百人一首編      

 


本歌 (一)    秋の田の かりほの庵の とまをあらみ  わがころもでは 露にぬれつつ

      秋のたの ぬた場の脇に 腰をおろし  わがころもでは くそにまみれつ

現代語訳   秋のノタノ坂で、一服しようとヌタ場の横に腰を下ろした。うっかり座った所は鹿のフンだらけで、
うかつだったことよ。


本歌 (二)    春すぎて 夏来にけらし 白妙の  ころもほすてふ あまのかぐ山

         春すぎて 夏来にけらし 白船の  こどもほすてす あまの来るやま 

現代語訳    いつしか春も過ぎてはや初夏が来たらしい。暖かくなると子どもを連れたホステスさんらが白船峠
 に登って来る。御池、藤原は女性ばかり来る山になったことよ。  


本歌 (四)    田子の浦に うち出でてみれば 白妙の  ふじのたかねに 雪はふりつつ

        山の店に うち出でてみれば 白妙の  ふくのたかねに 指をおりつつ

現代語訳  登山店に行ってみたところ、白いフリースが素敵で気にいったが値段の高さに驚き、予算を数えてみた。
       (山のウエアは高すぎる。ユニクロを見習え)


本歌 (五)    おくやまに 紅葉踏分け なく鹿の  声きくときぞ あきは悲しき

         おくやまに やぶを踏分け 行くひとの  声きくときぞ 鹿はおどろき

現代語訳   訳を要せず。やぶ漕ぎもいい加減にしないと、鹿の心臓に悪い。


 本歌 (七)    天の原 ふりさけみれば 春日なる  三笠の山に いでし月かも

           がまのはら ふりさけみれば がすかかる  御池の山に いでしへびかも

現代語訳   ガマガエルの腹のようなものを見たので、辺りを見渡した。ガスがかかった御池岳に
        伝説のオロチを見たのかもしれないなあ。


本歌 (九)    花のいろは うつりにけりな いたづらに  我身よにふる ながめせしまに

         鼻のいろは うつりにけりな いたづらに  国見雪ふる ながめせしまに

現代語訳   国見岳で吹雪かれて、鼻の色が凍傷で変わってしまったことであるよ。物思いをしていた間に。


本歌 (一〇)   これやこの 行くも帰るも 別れては  しるもしらぬも 相坂の関

         これやこの 蛇もかえるも 別れては  ひるもしらみも 切畑の関

現代語訳    これがまあ、蛇や蛙たちと別れ、山ヒルや山ジラミのいる奥山へ入っていく関なのだなあ。


本歌 (一五)    君がため 春の野に出て 若菜つむ  わが衣手に 雪はふりつつ

          君が畑 治田に出でて 若菜摘む  わが衣手に 牛はふりつつ

現代語訳   君ヶ畑から治田峠に出て山菜を摘んでいたら、牛が降ってきた。帰りはその牛に乗ってきた。
        楽であったことよ。


本歌 (一九)     難波がた みじかきあしの ふしのまも  あはで此よを 過してよとや

           歯がたがた みじかきあしで ふしあなも  山でこの世を 過ごしていたや 

現代語訳   老いて歯はガタガタ、足は磨り減って短くなり、目はふしあなの如く見えなくなっても、
        やはり山で過ごしていたいものだなあ。


本歌 (二四)    此のたびは ぬさもとりあへず 手向山  紅葉のにしき かみのまにまに

          この足袋は 穴もとりあへず  綿向山  紅葉のにしき つぎはぎのまに

現代語訳    靴下に穴があいていたが、とりあえずそれを履いて綿向山に登った。もみじの葉でつぎ当てを
         してみた。風流であることよ。


本歌 (二七)    みかのはら わきてながるる 泉河  いつ見きとてか こいしかるらむ

          美香のはら 脇をながるる あせのかわ  いつ見きとても あつくるしらむ

現代語訳   美香さんの脇腹に滝のような汗が流れている。暑苦しくて見るに耐えない。
        山に来るなら体重を減らしなさい。


本歌 (三二)     山川に 風のかけたる しがらみは ながれもあへぬ 紅葉なりけり

           山川は 前歯かけたる しらがあたま ながれもわたれぬ よいよいなりけり

現代語訳    山川さんは白髪頭で歯も欠けている。寄る年波で川もわたれないことだなあ。


本歌 (四七)    やへ葎(むぐら) しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね あきは来にけり

          やれもぐら しげれるたどの さびしさに 人こそ見えね さるは来にけり

現代語訳   モグラも驚く草深き多度の山奥。誰一人として訪ねてこないが猿はよく来るなあ。


本歌 (六一)    いにしへの ならのみやこの 八重桜  けふ九重に にほいぬるかな

          いにしへの やまのみやこは うば桜  もう九重に いれてしまわむ

現代語訳   昔、山でならした美也子さんも歳をとって肥満してきた。もう九重部屋に入れてしまおう。


本歌 (六六)    諸共に 哀れとおもへ 山桜  花よりほかに 知る人もなし

         もりもりと 食わんとおもへ 山男  めしよりほかに 楽しみもなし

現代語訳   山では娯楽も無く、あとはテントで寝るだけだなあ。晩飯だけが楽しみだ。


本歌 (七二)    音にきく たかしの浜の あだ波は  かけじや袖の ぬれもこそすれ

          音にきく お花の池の 波を見て  かけそばあんぱん かつさんど

現代語訳   有名なお花池で、御池岳評論家 I・K氏がお昼を食べている様子。


本歌 (九七)    こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに  やくやもしほの 身もこがれつつ

        この場所を まつおの頭と ゆうなぎに  焼くやもしおの 身もこがしつつ

現代語訳   釈迦ヶ岳の山頂と思っていた場所を、松尾尾根の頭だとウナギが言った。
        悔しかったので塩をかけて焦げるほど焼いて食ってやった。