読者投稿    鈴野鹿山(かざん)様


              鬼ヶ牙十一首

   

   鬼ヶ牙ゆ仰ぎて見れば近江より あふれ落つなり黒き雪雲

   あの山は何かと問はば鈴鹿なる 仙ヶ岳なり雪雲の上

   あの山は何かと問はば神風の 伊勢の剣ぞ錫杖ヶ岳

   仙ヶ岳野登山を従へて ひときわ高く遠く聳へり

   アルプスの峰と見紛ふ仙ヶ岳 山低くても彫り深き谷

   悴みつつおにぎりを食ひお茶を飲む 誰一人来ぬ山の静けさ  

   岩尾根の小ぶりの松に遥かなる 這い松繁るアルプスを思ふ

   冬も青き羊歯や青樹の中を行く 鬼ヶ牙への道の険しさ

   雪混じる松風が吹く鬼ヶ牙 頂上は早々と去る

   あしひきの山の間を行く高速路 橋脚の聳へ立つ見ゆ

   冬山に冷えた体の温まる 白鳥の湯のありがたきかな(亀山温泉)


 鬼ヶ牙ゆ・・・    「ゆ」と言う表現は万葉集「田子の浦ゆ」からと思われる。雄大な情景が目に見えるような歌である。

 あの山は・・・二首    作者はユーモアなのか大真面目なのか分からないが、かなり大仰な表現である。しかし二首とも素晴らしくリズム(調子)の良い歌で、声に出して読めば気分が高揚する。

アルプスの・・・   確かに国土地理院発表の標高は1000mを切っている。しかし「彫り深き谷」という秀逸な表現が語るように、仙ヶ岳はアルプスを彷彿とさせる男前の山である。「低くても」は「低くとも」のほうが良いかもしれない。

悴みつつ・・・   「悴」は憔悴の悴でやつれることだが、この場合(寒さに)かじかみつつと読むそうだ。予期せぬ寒さに震えて食事をする様子が良く描かれている。冬に冷えたおにぎりは侘しさが身に沁みるが、「誰一人来ぬ」場所で食事をすることは単独行者にとって密かな楽しみだ。

岩尾根の・・・    作者の年齢は知らないが、この歌を見ると古き良き時代のアルプスを偲ぶかのように聞こえる。高山の爽やかでいてどこか孤独な風を思い起こす作品だ。

あしひきの・・・   「あしひきの」は山に対する枕詞。普通はあしびきと濁音化するが、万葉集では濁らない。その古風な枕詞と現代的な高速道路の対比が面白い。かの橋脚は聳え立つと言う表現に相応しい高さであり、景観を損ねるはずのものだ。しかし壮大なオブジェを見るような、不思議な山との調和を感じるのは未完成であるが故か。

 鹿山様、投稿有難うございました。新しい方の投稿は久しぶりで感激しております。パロディーではなく、オリジナルのようですが、うまく和歌の感じを取り入れ、独特の雰囲気を持つ鈴鹿南部に対する愛情が詠みこまれていると思います。特に山水画のような鬼ヶ牙は南部を象徴する景観ですね。私は鬼ヶ牙のゲレンデで岩登りの練習をしたことはありますが、山頂には登っていません。ですからコメントするには少々役不足であったことはお断りしておきます。

                                           葉里麻呂