nori様の作品 第二弾


 

      野分けのまたの日に忍者岳にて読める

 本歌  東海の 小島の磯の 白砂に 我泣きぬれて かにとたはむる    石川啄木

      東海の 自然歩道の 湧き水に われ靴濡れて 蟹とたわむる

現代語訳 

 台風一過の秋晴れに東海自然歩道を歩いてみると、山道にも水が溢れて流れている。おや沢と勘違いして蟹が横断していくよ。そのチョロチョロとした流れに靴を浸し、蟹さんを足先でからかってみた。

管理人解説

 忍者岳といえば一度取材しただけでガイドブックを書いてしまった、ちょっとうしろめたい山であることよ。奥余野からゾロ峠へ行く自然歩道は確かに小沢沿いであった。本歌の東海から自然歩道を連想するとは、作者も大分山人間になってきた証左だ。昔はサワガニなど近所にもいたが、今は山裾へ行かなければ見られない。それはサワガニに限ったことではなく、水棲の生き物は壊滅状態だ。いつまで蟹とたわむることが可能だろうか。人類の将来をも暗示している。

 


 

      クマ鈴をつけて仙ヶ岳に登りて詠める

 本歌  めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな    紫 式部

      めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに クマ隠れにし 喉の月かな

現代語訳

 本当はめぐりあっているのかも知れないなぁ、クマ鈴りんりんさせているからこっちが気がつかないうちにクマのほうで隠れてしまっているのかもしれない。冬に備えて各地に出没しているというあのクマ、そう喉に月の輪があるというあのクマに・・・

管理人解説

 夜半の月と雲からツキノワグマを持ってきたことは着想がいい。「くま隠れ」という新語が辞書に載る日も遠くないだろう。上の句の意味は「はっきり判別できないうちに」と言う意味だが、それが「ノドの月かな」につながって「白い三日月マークがちらりと見えたような見えないような・・・」という状況を連想させて秀逸。
 怖いもの見たさと言うのは確かにある。鈴鹿でも一度お目にかかりたいものだ。


 

本歌  露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪花のことも 夢のまた夢     豊臣秀吉

    汁(つゆ)と餅 雪と消えにし 三が日 御池のことも 夢のまた 夢

注 : 新年から時世の句ですみませぬ。汁と餅はお雑煮のことを言いたかったのです。ちなみにウチのお雑煮はしょうゆ仕立ての角餅です。

管理人解説

 「つゆとモチ」のオタンチン的ポイントは非常に高い。作者は日常何を考えて生きているのか心配されるところである。「雪と消えにし」には雪で山へ行けなかったという意味と、雑煮を食ってアリャコリャ浮かれているうちに、三が日は雪が溶けるようにはかなく終わってしまったという意味があるのだろう。年末に「三が日に御池、藤原制覇」を宣言した作者だけに、この歌のおかしみもひと際である。

 辞世とは当然ながら死の直前に詠むものである。切腹のおりなら、歌に長けた人はそういうことも可能だろう。しかし老衰の場合、ボケたヨイヨイの老人が歌など詠めるものだろうか。それは管理人積年の疑問である。秀吉は畳の上で死んだ。ドラマや小説によれば家康らに 「秀頼を頼むのお」と涙(きっとヨダレも)を流して懇願しながら亡くなったことになっている。歌どころではないのである。名のある人は多分健勝なうちに辞世を考えていたのかもしれない。名はなくとも「辞世のひとつも詠んで死ねればカッコイイな」とあこがれている。