読者投稿    麻鈴音様 


本歌   わびぬれば 今はた同じ 難波なる  みをつくしても  逢はむとぞ思ふ  (元良親王)

      御池庵 ヤブのかりねの ひと夜ゆえ  身をつくしてや 恋ひわたるべき  

現代語訳

御池庵にて、ひと夜を過ごした私は、なおいっそうに御池岳を恋しつづけることでしょう。


本歌   逢ひみての のちの心に くらぶれば   昔は物を  思はざりけり  (藤原敦忠)

      逢いみての 後のこころも 色あせず  天狗の鼻は きらきらうつむく

現代語訳

やっと、逢えた天狗の鼻、私の心のなかでいつまで色あせず、きらめいている。


本歌   有馬山  猪名の笹原  風吹けば  いでそよ人を  忘れやはする  (大弐三位)

      御池山 やぶの笹原 風ふけば  いでそま人を 忘れやはする

現代語訳

御池岳の笹原に風がふくと、御池そま人さまを思い、忘られようか。


管理人解説

歌に出にけり 我が性は・・・ボケ爺の作品と比べると、歌にはその人の内面が色濃く出るものだと気付かされる。
麻鈴音さんの歌にはおふざけが全くなく、真面目な人柄が感じられる。反面、パロディーとしてはいまいち面白みがない。
一首は五句で構成されるが、最低でも二、三句は本歌に対応したシャレを入れて頂きたいところ。
しかし本来の本歌取り技法は、本歌の一部をそのまま用いることである。
管理人の方向性とは違うが、そういう視点で見れば麻鈴音さんの歌は立派な本歌取りの作品である。

第三首はパロディーとしても合格。とくに 「いでそま人」としたところは秀逸。内容的にも泣かせる秀歌である。


本歌   朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに  吉野の里に ふれる白雪  (坂上是則)

       如月の 朝明の月と 見るまでに 曙滝に ふれる白雪

現代語訳

2月の朝明渓谷は、月の光かなとおもうほど明るく、曙滝にふりかかる雪景色は美しく心に残っています。

管理人解説

格調は高い。しかし「見るまでに」と「ふれる白雪」はそのまま流用。「朝ぼらけ」→「如月の」  「吉野の里に」→「曙滝に」が韻律的に相関関係がないことがパロディーとして物足りない。

ややこしい書き方をしたが、要はダジャレの精神が欲しいと言うこと。しかし作者の素直な性格が出ている歌に、そういう要求が正しいかどうかは悩むところだ。

本歌   ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに みずくくるとは     在原業平朝臣

      静寂(しじま)やぶる 歓声も聞かず おにやんま 腹触れないに 水くぐる尾は    御池杣人

この歌は杣人さんが元池でトンボの産卵の様子を詠んだ歌。下の句が見事に本歌と韻が対応している。しかも絵空事ではなく、産卵を写実的に描いている。参考にしていただきたい。

ただし作風が違うと言えばそれまで。本歌取の伝統に則るならば、無理に押し付けるつもりはない。
本歌の一部を流用し、鈴鹿に置き換える道を麻鈴音流として突き進んでいただきたい。

有明→朝明は良い。真冬に凍結した曙滝を見ながら中峠を越えた体験が生きている。