忍者岳と油日岳    04.03.21

 油日岳、693m。これほどモッサリと見映えのしない山も珍しい。三重県側から見ると、山なのかどうかも怪しいのである。このような所に高速をぶっ飛ばして行くことになろうとは・・・。

 ある人がこう豪語した。  「関西に山は無い。あれは丘のようなものだ」 
丘に認定されてしまった鈴鹿にこれを当てはめるのも心苦しいが、私流に言えば「仙ヶ岳以南に山は無い」となる。しかしやむなく油日岳を取材せざるを得ない事態が勃発した。鈴鹿最南部は土地勘がないので、事前にカシミールで下界から油日岳がどう見えるのかシュミレーションしていった。写真は下山後、シオノギ製薬グラウンドから撮影。

          油日岳 693m         忍者岳728m 三国岳711m    P 690

 天気予報は晴れのち曇り。天気のいいうちに写真を撮りたいので早立ちした。名阪国道に差し掛かる頃に夜があけてきた。快晴ではないが何とか山は見えている。二回目は来なくてよさそうで、ほっとする。ところが加太トンネルを抜けたらガラリと世界が変わった。山どころか30m先が見えない猛烈な霧に覆われていた。万事休すか?

 伊賀インターで降りてカーナビを頼りに、ともかく余野公園まで行ってみる。深い霧だ。誰もいない朝の公園に車を停めて時間を潰す。どうも落ち着かない。下界からの写真は下山後に撮ることにして、奥余野森林公園へ車を進める。道を誤ったのかと思うほど狭い道路を走っていると「壬申の乱古戦場跡」の看板。これは恐れ入った。壬申といえば同じ古戦場でも関ヶ原なんかとは比較にならない古さである。出典は日本書紀だそうな。

 奥余野には立派な駐車場とトイレがあった。いつの間にか視界は確保されている。霧が晴れたというより、標高が上がって地表に張り付いていた霧から脱け出した感じである。6時50分出発。この道は東海自然歩道であり、最初は軽なら車でも行ける道幅がある。しかしじきに幅員は1mくらいに狭まる。小沢沿いの植林の中を登る道で、階段も整備されている。写真やメモをとりながらちんたら歩いても35分でゾロ峠へ着いてしまった。変わった名前の峠だが、実物は何の変哲もないもので、展望も無い。むろん怪傑ゾロの「Z」マークもなかった。右すれば旗山である。

 左折するとすぐガレの上から右手に山が見えた。初見参で何の山か分かるはずも無いが、後で調べた結果を言えば経塚山である。その後にちょこんと尖がり頭を出しているのは錫杖岳。周回コース枠ギリギリの地図をポケットに入れているだけなので、遠景は皆目分からず。コンパスがなければ西も東も分からない。この辺り笹が多いが登山道は伐採されている。そのうち大ガレの上へ出て、大展望が広がった。先ほどと同じ方向だが、更にワイドに広がっている。写真だけ撮って同定は帰ってからしよう。

 690mほどの細長いピークに着くと那須ヶ原山が大きく迫ってくる。分かるのはこの山くらいだ。尾根の反対側を見れば、なんと雲海が出ている。雲海というより先ほどの霧がまだ地表を這っているのか。低山でこのような美しい景色は望外の収穫だ。上野盆地から余野高原にかけて(これもあとで方角を調べて分かったこと)霧に埋没している。この辺りは特殊な気象なのだろう。これは名阪国道を走っていると実感できる。

 薮っぽい道を下っていくと650mくらいの鞍部。これが鳥不越峠だろう。名前から想像されるほど険しい場所ではない。もしそうなら鳥インフルエンザの障壁になるだろうが、実際の所、名ばかりの峠である。しかしここから先の登りは荒れていて面白い。露岩や木の根をつかんでの急登である。

 三国岳はまだかいなと思って歩いていると三叉路に出て面食らう。三国岳へ着く前に分岐はないはずだ。よく地図を見ればこの場所が三国岳だった。何とつまらない山頂か。休憩する気にもなれない。しかし地形上伊勢、伊賀、近江のれっきとした三国々境なのである。右折すれば那須ヶ原山ということになる。写真判定した三国岳はかなりの鋭鋒だが、頂上にその印象はない。 

 左折して油日方面に向かう。ものすごい急降下でしかも滑りやすい。ここが一番の危険箇所と見た。降りた底が望油峠。この名もおかしい。こんな所から油日岳が見えるわけがないのである。峠から少し上がったら、右手遠方に姿のいい山が並んでいた。特に尖った槍のような山が目立つ。どこの山塊だろうと思って写真を撮り、メモに角度45と書いておいた。家でカシバードの角度を合わせてみれば、しょうもなくもあほらしくも、畏れ多くもかしこくも、それは鈴鹿の鎌ヶ岳であった。目にタコができるほど見てきた山々を、他の山域と間違えるとはまったくお恥ずかしい話である。考えてみればここも鈴鹿であった。長い距離を走ってきたので頭から飛んでしまっていた。

 

   御在所岳         鎌ヶ岳   水沢岳       宮指路岳     仙ヶ岳

 アップダウンを繰り返しているとまた三叉路に出た。頭が混乱する。道のよさそうなほうへ行くとポールだけになった金属看板があって、マジックで自信なさそうに「忍者岳?」と書いてあった。なるほど、ここは地形図の720mほどのピークである。登山口の看板にあった忍者岳はまさしくここである。しかしこんな名前は地元の観光関係者が安直に付けた事は容易に想像できる。普通の地図には載っていないが、以前の資料には倉部山とある。倉部は地元の地名で川の名にもなっている。さらにネットで関係記事を漁ると、以前ここに三国岳の看板があって、登山者がよく騙されて迷ったようだ。だから看板の頭がなくなっていたのだ。

 つまりここは倉部山であり、忍者岳であり、偽三国岳であり、もっと以前はただのJPだったと思われる。しかも登山口の看板によると倉部山は三国岳の右に別にある。油日と忍者の間に加茂岳と言うのもあって混乱を極めている。登山口の緯度経度もでたらめな数字であり、地元の統一見解を聞きたいものだ。

 忍者岳から戻って分岐を右に下るのが油日岳方面だ。次のガレ場では展望がよいので一度大休止をすることにした。朝早く出たうえにコースが短いので、このままでは昼食無用になってしまう。まだ8時55分だ。
 キレットやガレ場、痩せ尾根を通過して、やや道がよくなったころにまた分岐。道標も無く非常に不親切だ。方角からして右と思うが、左の様子を見に行くと三馬渓谷へ降りているようだ。戻って油日岳へ向かうとまたすぐ分岐。これは地図にもある油日神社から登ってくる道だ。やがて杉の古木が出てくると油日岳山頂だ。

 誰もいない。いまごろ花の山はごった返しているだろう。このしみじみと地味〜な山には静けさがよく似合う。岳明神に参拝する。北へ少し降りた場所に避難小屋がある。というよりも氏子の参篭所だろう。中には囲炉裏もある。登山者の落書きが壁一面を覆い見苦しい。
 さてどうしたものか。撮影を終えてもまだ9時45分だ。昼食を持って降りるのもあほらしいので、やはり食事をすることにした。焼きそばを作っているとかなり年配の方が単独で登ってこられた。油日神社からだそうな。帰りがけに好都合なことに4人グループが到着。現地調達のモデルになっていただく。

 三馬渓へ下る道は急だ。下方で賑やかな声がすると思ったら、ボーイスカウト風の子供たちと引率の人が登ってきた。息も絶え絶えの様子だが、子供たちが頑張っている姿は清々しい。もう少しだから頑張ってと言ったら、嬉しそうな顔をして「極秘情報有難うございます」。妙な返事に笑えてきた。
 谷へ出るまで道は荒れている。しかしその後は渓谷沿いに植林のよい道がついている。谷は小さく水量は僅かだ。はっきり言ってつまらない道である。しかしその気持ちを見透かされたか、丸木橋で足を滑らせ強かに臀部を打った。息ができないくらい痛くてしばらく起き上がれなかった。低山を馬鹿にした報いだ。その晩、風呂場で鏡を見たら内出血で赤黒いアザになっていた。自慢のお尻が台無しだ。

 早く下山したので油日神社へ見学に行った。今日のコースで油日岳は三国や忍者より背が低い。しかし油日神社のご神体とされるのは、甲賀から見ると一番手前に位置して独立峰に見えるからだろう。神社は想像より立派だった。東京の企業が多数献灯しているので不思議に思ったが、要するに「油」の付く珍しい神社なので石油関係者の信仰があるようだ。そうなれば私も縁無き者ではない。商売繁盛を祈願して甲賀をあとにした。おみやげは御神体に頂いた、お尻の大きな刻印だ。まだ痛い。