第二回ミルキーアンパン山行を詠める     葉里麻呂

解説は御池杣人氏      

                黄葉(もみぢ)ばを纏いしままに倒れけり  哀れなるかな秋の大雪

 今年は充分、秋が熟さぬうちに雪が降った。11月上旬でありながら、御池岳頂上部では60cmも積もったときく。落葉する準備中に積雪。その重みは、木々にとって営みの範疇を越えていたのかも。倒木も、折れた枝もまだ紅葉をまとったまま。しかし、これも自然の摂理にちがいない。やがてまた新芽。山歩くことは、実は生死の中を歩くことに他ならない。そんなことに気づかせてくれる。
    

                いと嬉し水木洞にはミズキの葉  山葵の洞にワサビありけり 

 葉里麻呂が新たに発掘した廃村茨川の古絵地図に、これまでの山行きで知っている地名も登場すれば、初めて接する地名も多数登場した。以来、真ノ谷行きはこの古絵地図によって新たな意味をもつようになった。古老から聞き取った地名「水木洞」「山葵洞」。どこがどこに該当するか。推測・想像と現地との対応。そんな思いで歩けば、まさに「水木洞」にミズキが、山葵洞にワサビが今なお姿を見せてくれていたことのうれしさ。たとえそれらは断片とはいえ、かつてここで炭を焼いていた人たちの息づかいさえ、それらからきこえてきそう。先達もこのミズキ、ワサビを眺めつつ重い炭の荷を背負って歩いていただろう。水木も山葵もその姿を見ていたのかも。こう感じうる時、はじめて「いと嬉し」が解釈できるだろう。

                

               東(ひんがし)のぼたんの淵に立ちぬれば  頭陀の裾野に紅ぞちりける

 亀尾を直登。息せき切って待望のテーブルランドに着けば、広大な空間が一挙に開けてゆく。まさに場面の大転換。前見れば、茫々たるササの原。振り返れば、黄葉紅葉の藤原岳が正面に。頭陀ケ平すそ野一帯には、多様な黄の中に、紅も散らばって。彩りの無限さよ。今、風が通り抜けていく。
    

                亀の尾の木の根つかみて登りける  乙女のすがた頼もしきかな

 一瞬、絶景に心奪われて、ボーとしている。気づけば、乙女たちの歓声。真下には巨大な亀の尾が小さい。これだけの登りを、時に木や根、枝につかまり、時に四つんばいになりながら、時に「うんとこしょ、どっこいしょ」と掛け声をかけつつ、踏破してしまう強靱さ。今は、絶景を眺めて、歓声をあげている乙女たち。これを「頼もしき」以外のいかなる表現でできるか。よくぞ、この言葉を見つけた。まさに「頼もしき」の表現は秀逸。彼女たちは、可憐であるが、ヤワではない。そういう人は、いくつになっても乙女と表現してよろしい。そんな葉里麻呂のまなざしもよし。

                

                過ぐる秋ものを思ひて踏みしめる  道なき尾根に落ち葉降りつむ

 秋の過ぎ行くさまは,独特の風を伴っていく。その風は、散り急ぐかのような落葉の風。ましてや人跡まれな尾根の、一面の落葉の無数の彩り。それらに染められて歩く。それらを踏みしめて歩く。立ち止まれば、ハラハラと、サワサワと落葉する音のかすかさ。五感すべてが凝縮し、また、解き放たれていく。葉里麻呂は何をもの思い、何を解き放っていっただろうか。    

                

                秋の陽は暮るるものとは知りながら  なを去りがたき御池岳かな

 人は何か物足りない時、去りがたい。しかし、内包が豊かな時も、去りがたいのだ。しかし、そんな私たちの思いを超越して、時は流れていく。気持ちが成熟していくことを、時は待ってくれない。特に中身が濃い時は。だから最後尾でチンタラ歩く人もいる。

                

                何をみて何を思ひし夫々に  二十の瞳に向かひて語る

 この山行きの統括責任者−リーダーとしての気遣い、決して楽ではない今日の行程を、全員で無事、達成できた安堵感。葉里麻呂の思いはお互いの思い。中年の20の瞳はまだまだ捨てたものじゃないとお互いに正当な自負をもとう。

 概括

 充実の山行きは、葉里麻呂に歌ごころを目覚めさせ(都津茶女の歌に触発されたことも確かか)、余にも山頭火的自由律俳句?をつくらせてしまった。いいことである。多様な自己表現は人間を豊かにしてくれる。そして、あの日の、あの瞬間が蘇る。葉里麻呂はあんぽんたんパロディーだけでないのだ。そして、こんな感性がないと、おたんちんパロディーもつくれないことは確かである。

一人で歩く山も楽し。一人でしみじみと考えられるから。友と歩く山も楽し。多様な感性が交わることができるから。だから山はいい。