄関のコグルミ谷では知らない人ばかりだったが、裏社会で面が割れているようである。この人は先ほどの人と違って確かに見覚えがある。しかし誰だか分からない。恥を忍んでお名前を訊くとコッペパンさんであった。なーる、ヤブコギオフ会で出会っているのであった。今度は記憶に刻み込んだので、今日のところは非礼ご勘弁を。
しばらく立ち話をして、私はもうひとつ目的があるので違うルートで帰った。16時10分駐車場着。まあ収穫としては見込みの半分くらいであったが、積年の懸案をひとつ片付けた満足はある。それと予定外の場所でフクジュソウの群落を見つけた。フクジュソウは鈴鹿には雑草のごとく何処にでもあるので大したことではないが、それだけ豊かな自然が残る山域なのであろう。