第三回ミルキーアンパン吟行    03.11.09

参加者  小田さん、とっちゃん、なっきいさん、やまぼうしさん、RINさん
      御池杣人さん、東雲さん、たまさん、たろぼうさん、ハリマオ 

 

吟行とは @詩歌を声をあげて歌いながら歩くこと
         A詩歌を作るために景色のよい所や名所旧跡に出かけてゆくこと

 さすがに即興で歌いながら練り歩く@のレベルに我々は達していない。Aはまさにぴったりではないか。それぞれ思いを胸に家路へついてから考えればよい。参加者の方々には歌、俳句、詩 何れか一つひねり出していただいた。

 コンビニで買出しをしていたら本格的な雨になってきた。御池杣人さんが当日の天気も分からぬ一ヶ月も前に「少々の雨でも行こう」と宣言されたので、天もサービスに降らせてくれたのだろう。これまで杣人さんと一緒のときは晴れたためしが無い。元は雨乞いの山だから、それもいいだろう。しかし阿下喜あたりから雨が上がり、藤原岳の上にポッカリと雲の穴があいて青空がのぞいた。オゾンホールならぬブルーホールである。これは瑞祥なのだろうか。

 さすがに登山者はいないようで、近い方の駐車場に集結できた。なんとか空はもっている。誰と誰が初対面なのか分からないが、とりあえず出発前に輪になって自己紹介。自分のことを言えば、東雲さんだけが初対面であった。正確に言えば初対面ではないのだが、ご一緒するのは初めてだ。様相の変わったコグルミ谷を登っていくとすぐに雨が降り出した。最初は木の葉が受け止めてくれるが、やがて下へ届くのは必定。植林のあたりで全員カッパを着る。いや、あとで見たらたまさんはそのままである。野性的な人だ。

 天ガ平で休息気温と運動量で蒸し暑い。長命水で一休みしながら温度調節。雨ではあるが谷を振り返ると案外明るい。もう殆どの木が葉を落としている。この場所ではトチと木に巻きついた蔦だけが黄葉の名残である。やまぼうしさんの魔法のザックから柿が出てきてご馳走になる。休んでいるうちに追いついてきた鈴鹿市の男性が、一緒に行きたいとのことで飛び入り参加となる。この方の雨具や靴は山用ではないが、今日は気温が高いので大事には至らないだろう。しかしこの先の季節は絶対不可である。

  カタクリ峠でも・・・いや杣人さん同行のときは天ガ平だ。そこでも長い休憩。「登山の醍醐味は休憩にあり」だ。周囲は霧に包まれて幻想的だ。雨は小降りでさほどのことはない。こういう時は傘が役に立つ。カッパのフードはうっとおしいので、なるべく被りたくない。故障持ちなので最後尾を歩く。小田さんととっちゃんとメグスリノキの葉を拾ったり写しているうちに遅くなってしまった。尾根の乗越しからヒキガエル池に立ち寄る。池の端には獅子の露天風呂ができていた。

 丸山分岐へ降りて立ち話で休憩。ホンマのチンタラ行である。しかも誰も丸山へ登ろうと言わない有難さ。今日は蒸すし、汗水垂らして登ってもどうせ何も見えない。山はスマートに歩かなければならない。某氏はエレガントとをモットーとするそうな。節操なしにと言うと聞こえが悪いので、柔軟にコース変更してそのまま真の谷を遡る。谷は以前より侵食が激しくなっているような気がする。グランドキャニオンの模型を見ているようだ。やがてすっかり葉を落としたマユミの紅い実が目立つようになってくる。「梅だ、梅だ、紅梅だ」と皆さん時ならぬ花見にご機嫌である。赤い実を付けたカマツカも増えてきた。少し頂戴してかじってみる。賞味時期やや遅しの感。これまた鮮やかな紫の実はサワフタギと、やまぼうしさんに教わる。

梅のようなマユミサワフタギミクロの世界

 ふかふかした苔の絨毯の隙間から北池へ。見るたびに池の表情は変わっている。季節により天気により、そして見る人の心により変わるのだろう。このまま鈴北へ行くと早すぎるので、杣人さんに池巡り案内をしてもらう。南小池には水が無い。いつの間にやら端に穴があいている。ストックを突っ込んでも手ごたえがないのでかなり深いのだろう。南池は未だ堂々たる池だ。
 この丸池へと続く池銀座は素晴らしい場所だ。途中に雫を纏ったサワフタギの実が鈴なりになった場所があった。接写しようと木に近付いたらヌタ場に足を取られて泥まみれになってしまった。このあたりたくさん池が存在するわけだが、位置関係や名前をなかなか覚えられない。杣人さんもしばらく振りなのか名前があやふやだ。池はおしなべて墨を流したように黒い。底が見えない分、空の高さがそのまま池の深さになり、覗くと吸い込まれていきそうだ。ひと尾根越えれば丸池。こればかりは間違いようもない。

南池何池か忘れた 丸池の北でお昼

 その尾根の上が平らなのでお昼の場所とする。腕時計はいざ知らず、腹時計は完全に昼と言っている。全員充分座れる広さだ。さっきまでぱらついていた雨も上がり、いい具合だ。時折陽まで射してきた。長閑で幸福な時間が過ぎていく。雨中の昼食を想定してコンロは持たず、インスタントミソ汁を作るつもりでテルモスに熱湯を入れてきた。そしてコンビニでミソ汁を買うのを忘れてきた。たろぼうさんはガスカートリッジを持ちながら、バーナーヘッドを忘れてきた。ボケのお仲間がいて嬉しい。
 裸木ばかりの中で青々とした背後の木が話題になる。しかも美しい赤い実を付けている。たぶんツルマサキだということだ。博学な人がいると助かる。むかしフジマサキという坊主頭の歌手がいたが、関係ないことは明白である。(どうしてこういうことを書きたがるかなあ)

 午後も杣人さんの案内で、まず夕陽のテラスへ。昼食時、電池節約のため電源を切っていたGPSを入れ忘れていた。機械をいじくっていると「おーい、すごいよ。早くおいでー」という声。岩の上に上がってみると、西方眼下に雲海が何処までも広がっていた。「うーん…すごいなあ」としか言えない。空気が入れ替わって冷んやりした風が吹き渡っている。視界も良好だ。遥か比良の山並みが見える。東には丸山の山裾が広がっている。その下のボタンブチ辺りには、空間になみなみと注がれた雲海の先端が迫ろうとしていた。
 もう少し雲が低いと、山々の頂が顔を出して面白い光景になるのになあと勝手なことを思う。雲海のラインは高く、竜や静、天狗堂もすべて没している。御池岳のみがノッポのお陰で頭を出している格好だ。この時間、この場所にいたことを感謝せねばならない。みるきー初参加の東雲さんやなっきいさんも満足そうだ。東雲さんは私なんかよりはるかに御池岳に登った回数は多いと思われるが、こんなのは初めてだそうな。

 日本庭園の池と久々に対面。以前草原池を探していて出くわした。そしてその草原池跡を杣人さんに教えていただく。名の通り、ただの草原に還っていた。血眼になって探しても見つからなかったはずだ。
 登山道へ出て元池へ立ち寄る。小田さんが欲しかったオタマジャクシを捕まえようと奮戦するが、網がないので苦戦。たろぼうさんが童心にかえって助け舟を出し、大捕り物に決着がついた。イモリらしきものがいたので確認のためストックの先でつついた、らやはり腹が赤かった。昔は水路にいくらもいたが、最近はとんと見ない。しかし、なぜこのような隔絶した場所に棲息しているのだろう。

元池にて

  何となく気に入った木鈴北岳直下で皆がうずくまっていた。センブリやフシグロを見つけたようだ。こんな小さなものを良く見つけるなと感心する。皆さんセンブリを齧って顔を歪めている。私は遠慮しとこ。鈴北の肩へ出ると北方にも雲海が出て、スンバラシイ。スンバラシイとは素晴らしいの更に上の形容詞である。烏帽子、三国、霊仙山は雲の下。伊吹だけが見えている。さらに遠い山も見えているが、その場では名が分からない。
 東は雲がなく、県境の大河や名古屋市街が箱庭のように眺められる。小田さんはまだフシグロにしがみ付いている。ルーペで観察しているようだ。さすがにオタマを育てるほどの人は、常人の物差しでは計り知れないところがある。

 高度を下げ、雲海の中に入る。途中、小竜の穴に立ち寄る。私の好奇心を煽ったその穴は静かに口を開けていた。下山途中にたろぼうさんから、杣人さんのいう「まどろみの尾根」を教えてもらった。GPSで確認すると私の思っていた位置と少し違った。RINちゃんが「まどろみの尾根」ってすごく恥ずかしい名前やなと言いだした。気恥ずかしいと感じるのは性格がシャイなのかも知れない。しかし分かる気もする。そのことで盛り上がっていたら、後方グループにいた杣人さんが「ここがまどろみの尾根じゃー」と大声で叫びながら降りてきたので一同大爆笑。「おいおい、さっそくゆうとるで」

鈴北から伊吹山穴を覗くガスの林

 まどろむ小田さんRINちゃんは「夕陽のテラス」も恥ずかしいという。これは他の人の命名だが、なるほど考えようによっては「まどろみの尾根」より気恥ずかしい気もする。しかし家庭からも社会からも疎外されがちな中高年男性の、ロマンのはけ口も分かってやらねばいかんよ。私は年齢が中間だから両方分かる。そのうち私もいい場所を見つけて、日本中が赤面するような恥ずかしい名前を付けたろ。

 みんながまどろみの倒木の上で遊んでいるところを、私は少し離れて眺めていた。黄葉に囲まれた広場で、原色の雨具を着た人たちが戯れているのを見て、ひどく不思議な感じがしたのである。同じく距離をおいていたやまぼうしさんが「皆さんの服装がカラフルなので、ちょっと離れてみるとお伽の国の深山で小人さん達が遊んでいるように見えますね」
 なるほど、うまいことをおっしゃる。そうか、これはお伽の世界だったのか。

 まどろみの尾根を立ち去ろうとしたとき一陣の風がびゅうーっと巻き起こり、梢をざわざわと鳴らし、黄金の葉を降らせた。数秒の出来事だったが、何か子供の頃の懐かしいような感覚にとらわれた。懐かしいと言うより、生まれるもっとずっと前の古代の魂に触れたような気がして少し怖かった。雲海もよかったけれど、私はこの突風の情景が強く心に残った。