霊仙サイクリング穴見行 05.04.10
書いても詮無いことながら昨日の好天に比べ、今朝の泣き出しそうな空が恨めしい。いつ降るか分からないので朝5時半に起きて畑仕事を済ませ、上石津方面へ向かう。道中の街路樹、堤防、人家の庭先、畑の植木等々、桜を筆頭に悉く花盛りである。春を愛でつつ、養老カントリーから幾里谷林道に入る。コエドには2台の車が停まっていた。渓流釣りだろうか。
コエド日本橋七つ(午前4時)立ち・・・こちらはそうもいかず8時を回っている。ここからダートになり、600mほどでガッチリ施錠されたゲートに着く。ここで秘密兵器登場。折りたたみ自転車ハリマオ2号である。今日はママコ穴周辺の穴めぐりの予定だから、醒井やら芹川まで廻るのもあほらしい。
以前歩いた折はあまり傾斜もなく良い道だと記憶していたが、いざチャリンコに乗ると、ガタガタ振動して閉口する。しかも緩いとはいえ、登りであるからちっとも楽ではない。元気がよかったのは最初だけで、あとは殆ど降りて押しながら歩く。よく考えれば当然で、ゲートの標高は500m、目的地付近の林道は800mを越える。帰りの風を切る滑降に期待して、ひたすら自転車を押す。1kmほどで二俣に出る。今の地図はどうか知らないが、私の25000図には左側の林道は記入されていない。その未記入の道が幾里谷源流を巻き、霊仙へと延びているのである。
これで景色でも見えれば気も紛れるが、視界は50mほどで、着衣にまとわりつくような陰鬱な霧が流れている。自転車はブレーキが掛かっているのではないかと思うほど重い。いったい何のために展望もない道を、重荷を負ってとぼとぼ歩いているのだろう。自問せずにはおられない。考えてみれば何のことはない、自分の人生といっしょだなと思う。
一部下りがあったのでチャリンコに跨る。ただ乗っているだけで、すごいスピードで体が運ばれる。これぞチャリンコの威力。しかしサスペンションがないので砕石の凸凹がもろにハンドルとお尻に来る。チェーンソウを使っている如く、手がぶるぶる震えて不快だ。早いことは早いが、快適ともいえない。飛ばしていたら前方から地響きがし、「ゲッ、まさか対向車?」と身構えたら、相手はシカだった。シカもアワを食って、ものすごい形相で斜面へ飛び込んだ。心臓ドキドキだ。じきに下りも終わって、また長い登りだ。チャリンコほど傾斜に正直な乗り物はない。
広い場所に座り込んで休憩する。晴れていれば幾里谷越しにソノドとその尾根が見え、本来ならこの林道の展望は折り紙つきだ。しかし前述の如く霧に閉じ込められて、遠望どころか近くさえ見えない。降らないだけましと思うより他にない。お茶と行動食をとっていたら寒くなってきたのでカッパをはおる。GPSで位置を確認するとまだ1/3しか進んでいない。ため息が出る。
ところが休息場所は高度的にピークであったらしく、そのあとはまっしぐらに駆け下った。一気に距離を稼ぐが、帰りのことを考えたら喜んでもいられない。そろそろ柏原道の尾根が迫る場所からまた登りになった。今度はかなり傾斜がきつい。歩きなら大したことがない傾斜だが、チャリンコは正直だ。林道が最も登山道と接近する場所で、ついに乗り捨ての決心をする。更に傾斜がきつくなるので、歩いたほうが楽だ。ここが高度750m。
ハリマオ号に収まるハリマオ2号 霧の幾里谷左岸林道 チャリンコを捨て五合目到達
チャリンコをデポし、植林の中を西へ上がると柏原道4合と5合の中間に出る。霧が早い速度で吹き上げ、木々の葉を濡らして雫が飛んでくる。こんな日は登山道も誰もいない。5合目、6合目の看板を過ぎ、道はピークの右を巻くようになる。眼下には吹き溜まりの雪が点在する。7合目で梓河内道と合流し、尾根の反対側に移るとじきにママコ穴分岐だ。この穴はこういう天気に見るといっそう凄みを増す。ロープが張ってあるが、転落防止には効果がない。覗くとぞっとするような陰惨な雰囲気である。この穴は1982年に調査済みで、多賀町の資料によれば深さ22m、総延長55mとなっている。ママコは継子のことで次のような伝説がある。
昔、仲睦まじい夫婦が子どもと三人で暮らしていたが、妻が病死した。後妻が来て前妻の子を邪険に扱い、ある日連れ出して幾里谷源頭にある大穴に突き落とした。後妻が家に帰ると、なんと突き落としたはずの子どもが、先に帰って風呂を沸かしていた。「お母さん、疲れたでしょうからどうぞお入りください」と言った。継母はびっくりして悔い改め、子どもを大事にするようになったという。
私はかつてこんな怖い話を知らない。その子どもがとても怖い。あの深い竪穴に突き落とされて怪我ひとつせず、すぐに脱出して継母よりも先に帰っているとは・・・まずその子は人間ではないと見なければならない。しかも自分を突き落とした継母に親切にするとは、見ようによってはすごく陰険である。責められたほうが、何ぼ気が楽か。私が継母の立場なら一目散に逃げだすだろう。
この先のルートははっきり書けない。昨年たろぼうさんからもらった、Jinさん製作の地図を出す。私たち三人は多賀町による御池岳竪穴調査に同行したメンバーである。きょうの目的地は5箇所。穴三つと池二つである。まず名称がなく、単に「穴」と書かれた場所を目指す。残雪は一部なのでスパッツは不要だ。視界は約50mで、地図とコンパスがないと西も東も分からない。おおよそここだろうという場所に着いたが、穴の気配さえない。まだらな残雪と深い霧の世界だが、フクジュソウの黄色が心を和ませる。
ザックをデポして付近を歩き回ったら、思ったより下部に穴はあった。入り口が狭いので恐怖はないが、覗くとかなり深い。石ころを放り込むと、垂直からさらに横へ延びているような気配である。落ちたら脱出は不可能。穴を写真にするのは難しい。肉眼ではかなり奥まで見えるが、デジカメのとろいコントラスト比では微妙な階調が写らない。スケール感に至っては実物の100分の1も表せない。三次元的恐怖を味わうには実物を見るしかないだろう。微妙な光を捉える人間の目は、機械に比べると素晴らしいと思う。ノイズのないオーロラのテレビ画像を見たことがおありだろうか。
一般にも知られるママコ穴 暗い中で唯一心が和む 無名の竪穴。奥は深い
次はQちゃん池と書いてあるので、あのQちゃんが見つけたのだろう。位置的には分かりやすいが、現場に池はなかった。確かに大きな凹地で、僅かな水がそこから流れ出している。ただし砂が堆積していて、池の底は出口と同じ高さである。当然水は溜まらない。名がある以上、以前は池だったのだろう。それとも私が別の場所と勘違いしているのだろうか。見切りをつけて、たろぼうさん発見という三蔵池を探しに行く。
同高度を保って北へどんどんトラバースしていくと、その池は霧の中から幻想的な姿を現した。三蔵という名は霊仙山において神聖侵すべからず存在である。そのようなビッグネームを池に付けるとは、たろぼうさんも大胆なことをなさると思っていた。しかしなるほど、そう言いたくなるほど良い池だ。斜面途中の大きなテラス状の地にあって、北西に視界が開けている。このような天気ではしょうがないが、晴れていれば阿弥陀ヶ峰の尾根が望めることは想像がつく。この素晴らしい地で、神聖な池を眺めながら日清ヤキソバを食べた。ヤキソバは最後にお湯を切って作るようなやつは邪道である。やはりフライパンでチリチリ焦げるほど炒めたものがおいしい。三蔵が中国でヤキソバを食べたかどうかは定かではない。食事が済むと益々ガスは濃くなり、雨もぱらついてきた。
Qちゃん池跡? 幽玄な三蔵池
さて次は竪穴とだけ書かれた穴探しだ。コンパスを合わせて登っていくと、木にブルーシートが掛かっていた。近づくとその下方の斜面にドリーネがあって、奥にぽっかりと口が開いている。ドリーネの中は草が生えたり倒木があったりで、穴の様子はよく見えない。しかし丸腰の偵察はとても危険だ。滑ればノンストップで穴に吸い込まれる。ロープが必要だが、あっても単独では近づかないほうがいい。登山道ではないにしても、こうした穴が柵もなく無防備に点在しているとは恐ろしいことだ。
最後は山田さんの穴である。これはてこずった。穴は石灰岩に囲まれているものという先入観に邪魔されて、違う場所を探していたのだ。地図をよく見ればマーキングは尾根真のやや西にあるのに、それを全く見逃していた。その穴は何でもない長閑な尾根のやや左に、いきなり恐るべき大口を開けていた。スケール感、恐怖感ともママコ穴に匹敵する。落ちたら絶対に出られない。というより落ちた時点で即死か重症だろう。径が大きいので雪を敷いた底が少し見えている。その後の広がりは不明だが、その底まで15mから20mはあろうか。ともかくどの穴もおっかなくて近づけず、十分な観察はできなかった。霊仙山恐るべし。私が書いても説得力がないが、一人で徘徊することは慎みたい。
無名竪穴の洞口アップ 山田さんの穴
天気は更に悪化し、視界はもはや20mもない。こんなときに地図やコンパスでも落としたらと思うとぞっとする。瓢箪池や井戸ヶ池も行こうと思ったが、またの機会にしよう。帰りの林道はアップダウンがあるとはいえ、標高差がものをいって短時間でゲートまで戻ることができた。時間が早かったのでいなべ市の梅林公園に立ち寄った。
最後に、穴の写真は実物のスケールと恐怖を反映していないことをお断りしておく。