ワサビ洞から奥ノ平 05.04.17
今年は天気に恵まれず、にわかに信じられない日曜の無風快晴。天気が悪ければ他の用を済まそうと思ったが、今日山へ行かないと天の神様に申し訳ない。以前から探ってみたいと思っていた谷のひとつを登ることにした。また今の時期なら、何らかの花もおまけに付いてくるというもの。ワサビ洞とは真の谷支流のひとつで、土倉谷の一本北の谷である。
ワサビ洞出合までのコース選択だが、真の谷下りがやや長いとしても、登山口の高度が高い天ガ平越が楽だろう。コグルミ谷に近いほうの駐車場は、ちょうど一台分のスペースが開いていた。皆さん朝が早くて感心する。登山口 7:40 発。歩き始めはいつも、やめて帰ろうかと思うほどしんどい。最初からストックを突いて、よたよた登る。それでもどういうわけか、先行者に追いついてしまう。重くなった私もまだ人並みの速さで歩けるということだろう。こういうことは、人のいない所ばかり歩いていると判断できない。右ひざも痛むが、いつも歩いているうちに麻痺するので心配ない。
コグルミ谷が荒れた直後は踏み跡が複数に分かれていたり、自分で歩ける場所を探していた。しかし今はすっかりコースが固まっている。人の一歩は小さいものだが、雨だれが石を穿つように無数の一歩が道を作る。逆に言えば人が山に与える影響は無視できないものである。それにしても谷の様相は変わった。大きな石たちは人が見ていないうちに「ダルマさんが転んだ」方式で移動しているようだ。花も少なくなって、国道にもあるカタバミやスミレくらいしかない。近藤岩を巻き上がると、エンレイソウ、ミスミソウがあった。
人が多くて落ち着かなかったが、天ガ平を越えて真の谷へ下りていくと静寂が戻った。雪はまだ日陰の谷筋に残っている。登山道分岐、トチノキコバを過ぎてテント場で休息。誰もいない。5個で128円の薄皮アンパンをひとつ食する。これは行動食として値段対重量比でいえば、抜群のコストパフォーマンスである。セコいことを書いてしまったが、安いだけでなくけっこうおいしい。行程が長いときはこれを買うのだ。
どんどん下っていくと、白船峠から直に下りた出合で誰かが休んでおられる。視線が合って挨拶する。髪が真っ白でけっこう年配の人だ。「茨川へ行かれるのですか」と聞かれた。いや御池へ登ろうと思いますと言ったら、御池岳なら反対ですよと、上流を指差された。それはまあ仰せの通りだが、私には私なりの描くコースがあるのである。説明するのも面倒なので、相手のコースを聞く。昨夜は藤原山荘で泊まったそうな。稲沢の人で、一人で気ままに散策されている様子。話好きの人だが、ここで捕まっている暇はないので頃合を見て失礼する。
しばらく下るとチョロチョロするものが目に留まった。リスだ。真の谷でよく見るシマリスではなく、模様のないニホンリスだった。シマリスに駆逐されないように頑張ってほしい。穏やかな真の谷も、御池岳の南に回りこむ辺りから徐々に険しくなってくる。倒木や土砂崩れが目立ち、やはりここも豪雨の影響があったようだ。もう誰にも出会わないだろうと思っていたら、大石を降りたところでご夫婦(とは限らないが)に出会った。茨川発で御池、藤原を縦走されるそうな。健脚なのだろう。
そのあとすぐ下流でカモシカの腐乱死体を見た。流れの中に倒れてハエがたかっていた。飲み水現地調達派の私としてはエラいものを見てしまったが、これもありのままの自然だから目をそらしてはいけない。サメゴ谷でも同じようなものを見た。だから本流では水を汲まない。現地調達は急峻で、湧き出しから距離が短い支流が良い。自宅から持ってくればいいが、水は重たい。都会の水道だって、家庭排水の交じる河川から取水されているので安心ではない。
ようやくワサビ洞に着いた。好天が続いた割にはまずまずの水量だ。雪解けがあるからだろう。茨川の人たちが昔ワサビ洞と呼んだだけに、出合には僅かにワサビが残って、微風に白い花を揺らせている。ただしワサビの子孫たちはミニチュアのようなもので、全く実用にはならない。大きくなると人に採られるので、自衛策として矮小化したのだろうか。ハナネコノメやニリンソウも咲いているので、休憩して写真を撮る。直射日光下で撮ったが、あとで見たら殆ど白飛びでダメだった。
ワサビ洞出合 ワサビの花 ハナネコノメ
ワサビ洞に取り付くと、ガラガラした岩くずが堆積して風情があるとはいえない。あまり苔がないので、ここも豪雨被害にあった可能性がある。谷名からひょっとして大きなワサビの群落があるのではと思ったが、全くの期待外れだ。もっとも本当にあったなら決してHPには書かない。ごくたまにミニチュアがポツンとあるだけだが、花を愛でるに不足はない。ハナネコノメも咲いている。徐々に傾斜が急になってきた。脇を歩くより谷の石を足場にしたほうが登りやすい。
この谷は等高線を見る限り、850m辺りで行き詰ることが予想された。現場もその通りで、谷は水量の少ない多段の滝となって登れない。ルートは左の亀尾(土倉谷左岸尾根)へ逃げるしかない。しかしどうしても水源を見たかったので水は汲まず、左から巻き上がることにした。振り返るとフサザクラの向こうに天狗岩がそびえていた。
土だけの急斜面は始末に終えない。難儀して岩と木がある場所に取り付いて、さらに高度を上げる。流れから遠ざかっていくが仕方ない。その後トラバースして戻った場所が水源だった。斜面から突然湧き出している。ここで水を汲めば日本一?きれいな水だ。感触はとても冷たかった。
左へ戻りつつ高度を上げると道があった。廃道になった土倉へのトラバース道だろう。これをたどると一部急斜面に埋没していて、とても安全とはいえない。やがて道は亀尾を横切る場所に達してほっと一息。高度930m。またアンパンを一個いただく。第二回ミルキーあんぱん山行に参加された人ならお分かりだろうが、ここから殺人的急斜面になる。ただ石灰岩と潅木が豊富で、安全上何の問題もない。むしろ楽しいくらいだ。1000mのネコノヒタイコバで一息いれる。ここは窯跡だ。昔の人は凄い。花はヤマルリソウがある。この花の中心を見ると歯車を連想する。あとジゴクノカマノフタがちらほら。しっかりフタをしておいてくれよ。
荒れた感じのワサビ洞 もう登れない 亀尾との合流点
右に左に縦横に登れるが、どういうわけか上陸地点は東のボタンブチ西の谷筋である。今回3度目だが全く同じ場所に着いた。東のボタンブチ独り占め。天気がいいので絶景だ。眼下を眺めればワサビ洞は必然的に亀尾に出ることがよく分かる。正面には藤原山塊に向かって数尾の白蛇が登っている。残雪が谷筋をはっきり示して、今の時期限定の風景だ。特に・989左に達する谷が見事だ。古地図の穴ノ谷と思われる。右側には頭陀の窟も見えている。
989に向かう穴の谷と頭陀の窟 真の谷と藤原岳
ここまで来たらやはり昼食は奥の池ほとりだろう。腰程度の笹原を掻き分け、たどり着いた奥の池はまだシャーベットだった。汗ばむ日もある下界に比べると、時の進み具合がうんと遅い。しかし、ただのドリーネは雪が詰まっているので、池は多少なりとも地熱を伝える力があるのだろう。ワサビ洞一番搾りの日本一清冽な水で塩ラーメンを作る。食後は寝てしまいたい気もするが、観光客のようにせわしない貧乏性がそうはさせない。青のドリーネ経由で東池も観賞する。ここもシャーベットだ。帰路がコグルミ谷下山ならボタンブチ方面へ向かうが、それも安易なので犬返し谷周辺の花を見に行くことにする。カタクリかイワウチワのどちらかを見られるだろう。
シャーベットの奥の池 東池
東池から谷状地を登ると落とし穴があった。以前落ちた穴程度だが、竪穴の一箇所が斜面になっているので脱出は容易である。奥の平最狭部を抜け、真の谷テント場上流を目指して下山する。晴天が続いた割りにぬかるんでいるのは雪解け水のせいだ。シカが逃げる。たまには写真を撮らせて欲しいが、一目散に逃げよる。対岸の白い谷を目標に真の谷へ降り立った。三本杉のあたりだ。県境尾根を目指して、白い谷の右岸尾根を登り返す。この辺りの谷は古地図でも名前が断定できない。案外登りやすい尾根で、杣道の跡らしきものもあった。稜線は目の前だが、詰めの傾斜ではゼイゼイ喘ぐ。イワウチワ一輪めっけ。
県境尾根で地図を取り出し、コースを考える。荷ヶ岳まで登るのも高度のロスだ。汗まみれで暑いし喉も渇いたので、犬返し谷清流まで花見しながらトラバース下降しようと思う。尾根を回り込み支流をを渡り、どんどん下降する。イワウチワがけっこう咲いているし、その蕾もまた愛らしい。しかしカタクリは葉っぱばかり。水戸の御老公が「助さん角さん、もういいでしょう」と言うが、疲れ果ててもういいでしょうと思うころ流れのある谷へ下りた。喉を潤し顔を洗って生き返る。しかし犬返しも変わったなあと思いながら下降しつつ、どうも変だと気付いた。ここは上部で別れる右俣だったのだ。
ツボミも愛らしいイワウチワ 逃げるシカの後姿
ひいひい言ってまた尾根を越えて本流に下り立った。さすがに水量が違う。しかし下りすぎて核心部はもう過ぎていた。ハナネコノメを愛でながら下りていくと、だんだん荒々しさが増してくる。伏流で水が消えるころ、突然左の急斜面から毛むくじゃらの塊が落ちてきて驚く。タヌキかアナグマのようだった。岩の陰で見えないが、そこから動いた気配はない。死んだふりなのだろうか。回り込んで見に行ったが、岩の隙間に潜り込んだようで対面が叶わず残念。この辺りの巨石は迫力満点だ。
ボーっとしていて大滝で行き詰ることを忘れていた。滝の上部から下を見ると○○○○が縮みあがる。さてどうしたものか考えていると、左の崖上からカモシカがこちらを見ていた。あわててカメラを出そうとすると逃げられてしまった。殆ど足場のない垂直の岩場を、軽からぬ体をゆすって器用に跳ねていく。危なくてこちらがハラハラする。落ちたら彼の位置から滝の下まで40mはあろうか。カモシカだって死ぬだろう。そして逃げながら文字では表せないスットンキョウな声を発し続けた。カモシカが鳴くのを初めて聞いた。ウシ科と聞くが、牛とは似ても似つかぬ声である。
以前この大滝を懸垂で下りたが、今日は長いロープもエイトカンもない。戻って尾根に逃げるしか手はない。しかし厳しい地形で容易ではない。少し戻ってストックを仕舞い、岩場に取り付く。下を見ないようにしてトラバースし、ルンゼに逃げる。ここからもなかなか気を抜ける場所には出ない。ふと顔を上げるとヒトリシズカが咲いていた。いい花だ。ヤブレガサ、カタクリ、ニリンソウもお出ましになって賑やかになってきた。
大滝の落ち口 石原さとみ カタクリ
尾根にしたがって下りるとバイクの爆音が喧しく響いてくる。もう国道が見えているが、またもやフェンスに閉じ込められた。国道まで絶壁の金網張りだ。仕方ないので左俣の堰堤まで移動してやっと国道へ下りることができた。駐車場まで歩いて戻るのがけっこう堪えた。舗装とコンクリート側溝のわずかな隙間には、登山道よりたくさんタチツボスミレが咲いていた。
ところで橋には 「犬返し」、地図には「犬帰し」と書いてある。微妙に意味が違うこの二つの字。果たしてどちらを使えばいいのだろう。惟喬親王に聞くしかないか。