鈴野鹿山様の作品 第二弾
05.1.16 養老山地・最高峰 笙ヶ岳吟行10首 鈴野鹿山
1. ぬばたまの黒きアマゴの泳ぎゐる 雪の谷間の水溜り見ゆ
上石津町側の大洞谷の枝谷のアマゴ谷源流での嘱目。アマゴが黒いのはいわゆるサビでしょうか。
2. ゆらゆらと親のアマゴに寄り添いし あまたの稚魚よ人こそ恐るれ
明らかに稚魚に対して大き目の魚体を親と見ましたが本当のところはわかりません。
3. 雪の谷より飛び去りし鳥一羽 浅瀬に泳ぐアマゴ獲るらし
一瞬のことでしたが嘴の大きな鳥が飛び立ちました。多分稚魚がいるだろうと思って近づきましたらやはりいました。 狙っていたんですね。
4. 笙ヶ岳への道行けばサンゴめく 枝の白雪幹の白雪
入山は養老側から入りましたが雪は殆どありませんでした。もみじ峠が近づく頃から増え始めました。旧第一峠辺りからこんな情景になりました。
5. 峠越ゆけふまだ誰も踏まざりし 笙ヶ岳への雪道を行く
峠はもみじ峠のことです。古いガイドには第二峠として紹介されていました。ここからトレースのない雪道でした。
6. 笙ヶ岳さまよひ歩くカモシカの 足跡を見ゆ雪の尾根筋
別にさまよい歩いているわけではなく餌を探しながら歩いているんだろうと思います。ワンダリングをしているのは 我々人間の方です。
7. 笙ヶ岳かヘリ見すればあしひきの 山の形はドーム形なり
笙ヶ岳を下って表山に向う尾根のピークから眺めるとドーム形に見えました。
8. 山上の雪の上にてコッヘルに 持ち寄りし具を煮て皆で楽しむ
笙ヶ岳の山頂で鍋を囲みました。
9. 地図を見てコンパスを以て風強き 尾根を辿れば白き天地(あめつち)
表山に向う尾根のルートを行きましたが風が強くて寒かった。周囲の雑木林は梢も真っ白でした。
10. みなかみの雪の平に降り立ちて 自由に谷を下る楽しさ
表山との鞍部の手前できれいな広がりのある谷の源流に降り雪の詰まった小谷を自在に下れました。 本谷がアマゴ谷でした。雪が一面に広がり素晴らしい景観でした。
この10首はパロディーではなくオリジナルの短歌である。そうなれば素人の私が勝手な意見を述べるのは失礼である。かと言って何も書かぬのは更に失礼なので、浅はかなることはご容赦願って若干感想を記す。
「ぬばたまの」とか「あしひきの」という古式ゆかしい枕詞が登場するかと思えば、外来語も積極的に取り入れ、また五七五に縛られない歌もある。伝統と斬新が融合した自由な作風が素晴らしい。またカモシカ、アマゴ、鳥など凍てつく冬の原野で、必死に生命の営みを続ける姿が詠まれている。それを慈しむ視線が優しい。装備や食料を持ち込まなければ冬山で生きられない人間から見ると、雪上で出会う野性は感動的である。蛇足ながら述べておけば「ぬばたまの」は黒い、「あしひきの」は山にかかる枕詞である。
1から3にアマゴが登場するので、もと釣り人の立場から。黒く見えるのはまさしくサビである。雪解けのころにサビはとれて銀色になってくるが、まだ釣り上げてしばらく置くと真っ黒になってしまう。魚体が一番美しいのは5月から7月頃だ。また寄り添った大小の魚は「本当のところはわかりません」とあるように親子関係は立証できない。アマゴはサケ科の魚で、親は産卵後死ぬ確率が高い。だから多分違うだろうが、歌の上で親子と見立てることは微笑ましい情景だ。雪を割る谷の淵は何ともいえない風情がある。第一首は共感できる好きな歌だ。
いまのところ養老山地は行動の対象外なので、地形風景についてはよく知らない。今回のコメンテーターとしては役不足だが、同じ山としての想像はつく。第五首は簡潔だが、モノクロームの心象風景が広がる佳作だ。
葉里麻呂