霊仙山入門    05.09.25

 鈴鹿山脈北端の境界は旧中山道であることが定説になっていて、これに異を唱えるわけにはいかない。しかし鈴鹿中部山麓に住む私はどうしても霊仙山がよそよそしく感じられ、同じ鈴鹿の山だとは思えない。私の中の鈴鹿北限イメージは、時山・多賀を結ぶ間道、五僧越である。
 結局表玄関醒ヶ井からの一般道は、大きな山のメインルートとして最後まで残ってしまった。何のかんの言って、要するにズボラな私には遠いから敬遠していたのである。今まで時山や権現谷を起点にこそこそと裏口入学していたが、今日は初めて表玄関からの入門である。「初めてのおつかい」のように、ドキドキ、ワクワクである。

 朝から青空がのぞいて、久しぶりに晴れた山へ行けると喜ぶ。西のお山はガスの中だが、予報がいいのでじきに消えると楽観した。7時過ぎに出発。さすがに自宅から養鱒場まで遠かった。その奥は狭いダートだった。しっかり前を見ていないと醒ヶ井峡谷へ転落してしまう。対向車があると厄介だが、朝なので出会わずにすんだ。ようやく駐車場に着きオドメーターを見ると、ここまで57キロあった。これを遠いというと愛知や関西から鈴鹿通いをしている方は笑うだろう。でも普段10〜15分で登山口に着く私にはやはり遠い。山はタダだと心得ているが、往復100kmを超えるとガソリン代も無視できない。

 薄暗い杉木立のなかを歩いていくと、靄の中に石垣が浮かび上がってきた。初めて見る廃村榑ガ畑である。登山道からだけではよく分からないが、榑ガ畑九十九谷といってかなり広範囲に及んでいたようである。惟喬親王が幽閉された時の領地として大君ガ畑と榑ガ畑が与えられたという伝説がある。
 年に百日雪が降るという厳しい自然条件の中、戦前からすこしづつ離村者がでた。昭和30年前後に寺が移築されて、完全に無人となったという。左手にトタン張りの崩れた家が一軒あったが、半世紀を経た今は石垣のみが生活の跡を物語っている。

 やがて古ぼけた山小屋が見えてきた。これがうわさに聞くカナヤだった。「初めてのおつかい」なので観光客の気分である。しかし残念ながら無人であった。ここから尾根に出るまでジグザグの急登である。しかし距離が短いし、涼しいので汗がでない。でも出ないと困るのである。初めて山の地図を見たときから、汗ふき峠で汗をふくのが積年の夢だったのだ。やがて峠に着いた。落合を経て多賀へ至る峠だが、想像通りの良い風情だった。さっそくザックからタオルを出し、帽子を脱いで額に少しにじんだ汗をふいた。実にうれしい。しみじみとうれしい。初めて奥穂高に登ったときよりうれしい。

       榑ガ畑に残る廃屋             山小屋兼売店のカナヤ           憧れの汗ふき峠

 感激に浸っていると二人組の男性が追いついてきた。同じく休憩して汗をふきだしたが、私のように感激している様子はない。京都から来られたそうである。しばらく話をしながら一緒に登る。この人たちもまだ天候の回復を信じていた。雑木の痩せ尾根道を歩く。右下から大洞谷の水音が聞こえる。三合目を過ぎるとまた植林が出てきたが、すぐに終わって素晴らしい二次林の道となる。整備は行き届き、迷えるものなら迷ってみろと言わんばかりの道である。

 やがて見晴し台と称する場所に着いた。何が見晴らせるのか皆目分からない。視界は50mほどしかなく、一面真っ白である。やがて横殴りに雨粒が飛んできた。さすがに楽天的な私たちも厳しい現実に気付く。私がお茶を飲んだり地図を確認している間に京都の二人は先に出発した。私も5分ほど遅れて腰をあげる。
 ブナ交じりの急坂を登っていると、上から人が降りてきた。早い下山だと思ったら、さっきの二人だった。ガスだけでなく、吹き荒れる強風に登頂をあきらめたそうである。「帰りにゆっくり風呂へ入っていこう」などという相談をしている。根性なしもここまでくると、かえって天晴れである。物事に執着を持たないのが仏の教えだ。私のように 「醒ヶ井くんだりまで来て、山頂に登らずにおくものか」 という根性が煩悩なのかもしれない。

 道は尾根芯を外れ、南側を巻いていく。道端には様々な花が咲いている。トリカブトはありすぎて食傷だ。ミツバフウロ、アキノキリンソウ、ミズヒキ、タデ、名前を知らないものなど、景色は見えなくても退屈しない。同じタデの花に見えても葉っぱが違うのがある。帰ってから調べたのだがタデも種類が多く、アキノウナギツカミなどという冗談みたいなのもある。ミズヒキもタデの仲間だそうだ。よく見るとミクロの花が咲いている。

  よく踏まれた道で迷いようがない          尾根の南を巻く道            お猿岩で尾根に戻る

 ロープが張られた岩の急登をこなすと再び尾根に戻り、「ここはお猿岩です」と書いた看板があった。そう言われても何がお猿なのか分からない。今まで尾根でブロックされていた北風が荒れ狂い、相変わらず視界も殆どない。
 ここからは軽トラックも通れそうな広い道になり、ほどなく鳥居が建つお虎ガ池に着いた。有名なお虎ガ池であるが、生まれて初めて実物を見た。長く鈴鹿を歩いていて、お虎ガ池が初めてというのも奇妙ではあるが、正真正銘初めてなのである。思っていたほど大したものではなく、深さがない泥田のようなものであった。稲の苗を植えたら育つだろうか。 

 さてここから「初めてのおつかい」のノルマというか、努力目標をはたそう。先ず経塚北池を探す。コンパスを定めてササの中に突入する。ガスで周囲の地形がつかめないまま、方向を失った。多分これだろうという凹地を見つけたが、水はなかった。苦労して登山道に戻る。
 少し登山道を歩き、道から覗くと水面の反射が見えると聞く経塚池を探す。しかしこのガスではさっぱり分からない。闇雲にササ薮のなかをうろついているうちに、とうとう迷子になった。池はあきらめて登山道を探すが見つからない。しょうがないので高いほうへ登ることにする。いつかは経塚山に出るだろう。ヒザから下は露に濡れ、川に落ちたようになった。

 やがてヤブがなくなり、白い靄の中に幽霊船のマストのような道標が浮かび上がった。経塚山山頂である。反対側から亡霊のように登山者が現れ、無言で去っていった。ここからは既知の道だが、何も見えないのでそんな気はしない。コンパスを合わせ、三角点を目指す。北側から帽子を飛ばされそうな強さで霧が吹きつける。磁気嵐や砂嵐という言葉はあるが、今日はガス嵐である。帽子のツバを押さえながら黙々と登り返す。4月にママコ穴周辺の竪穴調査に来たときも、ひどいガスで視界がなかった。霊仙山を鈴鹿のママコ扱いしてきたので、山に嫌われたようである。

    誰もいないお虎ガ池                 亡霊の出た経塚山                 ガス嵐の三角点

 三角点には誰もいなかった。風を避けるため南側の斜面を降り、カレンフェルトの蔭で昼食にした。本来なら大展望の場所なのだが、全く残念である。これは台風17号の余波であろう。どんな天気でもそれに応じた風情があるのは事実だが、私の場合展望が得られないことは致命的な苦痛だ。しかしながら、お握りはおいしい。かなり空腹だったので予備のサンドイッチも全部たいらげた。

 いかに「初めてのおつかい」のうえ悪天候だといっても、一番簡単な榑ガ畑道往復では芸がないので、一般登山者が行かない(知らない)山頂の池を見てくることにする。ゴツゴツと歩きにくい斜面をかなり下っていくと、その池はひっそりと樹林に隠れていた。雰囲気はいいが、色が今ひとつである。しかし水のたっぷりある池を見られて嬉しい。斜面にはミツバフウロがたくさん咲いていた。
 今日は天気予報からして快晴のもと、井戸ガ池や瓢箪池にも立ち寄り、西南尾根から帰るはずだった。しかしもういい。視界がない中、うんと遠回りをする甲斐もなさそうだ。同じ道を帰り、もう一度経塚池を探すことにする。

 地図を見ると三角点から尾根を東に下りれば、あっというまにお猿岩付近にショートカットできそうである。しかしそれでは経塚池をすっ飛ばしてしまうので忠実に戻る。最高点分岐で鈴鹿市から来たというご夫婦に会って立ち話をする。
 鞍部からは無駄に経塚山を経由しなくても谷を下りたほうが近いのだが、この25000図にある道はあまり使われないのかササに埋もれている。突入すれば全身ずぶ濡れは必至だ。経塚山へ戻ると同時に、登りついた数名のパーティーに会う。今日はここでヤメとかいう話が聞こえてくる。

   あまり知られていない「山頂の池」              経塚池跡?                   幽玄なブナ林

 こんどは冷静に地図を見極め、登山道からヤブに突入する。池はなかったが、これに違いないというヌタ場を見つけた。少し草が生えているので、もうヌタ場になって長いのだろうか。そこのところは詳しい人に聞かないと分からない。お猿岩から花の写真を撮りながらのんびり帰る。ブナ林ではまだガスだったのに、見晴台手前で急速に視界が良くなってきた。これはいいお土産をもらった。大展望とはいえないが、北西に琵琶湖が見える。湖岸線のカーブからして、見えている市街は長浜だろうか。これで少しは機嫌が直った。往路では気付かなかったが、榑ガ畑の集落跡にはツリフネソウがたくさん咲いていた。ただもう時期を過ぎていて、写真を撮るには忍びなかった。


霊仙山の花たち

        シオガマギク                      トリカブト                   ミツバフウロ

       ベニバナボロギク                    ミズヒキ                アキノウナギツカミ? (タデ)