辞世編
本歌 夏の夜の 夢路はかなき あとの名を 雲井にあげよ 山ほととぎす (柴田勝家)
春山の 命はかなき 花の名を すべて挙げよと ほとほと弱る
一々花の名を聞かないでちょうだい。私は植物オンチなのだから。
本歌 さらぬだに うちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな (お市の方)
去らぬだに 打ちぬる笹の 夏の山 哀れを誘ふ きりぎりすかな
この間笹ダニに悩まされていたと思ったら、もう秋の虫が鳴いている。季節の移ろいは早いものだなあ。
本歌 かぎりあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山嵐 (蒲生氏郷)
がきあれば 行かねど山は すむものを 心みじかき 妻のかみなり
子どもがあるというのに、なんで危ない山に行くの!
本歌 極楽も 地獄もさきは 有明の 月の心に かかる雲なし (上杉謙信)
コクイ谷 地獄谷とも しろうとの 持つ竿先に かかる魚なし
そんなにバシャバシャ川へ入ったら釣れんよ。
本歌 朧(おぼろ)なる 月もほのかに くもかすみ 晴れて行くへの 西の山の端 (武田勝頼)
おんぼろなる 靴もほのかに にほえども 晴れてさいふの 重くなるまで
古い靴も捨てがたい味がある。
本歌 時は今 天が下しる 五月かな・・・ (明智光秀 本能寺前夜 連歌の上の句)
時は今 雨がしたしる 五月かな 三国の山に ひる出でしかも
時山は今雨が降っている。どうもヒルが出そうで憂鬱だ。
本歌 君が名を 婀になさじと 思うゆえ 末の世までと 残しておくかな (吉川経家)
君ヶ畑を からになさじと 思うゆえ 末まで残す 天狗堂かな
君ヶ畑を廃村にしないためにも天狗堂を名山として認知しよう。
本歌 露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪花のことは 夢のまた夢 (豊臣秀吉)
ついに落ち 露と消えにし 我が身かな 岩場のことは 夢のまた夢
ついに滑落して死んでしまった。はっと目が覚め夢でよかった。
本歌 残れとは 思うも愚か うずみ火の けぬまあだなる 朽ち木がきて (近松門左衛門)
登れとは 思うも愚か 茨川 伊勢谷埋める 倒木の山
台風による土砂崩れで伊勢谷はとうぶん通れない。残念なことであるよ。
本歌 今はただ 恨みもあらず 諸人の 命にかはる わが身と思へば (別所長治)
深雪で 恨みもあらず 諸人の 苦労にかわる わが身と思へば
先頭のラッセルを引き受けましょう。人様のお役に立てるなら。
本歌 石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ (石川五右衛門)
愛知川や 川のあまごは 尽くるとも 世に釣り人の 種は尽くまじ
愛知川にアマゴがいなくなっても、釣り人はまた他の川へ行くだろう。
本歌 死んで行く 地獄の沙汰は ともかくも あとの始末が 金次第なれ (安藤広重)
進み行く 地獄の薮は ともかくも あとのまつりは 落としためがね
あちゃー。胸に挿したサングラスがありまへん。
本歌 風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残りを 如何にとやせん (浅野内匠頭長矩)
風さそう 花よりもなお 我はまた ハムの香りを 如何にとやせん
花もいいけどそろそろ腹が減ってきて、お昼のハムサンドが気にかかる。
本歌 あら楽し 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし (大石内蔵介)
あら楽し 天気は晴るる 身は頂上 鈴鹿の山に かかる雲なし
山はやはり快晴がいいですね。
本歌 あふ時は かたりつくすと 思へども 別れとなれば 残る言の葉 (大石主税)
あうときは たたきつぶすと 思えども 靴を脱いだら 残る血の跡
気がついたときにはおりません。ヤマヒル様にはやはりかないません。
本歌 身はたとひ 武蔵野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 (吉田松陰)
身はたとひ 鈴鹿の山に 朽ちぬとも 留め置かまし 山登魂
ちょっと大げさか。
辞世をネタにするとは不謹慎かもしれないけれど、ここはまあ元の歌もじっくり味わってください。