読者投稿 たつく様
青川キャンピングパークよりただよひくるバーベキューのにほひに悔しがりて詠める
本歌 名にし負はば 逢坂山の さねかずら 人に知られで 来るよしもがな (三条右大臣)
名にし負はば 大鉢山の トリカブト 人に知られで チキンをおくれ
現代語訳
大鉢山に咲くトリカブトよ、その名前に鳥という名を持っているのならば、人には知られないで、こっそり私だけに鶏肉を無料で分けておくれ。(牛肉などと贅沢は言わないから、毒抜きでね)
管理人解説
現代語訳は原作を踏襲し、意味はよく通じる。逢坂山、大鉢山の置き換えは音的によい。さねかずら、トリカブトは音的に対応していないが、植物つながりでこれもよい。ただ五句は唐突だ。その唐突さがユーモラスな味を生んでいる。
バーベキューの匂いはお腹がグーグー鳴りますねえ。実に腹の減る歌である。
本歌 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立 小式部内侍
御池岳 ゆきつむ道の 遠ければ 網でのみ知る 青のドリーネ
現代語訳
御池岳に行き詰める雪の積もった道が遠いので、インターネットの世界でだけその存在を知っている青のドリーネであることよ。
管理人解説
作者は持病で長い登山はできないそうだが、青のドリーネの名を知っているのは電脳網をよくチェックしている証拠。
遥かな憧れを感じさせる切ない歌だ。是非病気を克服し、ご自身で青のドリーネを見られる日が来ることを願う。
本歌 奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき 猿丸大夫
カタ谷に 鹿を追いかけ 鳴く犬の 声聞く時ぞ 秋は更けゆく
現代語訳
(遠足尾根の)カタ谷で鹿を追いかけて鳴いている犬の鳴き声を聞いた。(多分狩猟解禁の準備であろう。もうそんな時期になったのだ。)こうして秋は深まって行くのだなあ。
管理人解説
カタ谷とは採石場から遠足尾根牛道分岐へ突き上げる谷である。大日向の北と言ったほうが分かりやすいか。
毎年繰り返されることによって狩猟解禁も俳句で言う季語に定着した。
そつなくまとまった季節感のある歌である。
本歌 秋風に たなびく雲の たえ間より 漏れ出づる月の 影のさやけさ 左京大夫顕輔
秋風に 揺れる梢の たえ間より ちらりと見ゆる 竜の頂
現代語訳
秋風にそよぐ木々の枝葉の間より、ちらっと見える竜ヶ岳の頂上であることよ。(今度はあそこまで登ってみたいものだなあ)
管理人解説
持病のある作者にとって竜ヶ岳の頂は悲願である。その憧れがにじみ出た秀歌。
本歌 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ 天智天皇
秋の山 遠足尾根の 鹿の糞 我が靴底に あまた付きけり
現代語訳
秋の遠足尾根の辺りは鹿の糞でいっぱいである。(けもの道か杣道か分からないような道を歩いていて)私の登山靴の底(のパターンの隙間)にたくさん(挟まって)付着してしまったことであるよ。
管理人解説
山へ行くものしか実感できない歌である。これもよくまとまった歌でユーモアもある。
パロディー入門者の第一段階は十分合格である。次の段階は本歌の韻を踏んだ置き換えが欲しい。
響きが似ていながらまったく別の意味の言葉に置き換える。簡単に言えばダジャレである。
ダジャレと違うのは歌としての統一感も要求されること。