イブネ・銚子ヶ口冬期縦走 04.02.22
同行者 (西軍) 洞吹さん、山日和さん、とっちゃん
(東軍) たまさん、いわなっちさん
天気予報は一週間前から22日の日曜は雨だと言い張った。週間予報は前日になっても変わらず、むしろ降水確率は三重・滋賀とも70%に跳ね上がった。雪ならいいが、冬山の雨ほどいやなものはない。4年前の1月、朝明からイブネを目指すも土砂降りの雨にクラシ谷で撤退したことがある。その他に少なくともイブネで3回雨に降られている。相性は最悪だ。
気が乗らないが誰からも中止コールが掛からないので、とりあえず準備する。雨の中で食事をするためにはツェルト必携。荷物は沢登りのようにまとめてビニール袋に入れる。登山靴には入念に防水ワックスを塗り、替えの靴下も持つ。あまり降れば途中撤退としよう。どういう訳か私は三重県なのに西軍(縦走班)なので、峠越えというもう一つの障害をクリアする必要がある。
石榑峠を越えられなかったら鈴鹿峠へ回るため前夜発とする。夜のR421は不気味だ。心細いのでMDの音量を上げる。対向車などあるはずがない。むしろ人に出会ったら獣に出会うより怖い。最近暖かい日が続いたので、さすがに前回の二時間穴掘りの愚は繰り返さずに済むだろうと思っていた。しかし予想に反して日陰にはしぶとく雪が残っていた。深い腐れ雪で始末が悪い。神経をすり減らしてようやく峠に着く。
滋賀県側には前回なかった轍がただ一つあったので突入。その先は思い出したくないほどの悪戦苦闘がキャンプ場まで続いた。標高が下がっても積雪量が変わらないのである。スタック寸前の一難去ってまた一難が果てしなく続き、緊張感で精神的に参ってしまった。帰りは絶対通りたくないと思った。キャンプ場の先は除雪してあり、しみじみと有難かった。
神崎橋でやはり前夜発の関西隊と合流して今宵のねぐらを探す。結局河原のキャンプ場に落ち着いた。満天の星を仰ぎながら、つまみを囲んで談笑していたら12時を過ぎてしまった。それにしても意外な星空に何だか化かされているようだ。関西隊はテント、私はハリマオ号の中でシュラフにもぐって寝る。寝心地は最高だが、なぜか熟睡はできなかった。
5時半起床。予想通り雲で星は隠れていた。降っていないだけましだ。朝食の後、私と山日和さんでハリマオ号をモノレールの風越谷駅?にデポしてきた。この車に乗って帰れれば縦走は成功ということだが、果たしていかなることになるのやら。サメゴ谷のときはデポ車を回収に行くという、情けないことになったので予断は許さない。山日和号とピカピカ新車のとっちゃん号で甲津畑へ向かう。
支度後、鳴野橋を出発したのは7時25分。予定は7時だったが結局この25分の遅れが後に吉と出る。岩ヶ谷林道に雪はなかった。ひたすら歩いて桜地蔵8:05着。丸木橋辺りから地面が白くなってきた。8:38大シデの木で一休み。冬はヒルがいないのでお気楽だ。この先並木道も悪くないが、時間節約のため北谷左岸尾根を使ってアゲンギョまでショートカット。近道すれば急勾配になるのは幾何学上自明の理。汗が噴出すが一気に高度が上がり、背後に綿向山が姿を現す。この尾根は二回ほど休まないとしのげない。日当たりが良いので幸か不幸か雪は殆どない。向かいの雨乞岳北面は真っ白だ。
1040mで傾斜は緩みブナの雪原となる。一気に雪が深くなり、踏み抜くと体力を消耗する。積雪は1m以上ありそうだ。無意味に背中にぶら下げていてもしょうがないので、ここで全員ワカンを装着する。今までで一番ワカンの浮力を体感した。こういう雪に効果が大きいのだろう。それにしてもいったい前線はどこへ行ってしまったのか、ときおり青空さえのぞく。うれしい誤算だ。快適な樹林帯を歩いて10時半頃登山道と合流。佐目峠へ向かって緩やかに下りながら、風景が開けていくさまに気分も高揚していく。
何度も試行していたとっちゃんの携帯が東軍(朝明班)につながった。クラシジャンダルムにいるとのこと。おーっ!これは会えそうだ。時間的余裕がないので会えなかった場合、待たずに通過するつもりだった。佐目峠に達すると大石はほぼ埋まっていたが、標柱が顔を出していた。イブネに向かってゆっくり登っていくと、更に四周の視界が拡がって、高度感が心地よい。
ひたすら広く平らな雪原に飛び出して快哉を叫ぶ。御在所岳を中心とする県境の山々は上部にベールを被っているが、滋賀県側は青空が垣間見えて遠望が利く。今ごろ土砂降りの中をフードを被って黙々とうなだれて歩いているはずだった。この好天は土壇場で放った逆転サヨナラホーマーと言える。降水確率70%予報の脅しが効いたのか誰にも出会わない。上機嫌で散歩していたら突然ズシーンという重い音が響き渡った。私は至近距離で猛禽類でも飛び立ったのかと思った。皆は地震かと思ったという。原因は不明だが、地表の雪解けでできた空間に表面を残して雪が崩落したのではないかと思う。この現象はもう一度起きた。
イブネ標識前で記念撮影。あとは風景を愛でながら北端に向かってちんたらと歩くのみ。雨降りの予報にサングラスは持ってこなかったが、このマジナイがきいたのか陽射しがまぶしくて顔が火照る。北端近くで休憩がてら写真を撮る。いつの間にか御在所岳や鎌まで全貌を現し、北にははるか御池岳も特徴的な山体を現している。翌日の天気も読めない気象庁が、どうして週間予報など臆面もなく出すのだろう。
ゆるゆるとクラシの丘に登りながら、姿はまだ見えないがもうそろそろ地声が届く距離じゃないかと思う。とっちゃんが美声?を張り上げると、感動的にも返事が返ってきた。迎えに出ると、やがて樹林の中から人影が近づいてきた。たまさんだ。運動量が激しかったのか「ゆでタコ」状態だ。続いて久しぶりに拝顔するいわなっちさん。皆でお互いの健闘と、無事会えたことに感謝して感動の握手。両コース唯一の接点に同時到着とはドラマチックではないか。中村雅敏(洞吹さん)と織田裕二(いわなっちさん)初共演のイブネ劇場開幕だ。時間もちょうど良く、丘に上がって皆で昼食とする。
1時間以上の昼食タイムとなってしまったが、先は長いので朝明隊に別れを告げ12時45分に腰を上げる。銚子へ向かう尾根上には小判状の変色した雪がある。2月12日、銚子に遊んだというたろぼうさんのワカン跡だろうか。縦走へ向かう前に銚子のピークを往復する。ピークから眺めるイブネの姿は胸に迫るものがある。これで樹氷が着き、雪も真っ白なら更に良い。まだ2月なので、そういう状態でも何ら不思議ではないのだが、どうも今年の冬は緊張感がない。
銚子からの急降下途中でワカンを外す。難所では邪魔になる。ここから見る銚子ヶ口山塊の姿は見事。地肌の色やガレ具合が北アの焼岳を彷彿とさせる。下りきった鞍部が、いつぞや上谷尻から登りついたコスタハである。1022m標高点からの下降は崩壊で道がなくなっている。二回ばかり枝にぶら下がって降りなければならない。そこを過ぎれば尾根も広がり、まだ若いがブナ林が続き目の保養になる。鞍部で登りに備えて一本とる。右手には上谷尻に切れ落ちるクラシ北尾根が見えている。
登り斜面にかなり太いブナが一本ある。周囲2m以上で縦に窪みが走り、筋肉質な感じがする。やがてブナの古木が倒れたフナクボに到着。倒れてはいるが生命は繋がっている。とっちゃんが倒れたブナに抱きついて目を閉じている。生命力を送っているのだろうか。
このブナは98年9月の台風で倒れたのだったか。ゆうに100年以上は生きていると思われるが、野登山では1000年単位の大杉が多く倒れ、あの台風が歴史上稀有なものだったことを物語っている。茨川伊勢谷が埋まったのもあの台風だった。珍しく日中の台風で、私は目の前で物置が舞い上がって空中分解するのを見て戦慄した。
この先西面のガレは凄まじい。本コース縦走路の痩せ尾根は西に断崖、東に雪庇という危険個所が至るところにあるので、やはり冬季は慎重を要する。ガレの上部からタイジョウ・綿向山が美しい。そして銚子からここまでの縦走路を振り返る。
最高点は展望がなかった記憶があるので、左をトラバースして抜ける。下ればやがて大峠。大峠は地図や文献によって、この場所であったり、西峰東の鞍部だったりする。ここから谷尻へは下り易かったが、蜂の巣谷から上がる場合は北側の方になるだろう。どちらが正しいのか私は知らない。銚子ヶ口まではまだまだアップダウンが続く。雪が深くなって、楽しくも厳しい道のりだ。北谷で痛んだヒザは今のところなりをひそめているので有難いが、下山完了まで引っ込んでいて欲しい。体力的にはまだまだ余裕がある。
アップダウンを繰り返し、天狗岩など眺めているうちに黒尾山分岐通過。一段と雪が深くなるが、いまさらワカンを履くのも面倒だ。皆さん、ときどき股まで踏み抜いて苦笑い。15時36分、ついに銚子ヶ口三角点を踏む。冬期縦走達成に握手と記念撮影。その後眺めのいい東峰へ移動して最後の大休止。いまだ天気は悪化せず、遠くの山まで見えるが、三重県境は少し雲が多い。暗くなる前に下山できることは確実なのでゆっくり休憩する。
植林作業道をたどるとモノレール銚子ヶ口駅?である。終電に乗り遅れたか!と軽口を叩きながら、レールに沿ってどんどん降りる。急勾配だが深雪が適度なブレーキになる。しかし「線路は続くよ〜 どこまでも」状態で飽きてきた。試しにマットを座布団代わりにして、レールに跨り滑ってみた。これは面白い!だがバランスをとるのが難儀で、楽なのかどうか定かではない。もちろん急勾配の個所は使えない。やがて雪が減ってくると、これくらい難儀な下りはない。しかも植林一辺倒で風情もなく、非常手段以外使いたくないルートだ。
16時38分、下山完了。そこには忠犬のように朝から主人の帰りを待つハリマオ号があった。やれやれだ。4人と荷物を満載で甲津畑へ戻る。洞吹さん、山日和さん、とっちゃんにお別れをして帰途につく。石榑峠は懲りたのでうんと遠回りだが、鈴鹿峠を越えることにする。R307へ出ず、地図から近道と思われる県道188へ入った。ところが県道とは名ばかりで、あぜ道を舗装しただけの対向もできない幅員である。やがて田んぼの中へ消え入りそうで泣けてきた。鎌掛から南下する道も狐狸妖怪にたぶらかされそうな淋しい道で、ただの一台も出会わずすごく心細かった。「滋賀県の山里は今も日本昔話の世界が息づいているな」と土砂降りの一号線で思うのであった。