石井明子 歌集『千春萬冬 鈴鹿の山を謳う』に寄せる
近藤郁夫
(一)
僕が鈴鹿・御池岳へとのめりこみ、よちよち歩きから一人立ちしていくまでを同行して下さった方に二人の先達がおられる。一人は絵地図の奥村光信氏、今一人は山の歌人石井明子氏である。
その石井氏が、山行き一七〇〇回を記念して、新たに歌集を出版された。題して『千春萬冬 鈴鹿の山を謳う』。待望の書を手にして僕はうれしくてならなかった。凄い、凄いと。
パラパラと眺めつつ、いろんな思いが浮かんできた。
一.まず、山行き一七〇〇回という事実の凄さ・重さである。月二回の山行きを一年続けて二四回。これだけでも続けることはそう簡単ではない。毎週一回のぺースで山行きを一年間貫くとすると四八回。一年に約五〇回の計算となる。一七〇〇回とすると、このぺースで三四年かかるというほどの壮挙である。氏は四〇年にわたる山行きと述べておられるので、平均年間四二.五回。ということは、単純な数字上だけでいえば、ほぼ毎週の山行きを四〇年間続けて来られたことになる。あの知的かつユーモア、機知あふれるお人柄(氏との対話の楽しさ)の背景には、氏の山への強靱な確固たる意志が秘められていたのだ。
その氏にありがたくも導かれ、御池岳にのめりこんでいった僕は、これまでの御池岳行きをざっと数えてみた。だいたい月に二回。それを一〇数年。ということは、まず二〇〇回は超えていることになる。そうか、二〇〇回か。われながらすごいことじゃない?と自分で自分の行為にある種の感慨を覚えた。その身から見上げる一七〇〇回という数の比類なき高さ。
二.これまでの氏の歌集『山が好き』(四〇〇回記念)、『山彩』(七〇〇回記念)、『四季湧水』(一一〇〇回記念)と比して、本書には氏の手によるあの魅力的な写真が一葉も掲載されていない。わずかに鈴木静苑氏の題字、石井浩氏の「登山靴」のカット(一足の靴の配置の仕方も、描く線の調子も味わいがある)のみであり、二一〇頁すべてにわたって、鈴鹿の山を謳う氏の歌が掲載されている。写真と歌とそれぞれの質の高さを競うのではなく、質の高さを承認しつつのコラボレーション。それはそれで独特の味がある。しかし、本書はその手法を一切使わず、全篇をまさに鈴鹿の山を謳う氏の歌のみで構成された。ここに歌人として精進してこられた氏の強い意志を僕はみる。
三.本書は砂子屋書房から刊行されている。この道に疎い僕は、推測するしかないけれど多分、歌集・歌書専門の出版社と思われる。刊行書籍一覧がはさんであったので、眺めてみると、近藤芳美歌集や岡井隆歌集等を出版している。不勉強な僕でも現代日本を代表する歌人としてお二人の名前は存じあげている。えらいこっちゃ。ということは、本書をコメントすることは、そうしたレベルのものを要求されることとなる。これはできない。僕は「御池百人一首」のパロディーづくりに今も挑戦はしているが、これはいうまでもなく遊び以外の何ものでもない。だから、文学的な世界での「歌を評する」ということはできないことをお断りしておかねばならない。
したがって、この小文は、御池岳行き二〇〇回の遅れてきた青年の僕が、一七〇〇回という仰ぎ見るような偉業の集成をどう読むか、というよりも、読めないのに決まっているので、どう感じたかということを、氏の短歌から浮かび上がる山行きの世界の自己流解釈を通して、行き当たりばったりに記していくものである。
(二)
石井氏の毎年の山行き、それはまんさくの花との出会いから始まる。
早春の明るき林にまんさくの黄の花にほふ藤原の山
本歌集全三三〇首の世界はこの歌から始まる。前著『四季湧水』の冒頭もまんさくの花との出会いから始まっていた。
まんさくの花にしたたる玉しづく落つるともなく光に遊ぶ
僕はこの歌についてかつてこう評したことがある。「自然に溶け込みつつ作者の心が滲み出てきている・・・しかもその難行が氏にとっては気負いにみちた無理でもない・・『山が好き』−この言ってみれば極めて単純な思いの自然な発露の現時点での到達域なのだ。・・・したがって、『落つるともなく光に遊』んでいるのは、『まんさくの花にしたたる玉しづく』だけではない。この『まんさくの花にしたたる玉しづく』は、そして、『落つるともなく光に遊』んでいるのは早春の石井明子自身である」(『雫物語』)と。
本歌集全体は象徴的にいえば、たとえば早春ならば、こうした早春の光の中の玉しづくの世界のように、四季折々の鈴鹿の山に展開される自然の移り行きの妙、美、厳、悠と氏との深い対話そのものであるかもしれぬ。
風花のひとひらふたひらまんさくにとまらむとしてゆられゆれゐる
まんさくの花と遊ぶのは玉しづくだけではない。風花もゆるかな風も光も、そしてその場に存在している氏も。二つの歌を引いたが、このように氏の歌は鈴鹿の山行きを愛してきた人ならば「そうそう、こんなことあったね」「あんな場面だった。思い出すなあ」とすぐにその世界に入っていける。難解な用語をこねまわしているのではない。あくまで氏の眼とその眼に映る世界は澄んでいて、その歌はやはり湧水の如くに氏の中に滲み出て、大きな自然に包まれていく氏と自然の世界との関係を静かに読むものに伝えてくれている。
ありなしの風にさゆらぐまんさくの花のむかうにみづいろの空
藤原岳にも御池岳にも春の光。春を思わせる空。まんさくの黄とみづいろの空。そのときその時しか見せてくれない無限のバリエーションの中の貴重な一瞬。今年もこの世界の中にいることのできる幸。風も今日はおだやかだ。
(三)
藤原岳に咲くまんさくの彩りを、名古屋の地からこの歌に触発されて思い浮かべれば、ああ御池岳に行きたしとなる。その溢れてくる思いは当然、セツブンソウはいかん? となり、はたまたフクジュソウはどうかな? となっていく。
素枯れたる山の岩間にひそと咲く節分草は春を告げたり
消えのこる雪のかたへに咲く花の福寿草はみな肩を寄せあふ
こうして引いてみるだけで、わが心も身ももぞもぞとしてくる。氏は氏のお気に入りの地でのこれらの花との出会い。僕は僕のお気に入りの地での出会い。「そうだったなあ、肩を寄せあって咲いていたのもあったなあ、フクジュソウは、あの残雪の頃に。この早春にも会いにいくよ」。
春、花々の個性的な美の競演は続く。
マンサク、セツブンソウ、フクジュソウとくれば、僕たちの小さな意志や思惑を超えて、鈴鹿の世界はさらに新たな展開をみせてくれる。タムシバ、ミヤマカタバミ、カタクリ、ヤマブキソウ、イワザクラ、ヒトリシズカ、ヤマザクラ、エゴ等々、それらの花々と氏との対話の数々。
吹く風にさからふことなくかたくりはあかむらさきの花ゆらしをり
山ざくら散りくる花のあとになり先になりつつ山みちいそぐ
カタクリを氏のこれまでの歌集では万葉調のかたかご「堅香子」という表現を使用しておられたが、本歌集ではかたくりと表示された。気負わずに一層肩の力を抜いて山行きをされていることの反映だろうか。
吹く風に・・の歌からは、僕など天ヶ平でお日様の光を浴びて思い切りそりかえって咲いているカタクリ、風に揺れていてなかなかシャッターチャンスをくれないあの花々が浮かんで来る。
山ざくら・・・季節の移り行きは人間の思惑を超えて進行していく。なんというはやさか。散り行く山ざくらの花びらの只中をこの日、氏は山みちをいそいでいる。その姿は、季節の進行の早さに追いつかんとしているようにも読めるーゆく春のひととき。
花々も風も雨も雪も雲も、山の見せる姿それらすべては厳粛なる自然の儀式か。
その自然の儀式。わけても萠えいづる新芽が一斉に山を飾るあの生の迫力。
山萌ゆる全山萌ゆるさみどりの滴したたる道はつづけり
全山一斉に萌ゆる、あの圧倒されるような生命の迫力に氏は全身で呼応している。氏の命の躍動。道はつづけりが抑制のきいた、かつ奥行きを示唆した結びとなっており、その迫力と躍動を受け止める力をもっている。
こんな調子で評していけば際限がなくなりそう。それほど鈴鹿の山行く人には近しい世界を氏は謳っておられるということだ。
(四)
僕は氏の『四季湧水』にこうもコメントをした。
「氏だったら『風』をどう表現なさるだろうか、ひとり勝手に想像してはや楽しみだしてしまった。まだ僕は『風』(やぶこぎ賛歌『風物語』のこと)の余滴を楽しんで、次のテーマ『峠』の入り口にも行っていないのに。」(『雫物語』)
この文をしたためたのは、一九九四年のこと。依然として僕は、次のテーマ「峠」の入り口にも行っていない。だけど本書では僕の個人的な「風」の注文にもこたえてくださっているよう。
ここまで引いたわずか七首のうちにもすでに、それぞれの場に吹いたり、通り過ぎたり、あるかなきかの風だって、僕はしかと肌に感じることができる。
当然のことながら、穏やかな風の日ばかりではない。風はかすかなれどキンと澄み切った空気の日もある。またわれわれを遠慮会釈なくたたきつける風も。
あるとなき風にふれあふ凍る木の澄みたる音はフルートに似る
地吹雪のやむ気配なし山小屋の窓うつ雪をじつと見てをり
厳冬にあっても、「あるとなき風」もあれば、「地吹雪」もある。「あるとなき風」―ぼくは晴れ渡った御池奥の平を思い浮かべる。ああ、あの霧氷の静謐な澄んだ世界。そうか、フルートだったか。
「地吹雪」?の歌、猛烈な風の「動」と、それを「じっと見てをり」という「静」との対の表現を通して、地吹雪の激しさが一層伝わってくる。「窓うつ雪」の奏でる音は何にたとえられようか。
このように本書の氏の歌の一首一首から、どんな風を触覚を含む五感で感じとることができるか、さらにはどんな光が、どんな静けさが、あるいは激しさが・・というように、それぞれの自己のこれまでの山行の内包に照らしあわせつつ読んでいくことも、鈴鹿を愛する者独特の貴重な価値ある鑑賞の方法かもしれない。短歌の鑑賞方法としては逸脱しているかもしれないけど、山の後輩への寛容なる精神で、氏ならばきっと許してくださることだろう。
(五)
この間にも鈴鹿の山は大きな変化も出来事もあった。
一九九六年の御池岳コグルミ谷での大陥没による大穴の出現、同じく一九九六年の御池岳池の平の火災。一九九九年の坂本谷の大規模な土石流。
ともすれば多忙に流され、意識も薄れて風化しかねない一つ一つの重大な事件や出来事のもっている意味を、この歌集から改めて思い起こしもした。
やぶこぎに泣かされし日のなつかしと焼け野が原の焦土ふみしむ
僕はこの翌日にこの地に立った。無残な池の平にひどいひどいと、ただ呆然と立ち尽くしたことは今も鮮明に覚えている。しかし、僕は「焦土」という言葉を愚かにも持てなかった。そして、登山道でさえ、やぶこぎに泣かされていたことを半ば忘れて今は歩いている。本当に意識の風化ははやいものよ。心せねば。
美しき花の谷とふ坂本谷荒れ果てしいま鳥のみ来啼く
昨年続いた台風により、コグルミ谷も荒れてしまった。削られ崩壊し崩落していくのが、長い地球の歴史からいえば当然のことではあるけれど、また僕が勝手にお墓にしようと決めている岩も下部が割れてしまったけれど、通いなれた地から見えてくる自然の巨大な力。いつも心しておかねば。この春、かの地にはいかなる花々が姿を見せてくれるだろうか。
(六)
氏の一七〇〇回山行のうち、藤原岳は何と八〇〇回以上、鎌ヶ岳にも三〇〇回以上、足跡を残されているという。やはり圧倒される。御池岳も僕以上に足を運ばれていることだろう。この歌集にも御池の歌も少なくない。いよいよ御池の歌に入ろう。
何がうれしいかといえば、氏は僕のやぶこぎを導きつつ、僕のやぶこぎの世界を氏自身も山行で深化しておられることだ。そのさまを歌で鑑賞できることは無上の喜びである。
ひき返す勇気をもてとひとりごち奥の平の笹やぶをこぐ
おお、はじめてあの遠い地奥の平へ踏み込んだときを思い起こす。池守氏から行けますよと励ましを受けてはいたが、当時はまずあの地に踏み入るということは発想すらできなかった。それは一般には無謀であり、同時に僕のレベルを超えた世界であると固く言い聞かせていた。しかし、東池、さらには奥の池が眠っているという。行ってみたい。途中、あまりのやぶのすごさに、もう引き返そうか、いやこんなやぶ、はたして引き返せるのか、何度か自問自答したことは今も鮮明だ(『風物語』)。氏もおそらく僕の山行後のどこかで、決行されたのだろう。臨場感豊かというよりも、あの時の僕の思いそのもの。
ひとの背をはるかに越ゆる笹わけてけものみちあり細きその道
当時は奥の平だけではない。なにせボタンブチまでも、かなりの難路。元池だって行くのは容易ではなかった。ましてや登山道を外れた彷徨の世界は、この歌の通り。けもの道をたどりつつ、その道を見失い、迷い、またけもの道に導かれてやぶを漕いだ。今の御池の姿を浮かべてはこの歌は鑑賞できぬ。
この池は聖域ならむけものらのゆきかふ道をためらひつつ踏む
聖域に入らせてもらう。こんな発想も僕も何度かの池探しの過程で浮かんだ。こうして踏み込んでしまったけれど、聖域に入らせてもらっているという思いだけは忘れないでおこうと。「ためらひつつ踏む」が氏の山行きのこころざしのありかを語ってくれている。
ありなしの風にゆらめく池の面木々の倒影散り散りみだる
この池は何池だろうか。今まで対面してきた池群を思い浮かべる。だけど、氏がこう歌う池。これは幸助の池だろう。僕がはじめて池の中にももう一つの林があると気づけたあの池。僕の道楽本の表紙写真すべては、「ありなしの風にゆらめく池の面木々の倒影散り散りみだる」場面か、風がやみまるで鏡のようにオオイタヤメイゲツの林を映している、あの美しい池。
笹の海わけこしのちにつひにかも探しあてたりまぼろしの池
「やりましたね」と励まされ、お互い「やりましたね」と当時語ったような。先達に導かれ池探しに没入し、帰路自慢話?につきあっていただいた日々がよみがえる。氏がこう歌う池はおそらく奥の池。今なお僕には遠い地にある憧れの池だ。この池の写真、いまだにこれといえるもの僕は撮れていない。いつ写真にできるだろうか。
可能性としては日本庭園の池もありうる。あのとっておきの秘密の池。笹の海とあるから奥の平だろうけれど、当時だったら日本庭園の池だって、相当の笹の海に突撃しなかったら近づけなかった。「つひにかも」が同じ道を遅れて進む評者にはうれしくてならない。
踏みあとのひとつだになき雪原に踏み入る一歩ためらひのあり
一歩二歩御池ヶ岳の雪原にわが身わが魂吸ひこまれゆく
この二首。もう少ない知恵をしぼってこうして文を書いて評している場合ではない。これは僕のこと。ただただ絶句。これは単独行の天啓の世界。石井さん、僕も「わが身わが魂吸ひこまれゆ」きました。いまだにそうです。
(七)
ゆったりと時ながれゆく山頂の岩にもたれて雲をみてゐつ
こうして氏の歌を僕のとぼしい経験をくぐりぬけつつ、鑑賞してきたが、この歌も僕の好きな歌だ。誰しも大好きな山があるならば、そこでのお気に入りの場所があるはず。この歌集から氏のお気に入りの場所を探っていくのも、鑑賞の方法の一つではなかろうか。この歌はまさに氏の大好きな場所で氏自身が至福のひと時にある歌。いいなあ。僕は御池のあの場所のとある岩のベンチでぼーとしている時。
同じ顔の一度とてなし山はよし千回超えてしみじみおもふ
御池二〇〇回の後進が先達の語る内容にあれこれ奇怪なる解釈を展開してきたが、この歌も、「そうですねー、ほんと不思議なくらい同じことってないんですよね。それだけ山っていうものは深いんですねー」と氏が淹れてくださったコーヒーを飲みながら語っているみたい。
目を閉ぢて風に吹かるる山の上すぎゆくものは風のみにあらず
一七〇〇回に至る途上で、氏はおそらく何度も振り返ってこられたに違いない、過ぎてゆくものを。あるいは過ぎていったものを。季節も、喜怒哀楽をいっぱい含む過ぎていった日々も。人はみな学びの旅人。山に一人いるとき、生きるとは、というほんものの哲学的思索をする。大きなものにつつまれることができるから。そう、風は過ぎ行く。その過ぎ行く風に吹かれて、いまだ不明の僕もあれこれ思索したり、しなかったりしてきた。今もそう。
(八)
僕のお気に入りの氏の歌がある。僕は暗誦して、山歩きながら口にしている。それは次の歌だ。
限りあるいのちの時間このひと日悔いなく過ごさむ山に登りて
『山が好き』
この歌は今の僕の歌。どう毎日の日常を僕は生きるか。都会のぐちゃぐちゃの人間関係のことや、僕の意思を越えてやってくる難儀な課題の数々。そんなあれもこれも引きずりながらも、山に入り、山にいる幸。たとえ月に2回しか入れないけれど、山下れば丁寧に生きてみたいなと思える。だけどすぐにぐちゃぐちゃの渦中に放り込まれ、雑な日々となる。それが日常。だけど、丁寧に生きてみたいなと一瞬にせよ思ったことは簡単には消えない。悔いは多いかもしれぬが、やはり丁寧に生きてみたいな。氏の山への真摯な姿勢から僕が学んだもっとも大きなこと。次の二首から僕は改めて氏の山に生きる気迫、山を生きることを通しての日常を生きる姿勢を想う。
山恋ひはつきることなし青春の一途さに似てとどまるを知らず
山にゆくひと日をいのちの糧となす山人生にしくものはなし
本歌集の文字通りの我流読みを試みてきた。鈴鹿を愛する人ならば、それぞれの深度において、この歌々を自己の山行きと重ねつつ味わえるに違いない。花ならば花、鳥ならば鳥、何でもよい。それぞれの感性は多様だから。
だけど多様でありながら、感性を共有できることはよろこび。
石井明子氏の山道の精進と歌道の精進の融合した結晶としての歌集『千春萬冬』。
さらなる世界をどうわれわれに提示して下さるか。楽しみは尽きない。
(北勢町阿下喜 石井書店で入手可能のはず)