読者投稿 Qちゃん
本歌 大江山 生野の道の とほければ まだふみもみず 天の橋立
おおやまだ 名阪道も とほければ まだ峰もみず 鎌の端だけ
現代語訳 行楽で名阪道も混んでいる 大山田パーキングに着くと助手席氏、目が醒めて
「おおや まだ?」 ここを過ぎると 晴れていれば鈴鹿の山並みも見えて
「おお 山だ」と唸るのだが
今日は霞で鎌が岳の端しか見えていない。残念。
管理人解説 本歌は藤原定家も高く評価した小式部内侍の作品。替え歌の方はめずらしく山の
アプローチ段階の歌。「天の橋立」を「鎌の端だけ」としたのはただ者ではない。
この違和感の無い置き換えは両者とも母音が全く同じだからである。普通なかなか
こうはいかず苦しい置き換えになってしまうものである。オヤジギャグ満載の「訳」もよろしかるらむ。
近藤郁夫氏コメント
Qちゃんはたった一作でまさに颯爽とデビューして、次どんな作品が登場するか、ワクワクさせている。
こうしていろんな花が咲き乱れてこそ、文化は発展していく。そんなコーナーになってきたことを管理人とともに僕も喜ぶ。遊びを心から楽しむ精神の価値を思う。
本歌 久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ
枚方の 姫喉ケーキ 腹の胃に 鈴鹿まもなく 花のちるらむ
現代語訳 摂津國のブナ姫ことpana姫様。春だからと言って大好物のケーキばかり食べて お腹どころか
喉まで詰まっているようですが 早く鈴鹿に行かないと花も散ってしまうことでありましょう。
とんちんかんの一Qが鈴鹿に誘っても来てくれないのです。わびしいことよ。
管理人解説 Qちゃんより、pana嬢の歌壇デビューのお祝いの歌だそうです。姫がお住まいの地から、紀友則
の歌を思いつかれるとは素晴らしい。
本歌 千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれないに 水くくるとは
千草越え 神言うもきかず 神崎川 金くれないに 水あおるとは
現代語訳 山の神に背いて今日も山へ。千草越えを歩いている。山の神は怒りで小遣いもくれなかったので、
弁当も無い。仕方ないので神崎川の水でもあおっていようか。わびしいことでありましょう。
管理人解説 近藤氏や柳澤女史と同じ原作から、全く違う発想をされる・・・人の個性は面白いものである。
Qちゃんのお歌はすべてユーモアがあふれ、パロディーの妙味が遺憾なく発揮されている。
本歌 これやこの 行くも帰るもわかれては しるもしらぬも 逢坂の関 蝉 丸
これやこの 寝ても起きても和歌(替)えては しるもしらぬも オオ鈴鹿の咳
現代語訳
一日中替え歌ばかりブツブツ考えるようになる。これがあの有名な百日咳なるぬ鈴鹿百人咳であることよ。ゴホッゴホッ
管理人解説
Qちゃん5年ぶりの御作。パロディーを詠もうとするとき、アイデアが次々閃くときがあれば、どうしても納得のいく置き換えが浮かばないときもある。こうなるとベッドに入ってもあれこれ考えて寝られなくなる。こうした症状を百人一首にかけて百日咳きに例えたものである。関→咳き、わかれる→ 和替えるの着想はよいが、作品としてはやや苦しい感もある。その苦しさが独特のユーモアを醸し出している。 2006.9