御池杣人氏の返歌
本歌
陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰ゆへにみだれそめにし我ならなくに
(河原左大臣)
御池杣人が郎女様のうれしコメントに詠める
道奥を しのぶ文字つづり かの夢に なさけ届きし 汝(なれ)が花文(はなふみ)
(御池杣人)
現代語訳
あの御池岳亀尾紀行。鈴鹿の奥を這いずるようにのぼった、まるで夢のように楽しかった山行きを思い出しつつ、綴った文。それは歌や句や詩となった。そこへ郎女様からの情のこもった花の如き文が届いたことよ。未熟な作品かもしれないが、未熟なりに精一杯の作品。それに対するまことにありがたきコメント。なんとうれしいことよ。
管理人解説
本歌の作者、河原左大臣は鈴鹿ゆかりのヒーロー惟喬親王のじっちゃん(仁明天皇)の弟にあたる。じっちゃんの兄弟と言えど年は二十ほどしか違わないので、あるいは鈴鹿山中小椋谷に不憫な親王を訪ねたかも知れぬ。因縁深いことよ。
「しのぶもぢずり」は現代人にとって意味不明な言葉であるが、「(過日の山行を)偲ぶ文字綴り」としたところは素晴らしい。これも作者のパロディー道精進の賜であろう。そして下の句は情感豊かである。名コンビであった郎女様からの久々の便りを嬉しく思う作者の気持ちがよく伝わってくる。「はなふみ」という言葉は日本語にないが、いかにもありそうに思えてくるのである。
余情を重んじた「体言止め」の技法が使われていることに注目。
同じ原作で管理人も一首
陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰ゆへに みだれそめにし我ならなくに
未知の句の しのぶもぢずり 杣人が よだれそめにし 我は泣くなり (葉里麻呂)
現代語訳 聞いたこともない「しのぶもぢずり」と言う語句を、そまおちゃんが睡魔と戦いよだれで袖を染めながら考えてくれた歌。その精進ぶりに泣けてきたことであるよ。