焼合谷源流から釈迦ヶ岳    02.08.25

同行者  たま  通風山

 結局たらい回しの末、私が山行記を書く事になった。見送ってもいいのだが、せっかくWEB上にないコースなので、鈴鹿サイト全般の充実のため記録しておく。但し当初からその気がなかったのでメモはなく、あやふやな記憶だけが頼りなので不正確なところはお許し願いたい。なお画像はブレが出ていたので油絵風に処理した。

 私は自分が行きたいと思った所に他人を誘う事はまずないが、ちょっとした心境の変化でお二人に同行を願った。通風山さんとは一度下界でお会いしているが山行は初めて。たまさんと通風山さんは初対面。但しネット上では知り合いだ。通風山さんがロープを持ってくるというのでお任せした。

 8時に尾高キャンプ場林道終点に集合。お二人は愛知県から。私は自宅から15分であり、申し訳なく思う。この谷は途中までだが、以前釣りで足繁く通った所である。魚止めの滝上にある大きな堰堤を高巻いて谷に入る。下半分は長いが全く平凡な谷で、傾斜も緩く足慣らしである。しかしそれではつまらないので、横を簡単に通過できる淵にわざわざ入って小さな滝をボルダリングのように登って遊ぶ。まるで落穂拾いのような、涙ぐましくもミミッチイ沢登りである。

通風山さん(水中)と私たまさん(水中)と私

 右岸に時折手積みの石垣が幾つか現れる。登山道は両岸を渡り返しながらついているが途切れがちである。女郎滝も気を付けていないとどれがそうだか分からない小規模なものである。小さな滝の釜で泳いでからたまさんのカメラで記念撮影。やがて藤原谷分岐に着く。登山道はここから自他ヶ峰に向かっている。しかしそれも殆ど使われていないようだ。釈迦ヶ岳は松尾尾根・庵座滝・ハト峰の三つの朝明からのコースが一般的である。

 8m滝を登るたまさん藤原谷を見送って右の焼合谷本谷へ入る。まだしばらく平凡だがその先、淵、滝とも段々それらしくなって来る。メモがないのでどこに何mの滝とは具体的に書けない。そのうち8mくらいのやっと骨のある滝に会う。ぼちぼちハーネスを着けようかとザックを開けて準備していたら、通風山さんが登りだし、たまさんが続く。そこで下から写真を撮る。後にも先にも自分で写真を撮ったのはここだけ。ここはまあ落ちても滝壷で助かるだろう。慎重に登りきると、上で通風山さんがザイルをほぐしていた。すんません、もう登ってしまいました。

 傾斜がきつくなるにしたがって水流はだんだん寂しくなる。ひたすら登っていく。後ろを振り返るとたまさんは付いて来てるが通風山さんがいない。キジでも撃っているのかと思ったら、バテて遅れていたのだった。禁煙してから急激に体重が増えたそうで、なるほどそれはハンデだ。一人大汗をかいている。私もタバコをやめようかと悩んでいたが、考えてしまう。

 ところで「鈴鹿の山と谷」にある50mも続く廊下とはどれだったのか分からなかった。そんな大した物ではなかったのだろう。それとも崩壊してしまったのか。それと水晶の原石を拾ったと書いてあるので、下を見て歩いていたが見つからなかった。しかしこれは事実である。私の友人が以前ヤケゴ谷で拾ったという水晶の塊を見せてもらったことがある。

 やがて石原谷、丸山谷の分岐に着いた。両方とも崩壊した石くずが堆積したガラガラの急傾斜だ。凄惨な様子を見上げるとこの先進めるのか不安になる。丸山谷は涸れ谷だが石原谷には水流があったので水筒に詰める。右の丸山谷に入る。急だが足場が石なので登れる。但し浮石が多く落ち着かないので落石に注意が要る。

 圧迫感のある廊下登りきると前方に15m程の斜滝。また水流が現れた。短い廊下状で、左の壁が覆い被さっているので威圧感がある。これも岩くずの上を登る。少し歩くと今度は廊下の中に見上げるような多段の滝。傾斜はきつい。見たところ落ち口までは行けそうだが最後がハングしていて登れそうもない。左の壁に滝に沿って小さなルンゼが一直線に延びているので取り付いてみたが、石が風化していて触る端からボロボロと崩れ落ちるのでやめた。

 たまさんが巻き道を求め、僅かの草付きにバイルを打ち込んで右手の急斜面を試登しだした。ハラハラする。滑ったら止まる所がない。やはり滝の直登は避けられない。通風山さんが滝の落ち口に向かって登っていった。しかしやはり最後で行き詰まる。私は下で「どうすっかなあ」と考えていた。しばらくして上の通風山さんから交代してーと声が掛かった。煮詰まっていても時間を空費するだけなので、ともかく登ってみた。

 狭い滝で、通風山さんと体を入れ替えるのも難儀だ。背後は花崗岩のスラブで、うっすらと水流を被ってツルツルでお手上げだ。しかしよく見ると指先で押したような小さな窪みがある。ザックを置き空身になってそこにかかとを掛けて突っ張り、だましだまし体を持ち上げ、下を見ないようにしてチョックストーンにしがみついた。何とか攀じ登れた。

 上から手を伸ばして通風山さんのロープを受け取り、まずザックを全部荷揚げする。確保か固定か聞いたところ、アセンダーを持っているので固定ロープでいいと言うので岩に縛り付けた。やがて通風山さんが登ってきた。たまさんが苦闘しているので通風山さんが肩がらみで引き上げた。やれやれ全員が上に抜ける事ができた。あとから考えればショルダーで抜けられたかもしれない。何で思い浮かばなかったのだろう。しかし足場が悪いのでそれも危ないかもしれない。 この上の滝も少し難しい。花崗岩と指の摩擦で先に登りきって、後続をテープスリングで引き上げる。

 今度は完全に水が涸れ、等規模の三俣が現れた。方角からして一番右に入る。と言っても急峻な砂ザレで、渓流シューズでは歯が立たない。左のキワの樹林帯を木につかまりながら這い上がっていく。ああしんど。藪漕ぎの末やっと東尾根に出た。汗をかくとアブが寄ってきてうっとおしい。この谷はアブが多い。東尾根に上がった所に古い目印があった。もの好きはどこにでもいるようだ。

 東尾根には踏み跡があるのでたどる。以前大谷から東尾根に上がり、山頂に登ったことがあるので、ここは通過しているはずだが、目の前の風景にあまり見覚えがない。急登のあと道は山腹を巻いている。いい加減な所で稜線に上がる。一般登山道に出たと思ったら、まだ東尾根の続きだった。そうは甘くない。薄い踏みあとを探して笹薮を漕ぎ、ひたすら登る。また通風山さんは体重がたたって遅れだすが、もう一息だ。

 今度は本当に登山道に出た。しかしどこに出たか分からない。どうも北に寄りすぎた気がするので、左折してしばらく歩いたら猫岳方面の分岐があった。あちゃー、反対だった。這い上がった所は山頂直下南側だったのだ。頂上方面に引き返し、三角点にザックをデポしてたまさんとまだ姿が見えない通風山さんを迎えに行く。

 三人でもう一度山頂を踏んでから、少し戻った林の中で昼食とする。アブが寄ってきてかなわないが、赤坂谷源流から心地よい風が吹き上げてくる。団体さんがガヤガヤと松尾尾根の頭方面から山頂に向かって通過していった。長閑な時間が流れる。たまさんと通風山さんは同い年である事が判明。充分休んでから帰途につく。

 帰りは東尾根を忠実にトレースして尾高山から降りるつもりだったが、途中でいつの間にか支尾根に入り込んでまたヤケゴ川に下りてしまった。飲み水が切れかかっていたので助かったのではあるが、私もまだ修行が全然足らん事を露呈してしまった。

追記: 焼合谷沢登りを紹介している本があるという情報(まよねこさん)を得たので、調べてみた。
          わっさかさっわか沢歩き記録集  (鈴鹿・奥美濃・白山 編) というのをナカニシヤのサイトで見つけた。ただ悲しいことに目次を見ると焼合谷を愛知川と書いてある。情けなや。正しくは朝明川。