亀尾から御池岳奥ノ平   02.10.06   

 亀尾といっても誰もご存知ないだろう。当たり前である。私がさっき思いついたのだから。味も素っ気もない言い方をすれば土倉谷左岸尾根のことである。
 御池岳を巨大な亀に例えれば、頭は鈴ヶ岳、胴体はテーブルランド、左前足が伊勢尾、右前足が鞍掛の県境尾根、左後足が土倉岳、右後足が無いが無理やり東のボタンブチから東に落ちる尾根としよう。そうするとチョロリとした尻尾は何処かと言えば当然土倉谷左岸尾根ということになる。亀の尻尾だから今回は亀尾ということにしておく。丸尾や伊勢尾があるのだから亀尾でもいいだろう。

 三筋滝から土倉谷出合のあたりは最も奥深い所で、どこから取りついても1,000m級の峠越えがあり簡単には行けない。唯一茨川まで車で入れば高度的に有利だが、はっきりした道もなく渡渉を強いられる。何より茨川まで車を乗り入れるのが面倒だ。今日は登山口の標高が高いコグルミ谷から入山することにする。

 天気予報は午後から雨だそうな。降らば降れの心境で出発。今日のコースはタイムが全く予測できないので早めに家を出る。コグルミ谷登山口7:23発。登山届のBOXには新規の紙もボールペンもない。いつも同じコースでは面白みがないので、100mほど進んだ所から左俣に入る。この出合いは登山道が本流右手を高巻いているので、はっきりこちらへ行くという意思が無ければ入れない。そのかわり長命水を通過しないので水は初めから持っていかねばならない。

 並んでくっ付いた木左俣は岩がゴロゴロして流木が散乱し、あまり風情は無い。最初のうち水が少しある。急登で苦しい。体調が悪いのか湿度が多いのか汗が吹き出てすぐ足が止まる。のっけからこの調子で今日の行程がこなせるのか不安になる。ミカエリソウがたくさんある。蛇足だが私はミカエリソウを見返ったことがない。そう大して美しいとも思えない。足元にはあまり御池で見ないチョコレート色の四角い石が沢山ある。

 5本ばかりくっ付いて並んだ白い高木が左岸にあったので見に行く。妙な形の葉だが高いのでサンプルが採れず、何の木か分からない(下山後の鑑定ではテツカエデのような気がする)。この木から谷芯を歩くのをやめて左岸を歩く。高度が上がるにつれてチョコレート色の石が細かくなって、ずるずる滑って登りにくい。つかまる木も疎らで難儀である。前方が明るくなってきたが、なかなか稜線に到達せず。

 イタドリバ?やっとコグルミ谷右岸尾根に這い上がった。高度770mくらい。もう少し上に出る予定だったが、やはり楽な方へ勝手に体が誘導していくようだ。この尾根は一度下山で途中まで使ったことがあるが、なかなか歩きやすくていい雰囲気である。P801を過ぎた鞍部の右手下に広場がある。二万五千図の等高線の間隔がそこだけ異様に広い場所である。よく分からないが、たぶんここがイタドリバといわれる所と思う。降りてみる。平で広く桃源郷のような所だ。紅葉にまだ早いのが残念である。浅い穴が三つ。一つだけ石で囲ってある。窯跡だろう。広場の真中にある太い木はハリギリのようである。

 クリの実尾根に戻ってカタクリ峠(天ガ平)を目指す。ずーっと登りが続くが最初ほどしんどくない。体が目覚めてきたようだ。まだ辺りはガスが立ちこめて遠望は効かない。今日はこんな天気が続くのだろう。道端にはクリの木が並び、こぼれそうな実を付けている。ここから意外に早くカタクリ峠に着く。しかし谷の登りで休みすぎたのと、イタドリバで遊びすぎて時間を食ってしまった。カタクリ峠のベンチは当初より色褪せてきて少しは景色になじんできたようだ。少し休んで真ノ谷へ降りる。

 奥伊勢谷真ノ谷は5月5日の犬帰シ谷以来だ。分岐下のトチノキが芽吹いた頃だったが、すっかり葉が茂って別の木のようである。トリカブトがまだしぶとく咲いている。真ノ谷の黄葉は見事だが、まだ全く早く緑一色である。殆ど傾斜のない谷をチンタラ降りていく。遠くテント場でシカが餌をあさっていたが、近付くとあっという間に逃げ去った。鋭い警戒音が上部から聞こえてくる。やがて白船峠から真っ直ぐ下る道の出合に着いた。御池杣人氏の著書にオオタザカ、もしくはオモタザカと書かれている道である。この間発見した茨川の古い地図には奥伊勢谷と書かれていた。茨川からの呼称と、伊勢坂本の炭焼きで違いがあるのだろう。この辺りの右岸を萱野ヶ平と言う。(御池杣人氏「霧物語」P204参照)

 葵洞の水9:50、河倉峠トラバース道分岐通過。左岸を気を付けて歩いたが、美シ洞(ウツクシボラ)がどこに当たるのかよく分からなかった。今日は調査ではないので先を急ぐ。ここからは岩がゴツゴツして少々道が悪くなる。左の岩小屋通過。古地図にあった山葵洞(ワサビボラ)で水筒に水を詰める。けっこう水量がある。やがて薄日が差してきた。太陽が出ると気分も明るくなる。

 5m程の黒い岩の滝が行く手を塞ぐ。右手に巻き道があるが、ロープを持っていたので懸垂下降する。懸垂といってもハーネスなど持ってくるはずも無く、ゴボウで降りるのでけっこう腕力が要る。少し歩くと前方から人影が。今日は誰にも会わないなあと思っていたら意外な所で人を見るものだ。しかも女性の二人連れだ。立ち止まって話をする。茨川から登って来られたそうだ。今日は行かないが今度土倉岳へ行きたいとのことで情報を聞かれた。

 10:37土倉谷出合着。対岸を人呼(ヒトヨビ)と称す。理由は不明(後の聞き取りにより、惟喬親王がこのあたりで従者とはぐれてしまい大石の上から呼んだという伝説に基づくことが判明)。真ノ谷と土倉谷の間の尾根を境に南側の字名を土倉谷、北を葵洞と言う。しかし尾根自体に名は無い。冒頭に書いたように今回は亀尾ということにする。ここから亀尾の南の尾根(・944の鉄塔のある尾根)に登る道がついたようで(巡視路?)君ヶ畑の道標がある。しかしあくまで亀尾から東のボタンブチ直登を狙う。

 亀尾のブナさてここからが本番だ。窯跡上の取り付きは壁のようで真っ直ぐ登れないので少し戻って斜めに登る。ここからは急登の密ヤブで難儀する。左側は土倉谷へ逆落としになっている。800m近くまで登れば等高線が粗くなるので我慢だ。さすがに亀のチョロッとした尾と言えど、御池岳は並外れた大亀なので楽はさせてもらえない。尾根真を外したところに時々道形が微かにある。昔の杣道だろう。少し緩くなったので尾根に戻ると意外にも檜が多い。鈴鹿中部の山の雰囲気だ。藪が消えて歩きやすくなった。

 ゾウの足ブナさすがにここには何とか会のプレートや何とか頭巾の目印も無くて気持ちいい。山仕事に明け暮れた杣の先人の足跡だけが時折現れる。亀尾はいい雰囲気の尾根だ。やがて杉は消え、シロモジ、ミズナラ、クリ、カエデ、リョウブなどの林に変わった。840m付近で一度平坦となるが、またしんどい登りが続く。やがてブナが現れた。大木という程ではないがそれでも太い。抱えても30cmほど届かないので周囲2mはあるだろう。その上にはゾウの足のように並んだブナもある。尾根は広がり、この辺り絶品だ。惜しいので休憩してペットボトルのお茶を飲む。このブナを見ながら「爽健美茶」を飲んだのは私が人類史上初ではないのだろうか。おっと、これは御池杣人氏と同じレベルの発想だ。

 900mからまた痩せ尾根となる。935mで真ノ谷→河倉峠のトラバース道を横切る。廃道とは言えまだしっかりと残っている。廃道と分かれてさらに登ると一部テープが巻いてある。トラバース道から尾根に乗ったのだろう。何のためにこんな所にテープを巻くのか理解に苦しむ。ちょうど1000mに猫の額ほどの平坦地があり、これからの急登に備えて休む。この先尾根の形は無くなり、コンパスを定めながら突き進むのみ。とはいっても真っ直ぐに登れる傾斜ではなく、ジグザグを切っている間に方向は曖昧になる。

 テーブルランド間近適度な潅木と特有の石灰岩が現れて何とか登っていける。土倉岳やT字尾根からテーブルランドに這い上がる所と同じような雰囲気だ。等高線が一番密な場所なので息が切れる。高度計とにらめっこだ。東からの湿った風がザワザワとオオイタヤメイゲツの梢を鳴らす。雨が降り出さねばいいが。ゼイゼイ言っているうちに前方が白くなって開けてきた。1140mついに亀の背に這い上がる。

 着いた所は東のボタンブチすぐ西のヌタ場だった。ボタンブチへ移動する。ガスが支配して遠望は効かない。晴れていれば藤原岳がどーんと見えるのだが、今日はぼんやりと・944の鉄塔ピークが見えているだけだ。それでも膨大なる空間の容積は感じられる。満足感に浸る。しかし湿った強風が息をしながら容赦なく叩きつけてくるので、長居はできない。

 後半へ続く