柳澤郎女(やなぎさわのいらつめ)様の感想
三者三様の御池の歌を読ませて頂いて思いました。
歌は「その人そのもの」ですね。
全身で山を登り、下り、目で見て、肌で空気を感じる。
五体を通して感じたことを心でとらえて言葉に昇華させる。
歌は「その人だけのもの」ですね。
それぞれの方の感性にハッとさせられます。
都津茶女さまの歌
「山中に 名づけられたり その場所の 証を探す 人と喜ぶ」
「人と喜ぶ」ことが出来る人、人間としての純粋さが表れています。
「紅葉透かし 秋の陽が」
紅葉色の秋の光がそこだけ明るく照らし出された画像が見えています。
「光降れば 木々の影射す 奥の池 水面(みずも)凍りて」
光と影が氷の池に映る、もう絵になっています。
いっぽんのブナの木によせて・・ に小さな物語を・・
久しくあなたを両の腕で抱いた人はなかった
久しくあなたの幹に登って喜ぶ人はいなかった
久しくあなたを囲んで休息の時を過ごす人もなかった
久しく・・そう、それは・・
一人の杣人が来てブナの木の下に立ちて、
「よお!お前も頑張っているな」と
そのいかつい掌で幹をなで
「お前を見るとおれもまた頑張れるよ」と
その言葉は心の中に飲み込んで去って行った
杣人は生れて間もない息子を
無くしたばかりであった
ブナは黙して語らなかったが
久しく・・・それからの久しくであった
杣人さまの歌
「朝陽に陰影の妙」「傾く陽に陰影の妙」
時間の経過を言い得て妙。「陰影」に自然と濃く長い影を思わせるから不思議。
「天が平に秋をしている」
若い人と接しておられるので若い発想。
「流るる水にも」
なんと清浄な響き。紅葉と水、身も心も清らかにみずみずしく潤いを持って来ます。
「窯の跡にも」
窯跡はどれだけ沢山のことを人に語りかけているでしょう。窯跡に対峙した時、自分に語りかけて来る声を聞かなかった人はいないでしょう。
訪れる 人に語るや 窯跡は 能弁にして そして寡黙に
窯跡の 石垣崩れ 歳月の 流れを思う 鈴鹿逍遥
「彩りの深みを下る」
彩りこその人の持つ内面の色彩。どんな色と深みで彩るか私の課題でもあります。杣人さまはきっと多彩な深みを観ておられたのでしょうね。
葉里麻呂さまの歌
「黄葉(もみぢ)ばを纏いしままに倒れけり」
一見女性の視点のように感じられるけど、これはまさに男性の視点なり(注釈ヤメ)
「倒れけり」は葉里麻呂調。葉里麻呂は歌を詠んでも葉里麻呂調で貫かれています。
「水木洞にはミズキの葉 山葵の洞にワサビ」
にはバンザイと叫びたいところを、喜びがひたひたと押し寄せて来るような静かなうれしさを感じます。
「過ぐる秋ものを思ひて踏みしめる」
葉里麻呂さまは何を思ったのでしょう、きっとものすごく沢山の事を思ったのでしょうね。
そのほんのかけらだけ覗かせているだけなのでしょう。君は何を思ったか?その目がきっと万感をたたえていたのでしょう。一人の思いの多さを知っているから二十の瞳の中にどれだけの思いが凝縮されているかと・・・・・
炭焼窯の水の確保について
前に書いた炭焼きを生業としておられる方に聞いた話を思い出しました。
水はミズキの木(なぜミズキなのか聴き忘れました)に荒縄を縛って先を垂らし、その先を一斗缶や樽の中に入れて雨水を集めたそうです。炭焼きでの生活用水もほとんどこのように確保したとのことです。谷に水を汲みに行くのはよほど条件の良い場合だけだったそうです。