読者投稿 一華様
本歌 筑波嶺の峯よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる (陽成院)
ツクバネの姿おかしき神の手や 年ぞ重ねて山となりぬる
訳
ツクバネの実は本当にお正月の羽根つきの羽根のごときで可愛いことこの上なしである。神様がお造りになったのだろうか。
年を重ねるほどに人生のおかしさ(情緒)を知るであろうことよ。
管理人解説
初句以外は韻を踏んだパロディーではないが、そのまま流用してもいない。下の句は言い回しが本歌に対応していてパロディーの基本は押さえられている。
筑波山(茨城県)からツクバネの実を連想したところは、山行きの体験が生きていて発想が良い。
この歌の真髄は解釈(訳)にある。「おかしき」は古語の興味深いということだろう。同じものを見ても若い人と歳(経験)を重ねた人とでは感じ方の深さが違う。自然を観察すればするほど、その造化の妙と精緻さに慄き、神の存在を想う。そしてたまに、これは神の悪戯かと思う形に微笑むのである。着眼が良い。女性らしい歌である。
本歌 由良の戸をわたる船人かぢをたえ 行く方もしらぬ恋の道かな (曽根好忠)
地形図を読めぬ我が身の賽の目は 行く方もしらぬシャクナゲの道
訳
山歩きの奥の深さよ。
私にも地形図の読める日が来て欲しいもの。
管理人解説
上の句は「行く方もしらぬ」へつなぐための説明になっていて、もう少し本歌に対応した遊び心が欲しいところ。
麻鈴音女史の第四首解説へ載せておいた杣人氏の歌など参考になるのではなかろうか。
下の句は道に迷いながらも、開き直ったユーモアが感じられる楽しい歌である。
管理人も一首
あめ そまびと よみ
天のとを 渡るや杣人 火事に耐え 行く方も知らぬ 黄泉の国かな
訳
御池杣人さんは今ごろ天の川で舟遊びをしているのか、はたまた閻魔の業火に耐えているのか。
何処へ旅立ったか黄泉の国のことは分からないが、きっと極楽にいるに違いない。
注: 天のとの「と」は水門(みなと)の意で、瀬戸や海峡のこと