霊仙山入門 U 08.04.20
霊仙山は過去に4回しか登ったことがない。縦横無尽に歩いた御池岳や、それに準ずる御在所、釈迦付近に比べたら未知の山に等しい。理由は単に自宅から登山口が遠いというズボラなもの。しかし巨大な霊仙山塊は標高も1000mを越え、しかも石灰岩の山である。三蔵伝説あり廃村ありで、このような魅力的な山を遠いからといっていつまでも捨て置くわけにはいかない。
山を知るにはまず一般道を知らねばならない。「将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ」と言うではないか。その格言はこの場合、的外れ? まあいいではないか。バリから入る人もいるだろうが、霊仙山に対しては筋を通したい。過去に歩いたのは柏原道(4合目からであるが)と榑ヶ畑道。今回は西南尾根にチャレンジ。初めてのお使い、うまく行けるかなあ。え?西南尾根初めてなのって・・・どうもすいません。正真正銘初めてなんです。次回は谷山谷だな。
というわけで3年前に書いた霊仙山入門のパートUである。しかし西南という名前に引っ掛かる。普通南西ではないか? 大抵方角は南北が先である。しかし西郷どんの「西南の役」という例がある。「都の西北 早稲田の森に・・・」という校歌がある。考えだすと山に登る前に疲れてしまうので、それは後回しだ。
落合まで権現谷林道で行くことにする。R306黄金橋手前を左折すると焼尾山腹に新緑と山桜の彩が美しい。天気もいいし鼻歌ドライブだ。上部のガスが取りきれないが、天気予報に楽観する。コグルミ谷駐車場は早朝にも関わらず満車であった。ご苦労様ですと敬礼したくなる。鞍掛トンネルを抜けると一面のガスに覆われた。さすがに近江国はワンダーランドだ。ヘアピンをグリグリ下り、途中から右折して権現谷林道へ入る。例によって春先は落石だらけだ。これは通らせていただくのだから文句は言えない。岸壁に自生するミツバツツジが映える。ヨコネを眺めながら九十九折れの道を進む。
五僧への分岐を過ぎると保月分岐の落岩橋。崩落箇所は綺麗に補修されていた。白谷林道はゲートが置かれ通行止めである。道路へ見事にばら撒かれた岩屑も、妛原が近づくと綺麗に除去されていた。ここから落合へは問題のない道。自宅から44キロだった。道は悪いが、醒ヶ井峡谷へ回るよりは近い。落合集落は人が住んでいるといっても違和感がないほどメンテされている。登山者も多いので暗いイメージはない。邪魔にならないところに駐車して、立派な登山口から第一歩を踏み入れる。正々堂々の入城もいいものである。
権現谷林道のツツジ 険しい地形を切り開いた道 桜と落合集落
さて地図では今畑の集落跡があるはずだが、かなり登っても現れない。果たしてこんな山の上にあるのかなと考えていたら最初の建物があった。向之倉のような幽鬼跳梁するイメージはなく、まだ使えそうな建物もある。集会所かなと思った建物はお寺で、白雲山宗金寺という寺標が掛かっている。真宗本願寺派、いわゆるお西さんである。崩れた家を観察すると家財道具もそのまま放置されている。昭和レトロの雰囲気漂う14インチモノクロテレビがあった。珍しいNEC製で外板が金属である。昭和30年代前半のものとみる。この頃シャープも外枠が金属製だった。狭隘な山間部で電波状況はどうだったのだろうか。散乱するビールや酒のビンなどを見ると今にも笑い声が聞こえてくるようで、そう辛いばかりの生活でもなかったようだ。
今畑の宗金寺 今畑の土蔵 NECのレトロテレビ
500mの低標高にブナが林立している。さすが鈴鹿北端の山である。やはり霊仙山には、鈴鹿でありながら鈴鹿ではない、独特の空気が流れている。やがて遠くの山が見えてくるが、何処がなにやら分からない。男鬼方面だろうか。傾斜がなくなり石灰岩を縫う水平道に出ると、前方にピークが現れた。いくら私が初めてでも、これが山頂でないことは分かる。しかし水平道の何と楽であることよ。そして突然広場に出た。これが笹峠なるものか。かつて笹があったのだろうが、いまは明るい広場だ。9時25分、休憩して小さなパンをひとつ。話し声に次いで続々と人が現れる。盛況だ。右手に御池方面が見えるが上部はガスの中だ。おばさん達が双耳峰が分からないというので、三国岳ですよと教えてあげる。
石灰岩と水平の道 南霊山が見えてくる 明るい笹峠
ここから小ピークを越えて南霊への登りにかかる。えらく急な登りで動悸が激しくなるが、高度を稼ぐとともに展望が一気に開ける。少し傾斜が緩んで近江展望台に着いたかと思ったら、まだまだだった。足元にはスミレ、ニリンソウ、ミスミソウが咲いている。しばし呼吸を整える。後ろを振り返れば蟻のように人が登ってくる。どうもここは女性登山者のほうが優勢なようだ。色んなおばちゃんが声をかけてくるので退屈しない。人の多い登山道もけっこう面白いものだ。
三国・御池方面 鍋尻山 後続が登ってくる
登るにしたがってガスも上へ逃げていくので、まだホワイトアウトにつかまらない。よれよれになって痩せ尾根の小ピークへ着く。プレートを見るとここが近江展望台らしいが、潅木があるのでそれほど素晴らしい展望ではない。他に大展望の場所はいくらでもあるのに不思議なことだ。どちらにしてもガスや春霞で視界はぼんやりしている。琵琶湖と陸地の境界も曖昧だ。南霊岳の付近は巻いているので、何処がピークだか分からないうちに鞍部に着く。登山道すぐ下に池があって、遅いフクジュソウがまだ咲いている。
最高点へと続く長い尾根 ガスが晴れてきた 眼下に林道が延びる
ここから先は岩屑と潅木ですこぶる歩き難い。一般道の中でも歩き難さでは五つ星である。しかし左手のヤブの中には延々とフクジュソウ畑が続き、霊仙山恐るべしである。それでも御池藤原のゴージャスな花に比べて、ここはみな小ぶりである。右手眼下には・861の尾根に林道が深く刻まれていて痛々しい。
やがて左の展望が開け、草原の中に三角点周囲のピークが並び、加賀白山を彷彿とさせる光景である。三角点方面の緩やかな谷間に入っていきたくなるが、ここは我慢。短い笹薮になってくると最高点は近い。尾根を左折してようやく最高点に着いた。丁度3時間か。ずいぶん長い尾根だったが、とてもいいコースだ。これでノルマ達成。
三角点峰 霊仙山最高点 最高点から振り返る
一休みしてからコースを外し、緩やかな大洞谷源頭の笹原に入っていく。シカ道が交錯している。ガスが濃くなってきて位置が良く分からないが適当に進む。腹が減ってきたので、三角点南斜面の花園で昼食にする。風も出てきたのでカレンフェルトの蔭へ座る。今日も簡素にラーメンとおにぎり一個。ラーメンは火を止める前に卵を落とすと、とても美味しくなる。少しガスが晴れてきた。おっ、前方に池発見。
目をサイボーグにして測定。方位165度、距離120、高度差20、ズームで写真を撮って終わりにしようと思ったが、やはり見に行く。ヤブを分けて近づいたら水面に出ている突起が動いている。何だあ?亀か?。うげ、ヒキガエルだ。水中には腸のような卵がトグロを巻いている。6mほどの長円の池である。名前がないならヒキガエルの池だな。そのうちまたガスに巻かれた。ザックをデポしてきたので青くなる。しかし傾斜があるので何とか戻ることができた。平原だったら危ういところである。
花園でお昼ご飯 ヒキガエル池
今度は以前見た山頂西の池を見に行こう。西へ西へとトラバース。尾根状の場所を越えて、見当の付近に着いたが池がない。木に囲まれていたような記憶を頼りにさ迷う。あの時は秋で、この付近はミツバフウロが咲き乱れていた。経塚池や経塚北池が干上がっていることを知らず、のこのこ探しに行ったのだった。やがて枝の隙間に水面を発見。ここは何も生き物が見えない。水も濁ってあまり風情はない。池の周囲のフクジュソウはまだ盛りのように新鮮だった。しかし花はやはり小ぶりである。
山頂西の池から北西にトラバースして帰ることにする。どう間違ってもいつか榑ヶ畑登山道に出るだろう。御池岳にそっくりな樹林を楽しみながらのんびり歩く。やけにシカのお豆さんが多いなと思ったら、前方でドドドッと音がして十数頭のシカが白いお尻を見せて駆けていった。そして鋭い警戒音を発した。なんか悪者扱いだな。高度をどんどん下げて北西に進むとヤブが切れて風景が開けた。谷の向こうの高いところを人が歩いている。登山道だ。いったん谷へ下りるとまた池があった。畔の枯れ木にカラスが留って何だか絵になる。この池は知られているのだろうか。霊仙山の事情には疎いので分からない。名付けるならカラスの池だな。
山頂池 御池岳に良く似た樹林 お猿池
谷からヤブを登ったところはちょうどお猿岩だった。そうするとカラスの池ではなく、お猿池のほうがよさそうだ。お猿岩から道は二手に分かれていて、左冬道とある。どうもおかしい。前回は普通に谷側の冬道と書かれた方を通った気がする。狐に化かされたみたいだが、右の尾根道を辿ってみる。ジグザグに切られた道はやはり記憶がない。斜面には普通のクサに白い花が咲いていた。カンスゲと思うが、よく見るとけっこう可憐だ。道はほどなく合流した。看板に「迂回路を作っています。未完成ですが通れます」とある。やはり新道だったか。西出商店さん、ごくろうさま。しかし何で谷側の危ない道が冬道なんだろう。
ここから雨後のズルズル泥道の急降下となり、皆さん非常に苦労している。どうせ最後に大洞谷を通るなら、ここから谷へ下りてやろうと、人が途切れた隙に斜面に脱走した。一気に静かになって別世界の樹林が広がる。林の中にはヤマシャクが点在するが、惜しいかなまだツボミである。どうも谷芯は水もなく、向こう側は植林なので右岸をトラバースする。石灰岩の山らしく涸れ谷はいつの間にか豊かな流れになり、しばらくで登山道に出た。ここから良い道だが長かった。けっこう対向者に出会ったが、逆コースの人が汗拭き峠を越え、榑ヶ畑へ戻るのだろう。
これがお猿岩? どう見るのか不明 大洞谷の清流 落合神社
ぶらぶらと落合集落を見学していたら、登山者ではなさそうな人がいたので聞いてみた。元住民で、久しぶりに様子を見に来られたとか。この方は次男坊で京都へ出ているが、跡取りは大抵近くの多賀や彦根に出たそうだ。寺社や分校のこと、屋根葺きのこと、火事のあったこと、元住民が集まる集会所のことなど色々話してくださった。落合は廃村とはいえ、多賀から近いのでよく整備されている。道さえ広くすれば復村も可能ではなかろうか。